Tomorrow is Another Day
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診療所に戻って闇医者と二人でお茶をした。
もう、あんまり真剣な話はしなくて、いつもみたいに患者モドキの話なんかをして。
「ごちそうさまでしたー」
食べた分は働こうと思って、闇医者が仕事をしている間に洗濯をして、そのあと待合室の掃除をしに行った。
喫煙場所で怪しげな患者モドキと本当の患者さんと小宮のオヤジが楽しそうに話してた。
「ねー、掃除するから、ジャマしないでね」
そう言ったら、みんなもっと隅っこによけてくれた。
ざっと掃除機をかけて、そのあと下駄箱を拭いていたらドアが開いた。
「ヨシくん、久しぶりだなあ」
中野は小宮のオヤジが話しかけてもちょっと会釈をしただけ。
何も答えずに薄いコートをひるがえしながら入ってきた。
相変わらず俺の方なんて見向きもしないで、目の前を通り過ぎる。
ケガでもしたのかと思ったけど、中野はまっすぐ患者モドキの前まで来るとおもむろに封筒を渡した。
今日もスーツとネクタイと。
冷たい目と不機嫌な顔。
ぼんやりとそれを見ていたら、薬を取りに来た本当の患者さんに話しかけられた。
「あれえ? マモル君ってタバコ吸うんだ?」
「え?」
いきなりだからちょっと驚いたけど。
公園でタバコを吸ったことを思い出して頷いた。
「だいぶ前なんだけど。まだ匂いするのかな? でも、ちょっとだけだよ」
なんだか言い訳っぽい返事をしたら、小宮のオヤジが中野の肩を叩いた。
「ヨシくん、青少年にタバコなんて教えちゃ駄目だぞ?」
中野はやっぱり返事なんてしなくて、だから代わりに俺が弁解した。
「違うよ。たまたま公園に置いてあったの1本もらっただけ。タバコは中野のせいじゃなくて」
母さんもたまに吸ってたけど、俺にはダメって言ってたから。
家を出るまでタバコなんて吸わなかった。
「一緒に住んでたヤツが吸ってて、それから吸うようになっただけで、中野のせいじゃ……」
そんなことも少しだけ思い出して、また悲しくなってしまった。
「そうか。マモルちゃんも隅に置けないねえ。それで、彼氏はどんな人だったのかな?」
弁解したせいで話も違う方向にそれてしまって。
「……彼氏なんかじゃないんだけどさ……」
なんとなく中野の方を見られなくて、言葉を濁した。
その後も言いにくそうにしていたら、小宮のオヤジにますます誤解されて、
「そんなに照れなくてもいいのになあ。ホントにマモルちゃんはかわいいよなあ」
ポンポンと頭を叩かれたりしたんだけど。
「違うって……もう、いいよ。掃除の続きしようっと」
答えるのが面倒だったからそのまま逃げた。


出入り口を掃いた後、ドアを拭いていたら闇医者がニコニコしながら近寄ってきた。
「待合室の拭き掃除もしてもらえるかな?」
「うん。いいよ」
喫煙コーナーにはまだ中野がいて。相変わらず不機嫌そうな顔で新聞を読んでいた。
「マモルくん、一緒に住んでた人って本当に彼氏じゃないの?」
俺がせっせと床を磨いてるのを見ながら、闇医者が椅子やテーブルを拭いて。
でも、その話はまだ続いているらしくて、ちょっと憂鬱になった。
「うん。違う」
手短に答えてから、テーブルの下を拭いた。
「でも一緒に住んでいたんだよね?」
なんかイヤな展開だなって思ったけど。
「うん。俺が金持ってる間だけね」
隠しても仕方ないし、もうどうでもいいことだから正直に答えた。
あっさり事実だけを答えたつもりなのに、闇医者も小宮のオヤジもちょっと驚いた顔をした。
だから、また説明しないといけなくなって。
「最初は優しかったんだけどさ、金がなくなったら追い出されちゃった」
少しだけ付け足してみた。
追い出された時はものすごくショックだったけど。
最近はいろんなことがあるから、今なら『あれくらいはたいしたことなかったな』って思うだけだ。
ただ、母さんが残してくれた金をそいつに渡してしまったことだけは、今でも一番の後悔だけど―――
それも、もう済んだこと。
今の俺にはそれよりももっと大事なことがたくさんある。
「そうなんだ。ごめんね、余計なこと聞いて」
闇医者がまた困ったような顔をするから、申し訳なくなった。
「ううん、ぜんぜん。もう忘れたし」
思い出しても仕方ない。
後悔なんてしても何も変わらないんだから。
俺にあるのは目の前のことと、せいぜい明日のことくらい。
あとは。
「……あー、もう。中野、タバコ吸いすぎ。体こわしても知らないよ?」
何度も忘れようとして、でもやっぱり忘れられないヤツのことを一生懸命考えるくらいで―――
吸殻が山になった灰皿を取り上げて、新しいのを渡した。
中野から、それに対する返事はなかったけれど。
その代わり、ぜんぜん違う質問が来た。
「男に金を貢いで逃げられたのか」
そんなはっきり聞かなくてもいいと思うんだけど。
まあ、そうなんだから仕方ないか。
「うん……逃げられたっていうか追い出されたんだけど……」
またバカだって言われるんだろうなって思って、ちょっと暗い気持ちになった。
それが嫌で掃除に集中しようと思っていたのに、また次の質問がきた。
「その金はどうやって稼いだ?」
中野が自分からしゃべってくれるのはすごく嬉しいけど、よりによって俺の過去最大の後悔の話。
でも、せっかく中野が口を利いてくれるんだからって思って。
「……自分で稼いだんじゃないよ。母さんが残してくれた金」
本当は思い出したくもない事なんだけど頑張って話した。
「そいつ、すごく優しかったんだ。俺にキスだってしなかったけど、『大事だからしないんだよ』って言われてずっと信じてた」
今でも覚えてる。
そいつに初めて会った日のこと。
母さんが死んで、その後もいろいろあって、一人ではどうにもならないくらいヘコんでいた時に拾われた。
そいつは何も聞かなかったけど、ニコニコ笑って夕飯をご馳走してくれて、初対面の俺を家に泊めてくれた。
ごく普通の会社員で、変わったところもなかったのに、1週間くらいした時、突然、『仕事が上手くいかなくて、急に金が必要になった』って言われて。
迷ったけど貯金の半分を渡した。
すぐに返すからと言われて、それも信じた。
でも、半月も経たないうちに、また金が必要だと泣きつかれて、悩んだけど、残りの半分も渡した。
「でも、ホントはちゃんとした彼女がいて。追い出される時、『男なんて好きになるわけないだろ』って言われて。それで終わり」
一人になって。
もう終わったことだからって何度も呪文みたいに繰り返して何日も過ごした。
それでも、本当のことを知るまでの間は楽しかったから。
誰かとそんな風に一緒にいられることが嬉しかったから。
それだって、できることなら全部忘れてしまいたいけど、気持ちの奥に中途半端に残って、滅入った時に限って思い出す。
「……それを考えたら、岩井のことなんてまともだよなぁ……」
好きだと言った時も、抱き締めた時も。
ちゃんと俺を見てた。
ただヤルだけじゃなくて、話したり、遊んだり、心配したりしてくれた。
別れる時だって「ごめん」って言って、金を下ろしてきてくれた。
それだって本当は俺がいけなかったかもしれないのに。
中野のことが忘れられなかったから。
岩井だってちゃんと知ってて、でも、咎めたりはしなかった。
「……みんなにバカって言われるわけだよな……」
雑巾を洗ってスリッパの裏も拭いて、ついでに中野が履いてたヤツを取り上げてそれも拭いて。
「あと、どこ掃除すればいい? ……あ、もう店に行く時間だった」
自分で話したくせに、また落ち込んでしまって。
中野の顔も闇医者の顔もまともに見られなくて、洗面所で手を洗ってそのまま出かけようとした。
「マモルくん、バイト代」
闇医者が困ったように俺を引き止めたけど。
「いいよ。いらない。たまには日頃の恩返ししないとね。じゃあ、またね」
まだ心配そうにしている闇医者と小宮のオヤジに手を振って。
それから、
「中野もまたね」
中野にも手を振って、診療所を出た。
「……みんな、バカだと思ったんだろうなぁ……」
そんな話、まともに聞いてなかったかもしれないけど。
「よく考えたら、貧乏大学生に金を取られた時もおんなじようなパターンだもんなぁ」
『何度も同じような手に引っ掛かりやがって』と中野に言われたことを思い出した。
出会った頃の中野は今よりももっとわけがわかんなくて。
でも、公園を通り過ぎるだけの中野に話しかけるのはすごく楽しかった。
今でも中野は変わってなんかいないんだろう。
ただ、俺が中野の気持ちをもっともっと欲しいと思って。
思い通りにならないから嫌になってるだけで。
「もう何回も、中野のことなんて忘れるって決めたのにな」
決めたからってどうにかなるわけじゃない。
それも嫌になるくらいわかったけど。
「……いいこと、ないよなぁ……」
冬の匂いのする風を思いっきり吸い込んで空を見上げた。
あっという間に暗くなる空と入れ替えに、裏通りにも派手なネオンが光り始めた。


溜め息をつきながら店のドアを押す。
まだ早い時間だって言うのに客が何人か座ってて、フロアには妙な熱気があった。
そのテンションについていけそうになかったけど、客にまで鬱陶しいって言われるわけにはいかないから。
「こんにちはー」
無理して笑ってみたけど。
「どうしたんだ、マモ。淋しそうな顔して。慰めてやろうか?」
北川には気づかれてしまった。
「いらない。後が大変だもん」
済んだことだから。
岩井と今度会った時には何もなかったように普通に話そう。
「なんだよ、マモ、その言い方は。いい子いい子してやってるだけだろ?」
「嘘ばっかり。俺、ちょっとわかってきたもんねー」
大丈夫だから。
もう、全部忘れてしまおうって思った。

昔のことも、今日のことも、このまま全部奥の方に押し込めて。
もう思い出さないようにしてしまおう。
ずっとそうして来たんだから。

きっと、大丈夫―――



北川がいるせいなのか珍しく店に入りきれないほど客が来て。
こんな日に限って変に忙しい。
「ほら、マモ。ボーッとしてないでライター出して」
北川に言われて、慌ててポケットを探す。
「マモルちゃん、のんびり屋さんだからね。そういうの、無理なんじゃない?」
客にからかわれたけど。
「俺だって慣れればできるようになるよ」
無理やり笑って。
無理やりはしゃいで。
こうやって、時間が過ぎるのを待っているだけ。
今日も明日も。
俺が忘れてしまうまで。
ただ、めまぐるしく過ぎて消えていけばいい。
「あ、俺、そろそろキッチンに行かないと……またね」
時計を見ながら、洗い物をしに行こうと席を立った時、店の奥に立っていた北川に手招きされた。
「なに?」
「キッチンはいいから……」
北川の目線の先に常連客。ちょっとニヤニヤしながらこっちを見てた。
「すぐに済ませて、終わったらフロアに戻って来いよ」
そんな気分じゃなかったけれど。
断われば次の仕事は回してもらえなくなる。
「……うん」
なんとか返事をしたら、北川のデスクのある部屋の鍵を渡された。
「ホテル、行きたくないってさ。必要なものはデスクの一番下の引き出しに入ってるから、適当に出して使えよ」
もう、全部がどうでもよくて。
ちらっと客に視線を投げて会釈をしてから、通路の奥に向かった。
事務室の鍵を開けてる途中、後からついて来た客に抱きしめられた。
「見た目以上に細いんだな。ちゃんとメシ食ってるのか?」
背中から羽交い絞めにされた格好のまま、服の下に手が滑り込んだ。
「……食べてるよ」
カチャッと無機質な音がしてノブが回った。
ひんやりとした部屋には売上勘定に使うデスクがあるだけで、ちゃんとしたソファさえない。
ため息を隠して、忘れないうちに引き出しから必要なものを取り出してデスクに置いた。
「あのさ、シャワー……」
俺の言葉なんて聞かずにそいつは俺を壁に押さえつけてパンツのボタンを外した。
「ちょっと、待ってって……ちゃんと、ね、ダメだから」
切れた時の痛みが蘇って、無意識のうちに背筋が粟立った。
「すぐ終わらせる約束なんだ。待ってる時間なんてないんだって」
そんなことを言われても、痛い思いをするのは嫌だったから。
「あ、じゃ、準備できるまで口でするから、ね?」
それだけはなんとかオッケーをもらって跪いた。
もたもたとベルトを外してたら、そいつは自分で前を開けて、ゴムをはめるとすぐに俺の口に含ませた。
そこはもう硬く起ち上がっていて、先から液体が溢れていた。
「……ん、っく」
頭を押さえられていたから、客の顔は見えなかったけれど。
舐め上げるたびに声が漏れたから大丈夫だと思って、その間に後ろに手を回して自分の準備を終えた。
「ね、もう、いいから、」
って言うために口を離そうとしたら、また頭を押さえられて、仕方なく1度いかせた。
「ほら、そこに手をつけよ」
冷たい机に上半身を預けて、ふうっと息を吐く。
「う、あっ……」
なんの前触れもなく無理に挿れられて、体が軋んだ。
「待って……っん、ん、」
まだ馴染んでないうちからガンガン突かれて、机に体が触れるたびにゾクリと寒気が全身を抜けていった。
「達くぞ?」
客の上ずった声が通り過ぎて、そのあとギュッと抱きしめられた。
約束通り時間はかからなかったし、俺は達くこともできなかったけど、終わったあとは異常に体がダルかった。
床に座り込んだまま、客の後始末をして。
座り込んだままパンツをはき直した。
そいつはポケットから財布を取り出して、わざとらしく笑ってから札を取り出した。
「悪い、これしか手持ちがないや。また、買ってやるから今日はこれでいいだろ?」
渡されたのは千円札2枚。
俺の顔も見ずにパラリと札を放り投げて、さっさと事務室を出ていった。
床に散らばった札。
金額がどうって言うんじゃなかったけれど。
「……『また、買ってやる』とか言われちゃってんだもんな……」
その言葉を口の中でつぶやいた時、吐き気がこみあげた。
何万って金を一晩で稼ぐことがあっても、2千円が大金だという気持ちに変わりはなかったけど。

それが自分の価値だと思いたくなかったから――――

デスクに置いてあったライターを取って、札に火をつけた。
灰皿の中であっという間に形をなくしていく紙切れを見つめながら。
悔しいのか悲しいのか、もう俺にはわからなくなってた。



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