Tomorrow is Another Day
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ぐっすり眠って、おなかがすいて目が覚めた。
もう夕方だった。
いつもなら俺が起きるといなくなってる中野が、今日はちゃんと部屋にいた。
「ね、中野、お昼食べた?」
そう聞いたら「当たり前だろ」と言われたのはちょっとショックだったけど。
「……そうなんだぁ……がっかり……」
落ち込んでたら、「好きなものを買ってこい」って言われて、金を渡されて。
「中野の分もだよね?」
中野が何を好きかなんて知らなかったけど、適当に買ってきて夜になってから一緒に食べた。
「ね、明日はちゃんと仕事なの? 俺、バイト早く帰ってきたら、また一緒に食べられる?」
話しかけても返事をしてくれないのはいつものことだけど。
「テレビ見てもいい? あ、俺も新聞読もうかなぁ」
何をしても怒られなくて。
しかも、なんとなくこのまま泊めてくれそうな気配だったから、こっそり喜んだ。
「でねー、昨日、店の大掃除をしてて北川がもう一人のバイトと……あ、中野、電話だよ?」
話してる途中でカーペットの上に投げ出されていた携帯がブルブル震えた。
「はい」って言って渡したら、中野はそれを無言で受け取ってすぐに出て。
そのあと十秒くらい耳に当ててたけど。
何も話さないうちに俺に返した。
「へ? なに??」
よくわからないまま出てみたら。
『マモル君、もうご飯食べたの?』
闇医者の声だった。
「うん。中野と一緒に食べた」
それはちょっと自慢ぽかったかなって思ったけど。
闇医者は笑ってただけだった。
『よかったね。じゃあ、今日は中野さんちに泊めてもらえるんだね?』
「うん……たぶん」
中野がいいって言ったらだけど。
でも、きっといつもとおんなじで何も言わないんだろうな。
「ね、闇医者、何の用だったの?」
中野にかけてきた電話なのに、すぐにかわっちゃってよかったのかなって少し心配したんだけど。
『さっき天気予報見てたらね、東京は今日雨が降るって言うから。マモル君が濡れちゃうと可哀相だなって思って。それで中野さんに電話してみたんだよ』
闇医者はいつもの優しい声で、もう一度『泊めてもらえるなら安心だね』って言った。
「闇医者、どこからかけてるの?」
そう言えば出かけてるはずなのに、もう帰ってきたのかなって思ったけど。
『お葬式があって札幌の親戚のところにいるんだよ』
って答えた。
「なのに俺のこと心配してかけてくれたの?」
そんな遠くにいるのに?
『風邪引かないように早く寝るんだよ?』
やっぱり闇医者は優しくて。
「うん。ありがと。話せてよかったぁ」
だって、今日は闇医者と話したくて診療所に行ったのに。
会えなくてすごくがっかりしたんだ。
『何か話したいことがあったの?』
そう言われて思い出したけど。
「うん、でもそれはもう良くなった」
エイジとのこと、中野にはちゃんと聞けてないけど。
一日一緒にいて、一緒にご飯を食べて。
だから、もうあんまり気にならなくなってた。
『そう。じゃあ、帰ったらまたゆっくり話そうね。お土産買っていくから待ってて』
闇医者が早く帰ってくればいいなって思ったから、元気よく返事をした。
「うん。俺、お土産もらうのはじめてかもー」
電話を切るのはちょっと寂しかったんだけど、あんまり長電話するのも悪いから。
「ね、中野とかわらなくていいの?」
それだけ確認してみた。
闇医者に『じゃあ、ちょっとだけ』って言われて、
「中野、闇医者が話したいって」
新聞を読んでいた中野に携帯を返した。
中野はちゃんと携帯を受け取ったけど、その後もずっと無言で。
最後に一回『ああ』って言っただけで「ピッ」と切ってしまった。
「ねー、それでちゃんと話せてるのー?」
すごく疑問なんだけど。
でも、大丈夫らしい。
……なんか不思議だ。
「まあ、いっかぁ」
闇医者はきっと気にしてないんだろう。
『中野さん、ぜんぜん話さないよね』なんてたまに言う時があるけど、それだってなんだかとても余裕な感じで、思い出しながら楽しそうに笑ってるし。
「闇医者ってすごいよなー」
俺もそうなれたらいいんだけど、やっぱり返事はして欲しいって思ってしまう。
「ね、もう寝る?」
だから、何かと話しかけてみるんだけど、やっぱ無視された。
でも、今日は中野と一緒にいられたし。闇医者とも話せたし。
「なんか、いい一日だったなぁ」
はしゃぎながら意味もなく新聞をめくって。
その間も中野はソファに座って別の新聞を読んでいた。
返事もしなければ俺の方を見ることもない。
「でも、ぜんぜんいいもんね」
こうして一緒にいられることが楽しくて、嬉しくて。
床に座り込んだまま広告を四角に切って鶴を折り始めたら、中野はさっさと寝室に行ってしまった。
あわててその辺を片付けて、後を追いかけて。
それから、同じベッドに滑り込んで。
「今日、二回目だけど」
また「おやすみ」を言って。
こんな日がずっと続けばいいと思いながら、いつもよりちょっとだけ中野の近くに寄って眠った。



翌日もいい気分で目を覚まして。
中野に「おはよう」を言って、顔を洗った。
けっこう急いで着替えてみたものの、時計を見たらすっごく早い時間だった。
中野は朝からご飯も食べずにタバコを吸っていたけど、途中でおもむろに玄関に向かった。
「中野、どこいくの?」
まだスーツに着替えてなかったから、仕事じゃないってことは分かったんだけど。
「ね、ついていっていい?」
返事をしてもらえないまま一緒に部屋を出た。
「うわ、寒っ……」
闇医者が言っていた通り、夜中に雨が降ったみたいで道路はすっかり濡れていた。
「ね、中野。見て見て。もう息が白いよ」
はあっと息を吐き出してから、中野に追いつくように少し走った。
「でも、泊めてもらってよかったなぁ。闇医者がいないのにカゼなんて引けないし……中野、カゼ引いたことある?」
それまで知らん顔していた中野がそこでちょっとだけ振り返った。
眉間にしわを寄せたままで、少しため息みたいな呼吸をして。
「……朝からうるさいヤツだな」
すごく呆れたみたいにそう言った。
「じゃあ、黙ってる」
中野が歩いている方向からすると、行き先はコンビニだろうって思ったから。
「もしかしてまたタバコ買うの? それとも朝ご飯?……あ、俺、金持ってくるの忘れた」
そう言ったら。
「いいから黙ってろ」
やっぱり怒られた。
でも、コンビニでタバコを買うついでに俺の朝ごはんも買ってくれた。
「飲むものはいらねえのかよ」
おにぎり二個を大事に持ってたら中野はまたちょっと呆れてたんだけど。
「水道の水でいい」
そう答えたら、お茶を買ってくれた。
昨日から中野はちょっと優しい。
どうしたんだろう……って思ったけど。
これって、実は昨日の朝とかに闇医者が中野に電話してくれたのかも。
「うん、きっとそうだ。闇医者、優しいー」
そう言いながら、帰り道におにぎりを食べた。
闇医者なら「お行儀が悪い」って言いそうな気がするけど。
中野はそんなことどうでもよさそうだった。
俺のことなんて振り向きもしないで、さっさと信号を渡ってしまった。
でも、マンションの玄関で俺が来るのを待っててくれた。


「ただいまー」
もう、ヌイグルミはいないんだけど、そう言って入るのがくせになってた。
中野もいちいちそんなことに反応しなくなってた。
新聞を広げた中野の横で残りのおにぎりを食べて、そのあとグルッと部屋を一周した。
リビングとベッドルームはまあまあキレイだったけど、廊下の隅とかキッチンにはちょっとホコリが溜まってた。
「ね、中野、掃除してないの?」
もちろん、返事なんてないんだけど。
「俺、してあげようか? ほら、アイツの部屋だってもうナンにもないんだろ? そしたら、床も拭いてピカピカにしてあげるよ?」
気分がいいから張り切って掃除しようって思って、走ってアイツの部屋の前まで言って、ドアノブに手を掛けたら。
「触るなと言ったはずだ」
中野のキツイ口調が背中に響いた。
いきなり怒鳴られると思わなかったから、ずごくびっくりして。
しばらく中野の方を見る気力もなくて、呆然としてたけど。
ようやく振り返った時、中野はもう俺に背中を向けて、不機嫌そうな顔で新聞に視線を落としていた。
「……ごめ……んね……」
なんて言ったらいいのかわからなくて、とりあえず謝ってみたけど。
なんで怒られたのかを考えたら、涙が出そうになった。


アイツがいなくなって。
アイツの物なんか何にもなくなっても、ここはアイツの部屋。
だから。
俺には触らせない。


わかっていたはずなのに。
楽しくて浮かれてたから、すっかり忘れていた。
アイツのことも。
悲しい気持ちも。
急にいろいろ思い出して。
「……ごめんね」
もう一度謝って歯を食いしばって。
そのままバスルームに駆け込んだ。

ドアを閉める時、少しだけ振り返ったら、中野はもう新聞なんて見てなくて。
やっぱり、遠い目で窓の外を眺めてた。
俺がいてもいなくても中野は変わらない。
きっと、この先ずっと俺のことなんて見ない。
わかってるって何度も自分に言い聞かせたのに。
何度泣いても、悲しい気持ちに慣れていかなくて。

バスルームの隅に座り込んで丸くなった。
涙はなかなか止まらなくて、自分でも嫌になった。
ようやく泣き止んだ後、シャツで顔を拭いてリビングに戻った。


俺が戻った時も、中野はまだ同じ場所に立っていた。
「あのさ、中野」
答えない。
振り向かない。
「アイツが帰ってきますようにっていうお祈りは効かなかったけどさ、」
それでも、話し続ける。
「前にね、闇医者と話したんだ」
ここに俺がいるってことに気付いて欲しくて。
「人生最後のお願いなら叶えてくれるよねって……だから、その時はアイツなんかよりずっと可愛い恋人ができるようにって、お祈りしてあげるよ」
俺の言葉なんて中野の耳には入らずに消えていくだけ。
でも。
言葉が途切れたら、自分がなんでここにいるのかわからなくなりそうで。
「中野のこと一番大事にしてくれて、中野が死ぬまでずっと側にいてくれる優しくて可愛いヤツがみつかるようにって、ね?」
楽しかった時間まで全部消えてしまうのが悲しくて。
ほんの少しでいいから振り向いて欲しくて。
「だからアイツのことは忘れて元気出しなよ」
窓の外から、一瞬、視線を戻してくれるだけでいいのに。
無表情な中野の横顔は、ときどき瞬きをするだけで、あとは止まっていた。
「えっと……それから……」
沈黙が長くならないように。
急いで次の言葉を捜す。
でも、何も思いつかないくて、開いたままの唇が乾いていく。
「あ、あのさ……」
続ける言葉なんてなかったけれど、必死で繋ごうとしていたら。
あんなに泣いた後なのに、また涙がこぼれた。
それを隠そうとして顔を逸らした時、中野がゆっくり振り返った。
「おまえが俺よりも早く死ぬわけないだろ」
心底呆れたように。
でも、ちゃんと俺の顔を見てそう言った。
「……そんなの、わかんないじゃん。だって、俺、」
俺の腕を掴んで、言いかけた唇を乱暴に塞いで。
その後、何も言わずに部屋を出ていった。


それも、いつもと同じ。
だけど。
少しだけ、どこかが違うような気がした。



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