Tomorrow is Another Day
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風邪は引かなかったけれど。 
なんとなく身体が重くて、中野がどこかへ出かけたあとも昼までずっとベッドで眠ってた。
ずっと寝ていたせいでそのうちよけいにダルくなって、仕方がないから遊びにいけるところを考えた。
「土曜なんて北川の事務所も開いてないしなぁ……あ、でも、今日は闇医者がいるんだった」
ぼーっとしたままだったけど、少し明るい気持ちで家を出ることができた。
「闇医者、忙しい?」
ちょっと覗いただけなのに。
「マモル君、どこか具合悪い? 大丈夫?」
闇医者は今日も鋭くて、すぐに俺の体調に気づいてしまった。
「ううん、いつもと一緒だよ。俺、ひまだからビルの外掃いてくるね」
心配されるのも心苦しかったから、元気なフリをして裏口の片付けをしに行った。


空気は冷たかったけれど、すごくいいお天気で、本当なら気持ちいいはずなのに。
「……だるーい」
熱もないし頭も腹も痛くないのになんだか調子が悪くて、枯れ葉を集める間もぼんやりしたままだった。
ダラダラやってたらキレイになるまでものすごく時間がかかってしまい、あんまりスッキリした気分にはなれなかった。
「これ終わったら何しようかなぁ……」
闇医者はまだ忙しそうだったけれど。
できればちょっとだけ話したいなって思ったから。
「あとで聞いてみようっと」
集めたゴミと葉っぱをビニール袋に押し込んでいたら、いきなり誰かに腕を捕まれた。
「え……?」
顔を上げたら岩井が立ってて。
なんだかすごく困った顔をしてた。
「……どうしたの?」
そう聞いても俺の方なんてぜんぜん見ない。
視線の先、足もとの落ち葉は風が吹くたびにまた散らかっていって。
それ以上話すことなんて思いつかなかったから、俺もしばらく同じように眺めてた。
その後。
「……この間、ごめんな。それで、彼女がさ……」
ようやく口を開いたけど、全部がすごく言いにくそうで。
「その、いろいろ事情ができて、どうしてもさ」
彼女と別れられなくなってしまったんだって言うのもやっとって感じだったけど。
「……うん」
全部がぼんやりと俺の中を通り過ぎていくだけで、すごく他人事みたいに思えた。
「謝らなくてもいいよ。仕方ないもんな」
普通にそう答えて首を振ったけど。
岩井はスーツのポケットから銀行のマークの入った封筒を取り出した。
「あんまり貯金とかなくてさ……これだけなんだけど」
それだけ言って封筒を俺の手に押しつけた。
「……え?……いらないよ」
金なんて。
「けど、それじゃ……」
「いらない」
ううん。
要らないんじゃなくて、欲しくない。
「マモル、」
「いらないってば」
「なんで怒るんだよ? ヤバイことして稼いだ金じゃないって」
岩井が彼女のとこを好きだったとしても、このまま友達になろうって思ってたのに。

もう、それもダメなんだな……

「怒ってないから……でも、もう帰って」
岩井を押し退けてビルに駆け込んだ。
それから、掃除用具が置いてある部屋に隠れて床に座った。
ぜんぜん平気だって思ってたのに、思い返しているうちにどんどん悲しくなってきた。
「……なんか、もっとダルくなっちゃったなぁ……」
立ち上がる気力もなくてしばらく隅っこで丸くなった。
何も考えたくなくて、ため息だけ何度もついて。
どのくらい経ったのか分からないけど、コンコンって遠慮がちなノックが響くまでそうしていた。
「マモル君、入っていい?」
ドア越しに闇医者の声。
それを聞いたら急に涙が浮かんできた。
「……うん」
ドアが開いて顔を出した闇医者は、一度にっこり笑ってから俺の隣りに腰を下ろした。
「ごめんね。倉庫のドアを開けて掃除していたら聞こえてきたから、心配になっちゃったんだ」
優しい言葉が気持ちを弱くする。
「……ううん。いいよ、別に」
泣きたくなんかないのに。
こんなの甘えてるだけだって思うのに。
やっぱり涙はこぼれてしまった。
「だって、岩井も、中野も、みんな……俺、金なんて……」
ウリなんてやってるからいけないんだって分かってるけど。
岩井とは友達だって信じてたのに。
「ほら、泣かないで。岩井君だってそんなつもりじゃなかったと思うよ」
闇医者は一生懸命に慰めてくれたけど、今日は優しい言葉も素通りしていった。
「だって、ホントに好きな相手だったら金なんて渡さないよ」
俺がいくらバカでもそのくらいのこと分かる。
闇医者は白衣のポケットからハンカチを出して、そっと頬を拭いてくれた。
「別れることになってもね、好きな人になら何かしてあげたいって思うでしょう?」
そうかもしれないけど。
「だからって、金なんてもらっても、嬉しくないよ」
でも、闇医者は静かな声で「大人になったら、きっと分かるよ」と言った。
それを聞いても顔を上げられなくて。
キレイにアイロンのかかったハンカチと、闇医者の手をただじっと見つめてた。
「少しでもお詫びがしたくて、でも、他に方法が思い付かなくて、お金を持って来たんじゃないかな」
金や物でしか愛情を示せない人だっているんだから、って言われたけど。
「だって……俺、買われたわけじゃないのに……」
岩井はずっと言ってた。
俺と寝るのに金を払ってもいいって。
「それって、やっぱり俺のことなんてそんな風にしか思ってなかったってことだよね?」
闇医者はふっと笑って、「そんなことないよ」と言ったけれど。
そのあと、真面目な顔で俺に聞いた。
「マモル君は岩井君のこと好きだった?」
簡単な質問。なのにその言葉が引っかかった。
「……うん」
好きだった。
優しかった。
楽しかった。
でも。
「中野さんよりも好きだった?」
そう聞かれた時、返事ができなかった。
「岩井君ね、マモル君が中野さんのこと好きだって知ってたんだよ。それでも一生懸命マモル君を誘って、食事に行って……だから、岩井君だけを責めちゃ可哀想だよ」
闇医者がそう言うんだから、きっとそれが正しいんだろう。
でも、やっぱり気は晴れなくて。
「だったら、なんで……金なんて渡さなければ、友達でいられたかもしれないのに……」
ずっと友達でいようって思ったのに。
だったら、大丈夫だって思ったのに。
「でもね、」
闇医者はそこで小さなため息をついて。
「岩井君、少ししかない貯金下ろして真っすぐマモル君のところに来たんだと思うよ。……最後くらい喜んでもらいたいって思ったんじゃないのかな」
闇医者の言葉は優しくて、そうかもしれないって思えたけど。
でも、本当のところは何を信じればいいのかわからなかった。
「そんなの……俺、わかんないよ……」
もう、何にもわからない。
岩井のことも、中野のことも、自分の気持ちだって。
「そんなに焦らなくてもいいんだよ」
涙でよれよれになったハンカチを少し広げて、乾いたところでまた頬を拭いた。
それから、髪を梳いて少しだけ笑って。
闇医者はいつだって優しくて。
だからって、甘えてばっかりはダメだって思うのに。
「ダメだよ、今すぐわかんなきゃ……だって、だってさ、」
エアコンもない倉庫の片隅。
「でもね、マモル君、」
闇医者の声だけが響いて消える。
「……これで良かったんじゃないかな」
ときどき頬に触れる闇医者の手がとても温かく感じた。
「マモル君だって自分に嘘をついたまま他の誰かと付き合うのは辛いと思うよ」
岩井のことを好きになれるかもしれないって思ったから、いいよって返事をした。
でも、それじゃダメなんだってこともホントはずいぶん前に気付いてた。
「じゃあ……俺も岩井に謝ればよかったの?」
そう聞いたら、闇医者は首を振った。
岩井はちゃんと分かってるから、そんな必要はないって。
「……そうかな」
もう終わったことだからね、って言われた時にはもう涙は乾いていたけれど。
闇医者はまだハンカチを俺の頬に当てていた。
「闇医者も、俺と岩井は上手くいかないって思ってた?」
そう聞いたら、「ごめんね」って返事があった。
「……そっか……みんなそう思ってたんだ」
きっと、普通に考えたら誰でもわかることなんだ。
俺がぼんやりしるから気づかなかっただけで。
落ち込んでいたら、闇医者がまた「ごめんね」って謝ったけれど、俺は首を振った。
「ううん、いいんだ……中野にも言われたから」
岩井と彼女が一緒にいる所を見かけたからそう思っただけだ……って中野は言ってたけど。
そんなことがなくても気付いていたのかもしれない。
ため息をついてしまったら、闇医者が少しだけ笑った。
「ね、マモル君」
「……なに?」
「中野さん、心配してたんだよ。マモル君が騙されてるんじゃないかって」
俺にはそんなことぜんぜん言ってなかったけど。
でも、もしそれが本当だったら、疑われてる岩井が可哀想だ。
「そんなんじゃないよ。俺と付き合ってみたけど、やっぱり彼女がいいなって思っただけで。そんなの誰だってあると思うよ。ね?」
そう説明したら、闇医者は困ったような顔でまた少しだけ笑った。


その後もしばらく二人でひんやりした物置に座っていた。
闇医者といるとつい甘えてしまうよなって反省して。
ついでにあんまり心配させちゃいけないよなってもっと反省して。
頑張って立ち上がったら。
「先生、どこですか?」
ドアの向こうから患者モドキの声が聞こえたから。
「ここー」
闇医者の代わりに返事をした。
ホントはまだイマイチ滅入ってたけど、少しだけ自分の気持ちに嘘をついて元気な声を出した。
「もう行こうよ。俺、大丈夫だから……いつもごめんね」
楽しくない時に笑うのだって本当は嘘つきだって思うけど。
そんなことで闇医者が安心してくれるなら、それでもいいって思うから。
「ね、闇医者が診察してる間に買い物してきてあげるよ」
気分転換をして、気持ちの整理をしてから帰ってくればいい。
「本当? 助かるよ。じゃあ、メモ作るから待っててね」
闇医者と診察室に戻って、メモとお金を受け取って。
「あちこち回らなきゃいけないけど、大丈夫?」
「うん、ぜんぜん平気」
「僕も後で薬局に行かなきゃならないから、帰りは公園で待ち合わせてどこかでお茶でもしようか?」
闇医者と約束してから、一足早く出かけることにした。
「いってきます」
見送っている闇医者がまだ少し心配そうに見えたから、できるだけ元気よく手を振った。


買い物は40分ちょっとで全部済んだ。
小さな袋を4つ持って、いつもの公園に行った。
「闇医者、まだ来てないなぁ」
ドラッグストアでもらった試供品のガムを食べながらベンチで待とうとしたけど。
俺の指定席の真ん中に場所取りみたいに何か置き去りにされていた。
「あ、これ……」
タバコと100円ライター。
家を出て最初に転がり込んだ先の男が吸ってたヤツと同じ種類だった。
なんとなく懐かしくて、一本もらって火をつけた。
「このタバコ見るの、久しぶりだなぁ……」
思いきり吸い込んだら軽い目眩がして、ゴロンとベンチに横になった。
中野が吸ってるのよりはずっと軽いはずなんだけど。
「……なんか、今日、ダメかも、俺……」
身体が一気にダルくなった。
タバコを咥えたままベンチでゴロゴロしていたら、公園を抜けようとしていた女の子と目が合った。
でも、その子は急に早足になって、あっという間に公園からいなくなってしまった。
「やっぱり浮浪者に見えるのかぁ……ちょっとショックかも……」
体調が悪いせいなのか、いつもならなんとも思わないようなことで落ち込んでしまう。
気分を変えるために楽しいことを考えようとしたけれど、今日に限って何も思い浮かばなかった。
「最近、楽しいことなかったんだなー……」
あやうくため息をつきそうになったら、寝転んでた足元の方から声がした。
「マモルくん、未成年なんだからタバコは駄目だよ」
俺を見下ろした闇医者はちょっとだけ眉を寄せていた。
「……あ、うん……ごめんなさい」
起き上がりながらもぐもぐ呟いたら、闇医者の長い指が俺の口から煙草を取り上げた。
それから、地面でタバコをもみ消して、吸殻を拾い上げた。
ついでにタバコの箱とライターも取り上げられた。
「どうしたの? タバコなんていつも吸ってないでしょう?」
怒ってるっていうよりは心配そうだったから。
悪いことしたなって思って、慌てて首を振った。
「たまたま見つけたから1本もらったんだ。自分で買ってきたわけじゃないよ」
こんな風に気遣ってもらえるのはすごく嬉しいけど。
でも、闇医者には心配なんてさせたくない。
「ここに置いてあったんだよ」
タバコがあった場所を指差しながら説明したら、
「じゃあ、忘れた人が取りに来るかもしれないから、ここに置いておこうね」
闇医者はどんな風に置いてあったのか聞きながら、元通りにタバコとライターをベンチに並べた。
「人のものを勝手に取るのもダメだよ」
って怒られたけど、すぐに「まあ、一本くらいならもらっちゃっても分からないだろうけどね」って笑ってくれた。
「さあ、どこでお茶を飲もうかな?」
「あ……えっと……」
天気のいい土曜の午後。表通りの店はデパート帰りの人たちで一杯だ。
そんな中で浮浪者と間違われるような俺と一緒なのは闇医者だって恥ずかしいに違いない。
「……診療所に戻って闇医者の入れてくれた紅茶が飲みたいな」
外でお茶するよりもその方がずっといい。
もうすっかり自分ちみたいで診療所も大好きだし。
「じゃあ、ケーキを買って帰ろうか?」
優しく笑い返す闇医者を見てたら、また、なんとなく泣きたくなったけれど。
「うん。俺、チョコレートのがいいな」
ときどき空を見上げて気持ちをごまかしながら、闇医者の隣りを歩いた。
いろんな話をして、たくさん笑って。
なのに。
空がどんなに青くても、冬になりかけの街はどこかどんよりしていて。
何をしていても少し淋しくなってしまった。



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