Tomorrow is Another Day
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起きた時には広いベッドに一人きりで寝てた。
それを確認したら、急に全部が覚めてしまった。
「……中野、休みじゃなかったんだ……」
帰ってきたのも遅かったし、夜中も起きてたし、眠ったのも俺よりあとのはずなのに。
「あんまり眠ってないはずだよな……」
ため息と一緒に視線を動かすと、テーブルの上の札が目に入った。
それは確かに中野が俺を買ったということなんだけど。
抱きしめてくれた腕と目の前に置かれている金が、俺の中でどうしても結びつかなかった。
「……どうしようかな……」
金を受け取るのが嫌だった。
けど、「いい身分になったもんだな」なんて言われるのはもっと嫌だと思った。
だから、仕方なく受け取って引き出しにしまうことにした。
「もう、昼なのかぁ……」
今日は日曜で闇医者もいない。
だからと言ってこのまま中野のマンションにいる気にもなれなくて。
「……どこ行こうかなぁ……あれ?」
時計を見て、急に思い出した。
今日は昼から店に手伝いに来いって北川に言われていたこと。
「やば……遅刻したらまたお仕置きとか言われそうだよな」
それはイヤだったから、ダッシュで着替えて走って店まで行った。


「こんにちはー」
息を切らしてドアを開けたのが約束の3分前。
けど、北川はいなかった。
いたのは俺よりも4つ上のバイト仲間で、そいつは北川のお気に入りだ。
俺が言うのもなんだけど、顔が動物みたいでかわいい。
「ね、呼ばれたのって二人だけなの?」
普通に店に出るんだと思ってたから、ちょっと驚いた。
「エイジさんも来るって言ってたけど。どうせ寝坊だろ。昨日も遅くまで客取ってたらしいから」
「ふうん」
エイジってヤツのことは知らなかったけど、とにかく呼ばれたのは3人だけらしい。
「オーナーは?」
キョロキョロしてたら、北川が笑いながら出てきた。
「よ、マモ。今日はサボるなよ?」
「え?」
すっかり忘れていたんだけど。
そう言えば、俺、昨日は途中で抜け出して帰っちゃったんだ。
「まあ、客の相手はしたみたいだし、怒るつもりはないけどな。そういう時は自分で『帰りたい』って言いに来いよ」
ってことは、中野はちゃんと北川に伝えてくれたんだな。
「ごめんなさい……なんか、ダルくなっちゃって……」
言い訳っぽいけど。でも、嘘じゃないもんな。
「それにしても、中野も勝手なヤツだよなぁ。いくら自分の持ち物でもバイト中のマモを勝手に連れて帰るってどういうことだよ」
中野が俺を連れて帰ったわけじゃないのに。
北川はちょっと誤解してた。
「あのさー、俺が途中でイヤになって帰ったんだよ?」
中野が悪いと思われちゃいけないから、ちゃんと説明したのに。
「まあ、そんなことはどうでもいいけどな……それより今日は最後までやってけよ?」
北川にはあんまり聞いてもらえなかった。
「うん。でも、何すんの?」
そう言ったら、北川がフロアの隅っこに用意されていた掃除用具を指差した。
年末の「カキイレドキ」を前に大掃除をするらしい。
「でも、今日呼ばれたのって変な組み合わせだよね?」
掃除が好きそうなヤツを選んだのかな。
でも、寝坊するようなヤツは掃除も好きじゃないような気がするんだけど。
「ま、そんなことにはこだわるな。いいから、しっかり働けよ」
北川がニヤニヤ笑いながらタバコに火をつけた。
もちろん自分は見ているだけだ。
「じゃあ、マモル、さっさとやろう」
見るからに大変そうだったけど、仕方がない。
二人で一緒にフロアから始めた。
ホコリを落として、棚やテーブルや椅子を軽く拭いて、掃除機をかけて、床を磨いて。
二人で一生懸命やってたのに、一時間くらいしたら北川が俺を誘いに来た。
「マモ。ちょっと休憩して昨日のお仕置きしてやるから隣の部屋に来いよ」
どうせそんなことだろうって思ってたけど。
「俺、掃除の方がいい」
そう答えたら、
「じゃ、店が引けてから朝までゆっくりやるか。俺はそれでもいいけどな」
そう言い残してあっさりともう一人のヤツに声をかけに行った。
店が終わってからの方がヤダなって思いながらも掃除を続けてたら、北川ともう一人のバイトは「奥の部屋の掃除をしてくる」とか言っていなくなってしまった。
「……絶対に掃除なんてしてないと思うんだけど」
そんなこと言っても仕方ないし。
「いいもんね。俺一人で大丈夫だし、あとちょっとだし、掃除の方が好きだし」
ムキになって頑張ったから、一時間くらいで隅々までキレイになった。
「いいじゃん、ピカピカ」
これなら北川だってOKって言うだろうって自己満足に浸っていたら、ドアが開いて誰かが入ってきた。
「マモル君、だったよね?」
そいつには見覚えがあった。
俺が初めて中野に会った日に一緒にいたヤツだ。
「……うん」
診療所の工事の時も来てたけど。
俺が覚えていたのは、こいつは中野のことを好きなんだろうって思ったことと、ちょっとやな感じだなって思ったことだけだった。
怪訝そうに見上げていたら、そいつはちょっと意味ありげに笑って俺の前に立った。
「掃除、もう終わったんだ?」
「うん。フロアはね」
「北川さんは?」
「奥の部屋の掃除してる」
絶対してないと思うけど、一応、そう答えた。
「そう」
そいつはニヤニヤ笑いのまま、また前に会った時と同じことを聞いた。
「中野さん、元気?」
なんでそんなこと俺に聞くんだろうって思って。
「……別に普通だよ」
答えながら、なんとなく嫌な気分になった。
「まだ中野さんちで子猫ちゃんしてるの?」
全体的にバカにされてるみたいな感じだったから、子猫ちゃんってなんだよって言いたくなったけど。
返事をしないでいたら、そいつはまたクスッと笑った。
「今日中に中野さんに会いたいんだけど、彼、何時に家に帰ってくるかな?」
手に持ってた手帳くらいの大きさの封筒をヒラヒラさせながら俺に聞いた。
「……知らないよ」
そんなことまで俺が知ってるわけないじゃん。
「電話かけて聞いてもらえない?」
なんで俺がそんなことしなきゃいけないわけ?
「自分でかければ?」
「番号、知らないんだ。教えてもらえる?」
そう言われて、うっかり中野の番号を答えそうになったけど。
でも、普通はそういうの、勝手に教えちゃいけないんだよな。
「……だめ」
それでもそいつは笑ったままで、
「もしかしてヤキモチ? 仕事のことなのに、そんな理由で教えてくれないのはひどいんじゃないかな?」
ちょっと呆れたように肩をすくめた。
それから、「まあ、まだ子供だから、仕方ないかな」なんて言われて、ちょっとムカついた。
もう何の返事もしないもんね、って思っていたんだけど。
「今日会えないと中野さんもきっと困ると思うんだけどな」
そんな言い方をされて、ちょっと「うっ」って思った。
中野が困るのは俺だって嫌だ。
「……ホントに仕事のことなの?」
「そうだよ」
「でも、中野と仲いいんだったら仕事場に直接行けばいいじゃん」
そうだよ。診療所の斜め向かいのビルで働いてるんだから、歩いていってもすぐだ。
「でもね……中野さんもなんて言うか、いろいろあるでしょう? 人目につかないように会わないといけないんだよ」
俺にはわかんないと思って、そんな言い方をして。
しかも。
「マモル君も気を付けないとね」
「なにを?」
なんか気になるようなことばっかり言うし。
「だから、いろいろだよ。北川さんとか中野さんにも気をつけた方がいいかもね」
北川には気をつけてるけど。
「中野は大丈夫だよ」
でも、そいつは俺の反論なんて笑って流して。
「でも、中野さんに売られちゃったんだよね? まあ、売られた先が北川さんのところでよかったとは思うけど」
その言葉にカチンと来た。
「中野は俺を売ったわけじゃ……」
最初に北川に紹介したとき、中野は金なんて受け取ってなかった。
北川が渡した金だってそのまま全部俺にくれたんだから。
「ふうん。マモル君がそう思ってるなら、それでもいいけど?」
ますます協力してあげるのなんて嫌だと思った。
でも。
「僕はいいけど。中野さん、困るだろうな」
何度もそう言われて、結局断れなくて。
「じゃあ、俺が中野に電話する。何時に帰ってくるか聞けばいいんだろ?」
「うん、そう。でも、できればどこかで会いたいって伝えて」
そいつが自分の携帯を差し出したんだけど。
なんとなくそれを借りるのがイヤだったから。
「オーナーに言って店の電話借りようっと」
北川が遊んでると思われる部屋のドアをノックした。
「電話?」
中途半端に服を着た状態で出てきた北川はちょっと不機嫌そうだったけど。
「中野にかけるんだ」
そう言ったら、「ああ」って言って事務室の鍵を渡してくれた。
「いいの?」
一応、確認したら。
「中野じゃ長電話になりようがないからな」
北川がニヤニヤ笑いながら俺の頭をなでた。
「あ、マモ。ついでに事務室も掃除しておけよ」
電話を快く貸してくれたのもそれが理由なんだなって思って、ついでにホントはもう疲れちゃったなと思ったんだけど。
これもバイトだから、やっぱり嫌とも言えず。
「うん」
仕方なくうなずいた。
どうせ事務室はあんまり散らかってないし、すぐに終わるもんなって思ったら。
「僕も手伝うから」
今度はエイジがそう言って俺の頭をなでた。
「もう、みんなで頭なでるのやめてよ」
これが闇医者なら嬉しいし、小宮のオヤジや患者モドキだったらなんとも思わないんだけど。
コイツになでられるのはなんとなく嫌だった。
「じゃあ、かけてくるから。そこから中に入ってこないでね」
事務室の戸口に立ってこっちを見てるエイジに背中を向けて電話をかけた。
「中野、出るかな……」
ボタンを押しながら、ふいに前にかけた時のことを思い出してギュッと胸が痛くなった。
それはアイツと別れた日で。
何度かけても中野は電話に出なかった。
「仕事中かなぁ……あれ、でも今日って日曜だった?」
ってことは、ただ出かけただけかもしれない。
ちょっとドキドキしたけど電話はわりとすぐにつながった。
でも、たまに雑音が入る以外は何も聞こえなくて、しかも、つながったきり向こうからは何にも言ってくれなくて。
「あの、」
俺もなんて話しはじめたらいいのか分からなくて、ドキドキしながらそう言ったら、『なんだ、おまえか』って呆れたような中野の声が聞こえてきた。
そんなに忙しそうな感じでもなかったけど。
後ろを振り返ったらエイジが笑ってて、会話を聞かれてるのが嫌だったから用件だけをさっさと伝えた。
「うん、どうしても今日なんだって。エイジって人、知ってる?」
最初に会った時だって一緒にいたんだから、そりゃあ知ってるよなって思ったけど。
中野は面倒くさそうに『ああ』って答えて、ついでに『8時に北川の事務所に来いって言っておけ』って言った後ですぐに電話を切ってしまった。
「……ちぇー。もうちょっと話したかったのにな」
でも、実は忙しいのかもしれないし。そう思ってガマンした。
「中野さん、なんだって?」
受話器を置いたときエイジはすぐ後ろまで来てて、しかも、まだニヤニヤ笑ってた。
「8時にオーナーの事務所に来いって」
なんとなく面白くなかったんだけど、仕方ないのでちゃんと伝えた。
そしたら。
「マモル君っていい子だよね」と言いながら俺を抱き寄せてほっぺにキスをして。
そのあと笑いながら耳元でささやいた。
「今夜は中野さん、借りるからね」
その言葉にズキンと胸が痛くなった。



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