Tomorrow is Another Day
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「……え?」
ちゃんと聞こえていたけど、つい聞き返してしまった。
「朝まで一緒にいる予定だから、マモル君は北川さんのところに泊めてもらって」
微笑んだまま「ね?」って念を押されたけど、返事はできなかった。
こいつは最初に会ったときも中野と一緒だったから、いまさら確認しなくてもどんな関係かってことくらいわかってる。
でも。

――――イヤだ……

口元まででかかった言葉を飲み込んで、まだ笑ってるそいつを見上げた。
「じゃあ、早く掃除を終わらせようよ。マモル君、向こうからバケツを持ってきて。僕は先にこの辺を片付けてるから」
中野は俺のものじゃない。
そんなこと、わかってるはずなのに。
「……う、ん」
すっきりしない気持ちのままで、言われた通りにバケツを取りにいった。
フロアではまだ北川がもう一人のバイトとベタベタしてた。
「マモ、中野のご機嫌はどうだった?」
ニヤニヤしながら聞かれて。
「……普通」
思いっきり不機嫌にそれだけ答えたら手招きされた。
「マモも一緒にどうだ?」
ここで遊んでいけってことらしいけど。
「俺、まだ事務室の掃除やってないし」
そんな気分じゃないし。
やらしくあちこち撫で回す北川の手を逃れて、エイジのところに戻った。
「持ってきたよ」
勢いよくドアを開けたら、エイジはなんだか慌てた様子で振り返って小さな紙をポケットにしまった。
それから、部屋の隅を指差した。
「マモル君、それ」
そこには書類が散らばってて。
「さっき落としちゃって。悪いんだけどそろえてもらえるかな?」
自分でやればいいのに、ってちょっと思ったけど。
さっさと掃除を終わらせたかったから「いいよ」って答えた。
俺、人の好き嫌いはない方だと思うんだけど。
どんなに頑張っても、こいつはあんまり好きになれそうもないって思った。


結局そのまま夕方まであれこれ手伝わされて。
「綺麗になるもんだな。マモにはバイト代上乗せしておいてやるよ」
北川の機嫌がよかったので少し早めに店を開けることになった。
「あ、マモ、フロアに出る気がないならキッチンも大掃除しておけよ」
北川に言われて「うん」と返事をした。
お客の相手をするよるもずっとバイト代が安かったとしても、掃除の方が気楽でいい。
「ついでに倉庫と通路、非常階段の前もな」
さすがにさっきまでバイトといちゃいちゃしてた奥の部屋の掃除をしろとは言わなかったけど。
「オーナーって人使い荒い」
ちょっと疲れたなって思いながら、一人で薄暗い非常階段を掃除した。
なんとなく腕や足が筋肉痛になりかけてたんだけど。
ついつい頑張りすぎて、掃除はわりと早く終わってしまった。
「あーあ、終わっちゃった。でも、フロアに行くのはやだなぁ……」
客の相手も北川の相手も全部やだって思って。
でも終了時間までは何かしてないといけないから、キッチンへ戻って冷蔵庫の中まできれいにした。
賞味期限のチェックまでして氷を大量に作って、グラスを磨いて。
なのに、バイト時間はまだ残ってた。
「でも、もうやることなくなっちゃったんだよなぁ」
だからと言ってここでぼんやりしてたら怒られるだろうし。
「どうしよう?」
そう思っていたら、ドアが開いた。
「マモル君、北川さんが呼んでるよ」
顔を出したのはエイジだった。
「……うん。今、行く」
脇をすり抜けようとしたら、腕をつかまれた。
「今日は中野さんのマンションには来ないでよ?」
またしても念を押されて。
「わかってるよ」
いやいやながらにそう答えた。
それから、振り返らずに北川のところへ走っていった。


フロアに出て30分だけ客の話相手をして、時間になったから公園に帰ろうと思ったけど。
「俺が行くまで奥の部屋の掃除してろよ。手抜きでいいからな」
意味ありげな笑いとともに鍵を渡された。
「えー……でもさ……」
ものすごく気が乗らなかったから、断ろうと思ったんだけど。
「今日はエイジが中野のマンションに泊まるんだろ?」
北川がニヤニヤ笑いながら俺の肩を抱いた。
「マモが風邪なんて引いたら啓ちゃんが心配するから、事務所に泊めてやるよ。な?」
そう言われて、ちらっと闇医者の顔が浮かんだ。
俺がカゼを引いたら、またすごく心配するだろう。
「……うん」
いつものことなんだから、ちょっとだけガマンすればいいだけだって自分に言い聞かせて。
「じゃあさ、もう一回電話貸して」
北川の許可をもらって中野の番号を押した。
「あのさー、今日ね、北川の事務所に泊めてもらうことにしたから」
そう言ったとき、中野からの返事は『ああ』の一言だけだった。
でも、電話を切る前に、
『朝までちゃんと北川のところにいろよ』
そう念を押された。
それはきっと俺がマンションに戻ってくると困るからなんだろう。
「……うん」
返事はしたけれど。


―――中野さん、借りるね


エイジの言葉が何度も過って。
受話器を置いた後、少しだけ泣いた。



「掃除、しなきゃ……」
北川に言われたとおり奥の部屋を片づけようと思って、モップとかいろいろ持っていったんだけど。
俺より先に北川が来てた。
「なんだマモ、死にそうな顔して」
北川は他人のことなんてどうでもいいって思ってるくせに、ほんのちょっとのことにも案外敏感だった。
「……オーナーってたまに変なとこに気がつくよね」
「客商売なんだから当然だろ?」
笑いながら俺を膝に乗せた。
「中野は今頃エイジとよろしくやってるんだから、マモも遠慮することないって」
北川は俺がなんにも言わなくても全部わかってた。
「……そうだけどさ……」
どんよりしてる俺の服を笑いながら脱がせて。
それから、無理やり自分の方に俺の顔を向けた。
「ほら、来いよ。最初はどうするんだっけ?」
研修と言ってあれこれやらされた時と同じ。
キスから順番に。
教わった通り、間違えないように。
「少しはマシになったな。まあ、ヘタはヘタなりに可愛かったけど」
延々と続く行為。
いつもならそれなりに話したりするんだけど。
「なんだ、マモ。人形じゃないんだから、ぼんやりしてないでもっと真面目にやれよ」
別に怒ってるわけじゃなかったし、いつと一緒でニヤニヤ笑ってたけど。
「……ごめんなさい」
謝ったら、「仕方ないな」と言って早めに事務所に連れていかれた。
そのあとも、「30分だけ付き合え」って言われて。
「うん」
返事はしたものの、気持ちがどこかに飛んでた。
たった30分。でも、ひどく長く感じられて。数分ごとに時計の針を気にしながら重い気持ちでやり過ごした。


北川の隣で、眠っているのか起きているのかわからないまま一晩を過ごして。
朝早く、ぼんやりしたまま診療所に向かった。
闇医者と話がしたかった。話せば少し気持ちが楽になりそうな気がした。
なのに。
「え、いないの?」
診療所は開いていたけど、いたのは小宮のオヤジと飲み仲間の患者モドキだけだった。
「土曜の夜からだったかなあ。なんでも親戚に不幸があったからって」
「そうそう。3、4日帰らないかもって言ってたよ。マモルちゃんも淋しいねえ」
闇医者がいない間は小宮のオヤジが留守番をすることになってるらしい。
「そっかぁ……」
ため息をついてしまいそうだった。
闇医者に会いたかったのに。
「マモルちゃん、お茶してくかい?」
誘ってくれたけど、そんな気分になれなくて。
「ううん、いい。じゃあ、またね」
手を振って通路に出た。
「……屋上、行こうかな」
天気もよくて空もまあまあ青い。
少しは気分もよくなるかもって思ってエレベーターに乗った。
でも、ドアを開けるといきなり冷たい風が肌を刺した。
「うわ、寒……っ」
それだけで、またちょっと下がり気味で。
でも、考え事をはじめたら、すぐに寒さも感じなくなった。
「……中野、昨日、エイジと寝たのかなぁ……」
ビルの隙間から見える大通り。
走りぬけていく車や人。
それを何度か見送った後、フェンスから身を乗り出して、わずかに日が差し込む裏路地を眺めた。
斜め前のビルの下には相変わらず白い花が供えられていて、それがなんだか淋しそうに見えた。
「ここから落ちたら、死んじゃうのかな……」
飛び降りてもふわりと空気に乗れそうな気がするのに。
不思議だよなって思ってたら、不意に動けなくなった。
「……へ……??」
びっくりしながら確認したら、俺の体に誰かの腕が回ってて。
顔だけ振り返ったら中野が立ってた。
「どうしたの??」
仕事中のはずなのに。
不機嫌な顔で俺を見下ろしていた。
「落ちるぞ」
そんな言葉を言っているとは思えないくらい心配なんてしてなさそうな口調だった。
「大丈夫だよ。手すりにつかまってるし」
柵の高さは俺の胸のあたり。
中野くらいの背があれば簡単に越えられそうだけど、どう考えても俺にはちょっと無理だと思うのに、中野は俺の体に回していた腕を解いてはくれなかった。
コートも上着も着ていない中野の体温が俺の背中に伝わってきて、温かくて気持ちよくて。
そしたら、なんだか急に眠くなってしまった。
「中野、あったかいー……」
つぶやいたとたんにアクビが出て。
「寝てないのか」
頭の後ろから中野の呆れ声が聞こえた。
「……うん、あんまり」
別に朝までやってたとかじゃないんだけど、エイジのことが気になって眠れなかったから。
もう一度アクビをしたら、中野の手が俺をフェンスから引き剥がした。
「帰るぞ」
「え?」
なんでそうなるのかよく分かってなかったんだけど。
なんとなくズルズルと引っ張られてマンションに連れていかれた。
その状態のままバスルームに押し込まれて、とりあえずシャワーを浴びて出てきたら、まだちゃんと体も拭いてないのにベッドに運ばれて。
「うわっ……」
中野はいつもよりもちょっと機嫌が悪かったみたいで、久々に手荒な扱いをされてしまった。
「んん、痛いよ……う……っく……」
ダメだって言ったのに、キスマークをつけられて。
「……ね、中野」
エイジにもつけたのかなって思ったら、また悲しくなって。
「昨日もそうした?」
聞いちゃいけないって思ったけど、気がついたら口から出てた。
「なんの話だ」
中野は不機嫌な表情のままで俺をチラッと見たけど。
「……なんでもない」
そう言ったらもっと嫌な顔をした。
そのあとはずっと沈黙が流れて。
こんな状況なんだから、もっとピリピリしてもよさそうなのに、寝不足のせいでなんだかぼんやりしてしまった。
「……ね、中野、仕事大丈夫なの?」
いくらぼーっとしてても、そのくらいは聞いておかなくちゃって思ったんだけど。
「忙しかったら帰って来ねえよ」
返ってきたのはやっぱりそっけない返事。
でも、別に機嫌は悪くなさそうだった。
「……そうだけど」
中野から視線を外して部屋を見回す。
開け放たれたカーテンからは、まだ午前中の日差しが入り込んでいて、なんだかすごく不思議な感じがした。
今日はこのまま一緒にいられるのかなって思って。
「じゃあ、このあと何する?」
ちょっと嬉しくなって聞いてみたんだけど。
「いいから黙って寝てろ」
頭まで布団を掛けられてしまった。
「ちぇ……」
ちょっと不満な気持ちもあったけど。
布団の中は暖かくて気持ちよかったから。
タバコに火をつける中野の気配を感じながら、そのまま中で丸くなってた。
寝るまでずっとそうしていようって思ったんだけど。
なんとなく酸素が足りなくなって、苦しかったからちょっとだけ顔を出した。
でも、すぐに中野に見つかって。
「寝てろって言ってるだろ」
やっぱり怒られたけど。
タバコの匂いと中野の体温と、カーテンも閉めていない明るい部屋。
「……うん。おやすみ」
少し楽しい気分でまた布団にもぐりこんだ。
目を閉じたら中野の横顔だけが残ってて。
すごくいい夢が見られそうな気がした。



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