Tomorrow is Another Day
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俺の「ありがとう」に対して、中野は何の返事もしてくれなかったけど。
もう、そんなことはどうでもよく思えた。
「……なんか、昨日からいいこといっぱいあるなぁ……」
一人で笑ってたら、中野は呆れたみたいにちらっとこっちを見て。
「夜中にその辺をウロウロしてんじゃねえぞ」
それだけ言ってまた煙を吐いた。
「……うん」
ほかにも何か言うのかなって思ったけど。
注意事項はそれだけで、あとはずっと沈黙だった。
その間、俺は手の中ですっかり温まった鍵を何度も見つめて、また嬉しくなって。
まだなんとなく信じられない気持ちもあったけど。
「……じゃあ、俺も起きようかな」
のそのそとベッドを這い出して、顔も洗わずにキッチンへ向かうとすぐにガサガサとゴミ箱やテーブルを漁ってみた。
「何をしてるんだ」
中野の不機嫌な声が届いたけど。
「これ付けるヒモ、ないかなと思って」
手の中にすっぽり入ってしまうような小さなものだから、このままにしておくと、きっとすぐにどこかに行ってしまう。とにかく、少しでも目立つようにしておかないと。
そう思って真剣に探したけど、家ではあんまりご飯も食べない中野のキッチンにはビニールのヒモさえ見あたらなかった。
「う〜……ないなぁ」
がっかりしてたら、中野がシンクの上の棚を開けた。
「外して持っていけよ」
そう言われても背が低い俺からはなんにも見えなかった。
「うん」
一応返事をして、ダイニングテーブルの椅子を引きずって来た。
その上に乗って棚を見たら、ラッピングされた細長い箱がたくさん並んでた。
「中味、なに?」
プレゼントしてもらったものだと思うのに開けた様子もなくて、しかも、こんなところに置き去りだし。
「酒だろ」
中野は本当にどうでもよさそうだった。
「せっかくもらったんだから飲めばいいのに」
そう言ってみたけど。
よく考えたら、中野が家で飲むのはビールくらいで、こういう酒を飲んでるところは見たことがなかった。
でも、一度だけ。
アイツと別れたときに一人で飲んでたっけ―――
思い出すと今でもちょっと悲しくて。
でも、忘れるために首を振って手の中の鍵に目をやった。
「……飲まないなら、誰かにあげちゃえばいいのに」
椅子の上で背伸びをしてよく見たら、ずらりと並んだ箱やボトルの間にはいくつも不自然な隙間があった。
自分で飲んだのか、誰かにあげたのかはわからないけど。
「な、ちょっと飲んでいい?」
どうせ返事なんてないと思って、なんとなく言ったら。
「朝から酒なんて飲んでんじゃねえよ」
マジで怒られてしまった。
……いつもは返事なんてしないくせに、なんでこういう時だけちゃんと反応するんだろ。
「じゃあ、リボンだけでいいもんね」
口を尖らせながら、ボトルに手を伸ばした。
リボンなんてプレゼントのおまけなんだから、安っぽいカサカサの布でできてるものだとばっかり思ってたのに。
中野んちにあるのはロゴが入っていたり、縁取りがあったり。
「なんか高そうだよなぁ……」
ツヤツヤで、柔らかくて、色もいろんなのがあった。
「どれでも好きなの、もらっていいの?」
返事はなかったけど、それはいいってことなんだろう。
「何色がいいかなぁ」
赤やピンクなら目立っていいかなって思ったんだけど、それは手触りがあんまりよくなかった。
「う〜ん……迷うなぁ……」
結局、端から全部触ってみて、一番すべすべしたヤツに決めた。
「これにしようっと」
濃い紺色のリボンはなんとなく上品で、俺には不似合いかなって思ったけど。
「でも、中野んちの鍵だもんな」
とっても大事なんだから、これくらいキレイじゃないと。
そっと箱を下ろして丁寧にリボンを外した。
それから、長いリボンをちょっとだけ切った。
「……こんなもんかな?」
くるっと輪っかにして長さを確かめてから、鍵を通して端っこをきつく結んだ。
それから、自分の首に掛けてみた。
「うん、いいかも〜」
中野はその間、ずっと冷たい目で俺を見てたけど。
だからといって、特に何も言わなかった。
「だって、ポケットになんて入れておいたら落としそうだし、だいたい服なんかすぐに脱がされちゃうし……」
ひとりごとみたいな言い訳をして、リボンを外した箱を棚に戻した。
ずっと首からかけてればいいんだから、これなら絶対なくさない。
棚の扉を閉めて、椅子をダイニングテーブルに戻して。
「できあがりー」
首から下がっている鍵を何度も眺めて一人で笑って。
そしたら、中野が冷たい口調で言った。
「掃除しておけよ」
言われて辺りを見回したら、床にホコリが舞ってた。きっと俺がバタバタしたせいだ。
「あー、じゃあ、棚の上も掃除しようかなぁ。あんまり開けないし、けっこうホコリがあるのかもしれないよね?」
また背伸びをしてみたら、扉もちょっと汚れているような気がした。
「じゃあ、今からやろうっと。……ね、アイツの部屋以外は入ってもいいんだよね? あ、仕事してる部屋はダメだったっけ?」
立ち入り禁止って言われてたような気もするけど、念のため聞いてみたら。
「机の上の物には触るなよ」
中野はキッチンを出て行きながらそんな返事をした。
……それはいいってことだよな?
鍵ももらえて、仕事部屋にも入っていいって言われて。
なんだか、本当にいいことばっかりだ。
「がんばろーっと」
元気よく返事をしたら、中野がうんざりしたような顔で肩越しに振り返った。
「……きっとうるさいって思ったんだ」
でも、いいんだもんね、別に。
今日の俺はそんなことくらいじゃメゲない。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
玄関まで走っていって中野を見送ったあと、物置に掃除機を取りにいった。



リビング、キッチン、バス、トイレ、廊下。棚の上、冷蔵庫の中。
全部がすっかりキレイになったのを確認して。
「最後は中野の仕事部屋〜」
前に一度入ったことがある。いろんな本が並んでる部屋だ。
「でも、つまんなさそうな本ばっかだったんだよなぁ」
それに、中野がこの部屋にいるところもあんまり見たことがなかった。
「仕事してないってことじゃん」
中野がどんな仕事をしてるのかはぜんぜん分からないんだけど。
聞いてもどうせ答えてくれないだろうし。
「闇医者に聞いてみようかな?」
中野とは意外と仲もいいし、それくらいは知ってるかもしれないけど。
「……でも、なぁ……」
聞いてみたところで、こんな難しい本が必要な仕事なら俺に手伝えるはずもないし。
「その前に字の練習しようかなぁ」
せめて中野が呆れない程度に書けるようになりたいとは思うんだけど。
「……闇医者の字もキレイなんだよな」
お医者さんだから当たり前だけど。
「う〜ん……でも、とりあえずは掃除しなきゃ」
俺が思ってた通り、この部屋はほとんど使ってないみたいで、机も椅子もなんとなくほこりっぽかった。
「ここも拭きたいけどなぁ……」
机の上は触るなって言われてるし。
「どうしようかなぁ……」
大きさの違う新しいファイルが3つ。古いファイルが1つ。封筒が2つ。
一番下はバラバラの書類。それ以外はペンとかメモ帳が置いてあるだけだった。
「じゃあ、真ん中のあいてるところだけ拭こうかな」
いろいろ考えて、物が置いてあるところだけよけることにしたんだけど。
「うああっ……」
ちょっと勢いがつき過ぎて、積み重なっていた書類に手が当たってしまった。
受け止める間もなく、新しいファイルと古いファイルが下に落っこちた。
「……やっちゃった」
新しいファイルは書類が全部しっかりと綴じられていて、バラけるようなことはなかったんだけど、古いファイルの中味だけがちょっとはみ出ていた。
「けど、これくらいなら大丈夫だよな?」
何もなかったかのようにギュッと中に押し込もうとしたら、手にクチャッという嫌な感触が伝わってきた。
「……あーあ……」
絶対、怒られる。
そう思ったから、とりあえずシワを伸ばそう思って。
その紙が挟まってた場所を開いてみた。
その前のページも続きのページも難しい漢字の連続で俺にはさっぱりわからなかったけど。
しわになった紙だけはちょっと違っていた。
薄い緑色で4つに折りたたまれたあとのある紙。
宛名はなくて、文章もいきなり始まってて。
『金曜にいつもの場所で待ってます』
それが最初の1行で、そのあとはすっごく間が空いてて。
最後の行に、『来るまでずっと待ってるから』って、それだけ書いてあった。
「……ぜんぜんわかんないや」
自分で書いたわけじゃないんだから当たり前だけど。
でも。
「これって、デートの約束だよなぁ……」

いつも待ち合わせてた場所はどんなところなんだろう。
仕事を終えた中野はどんな顔でそこに行ったんだろう。

そう思ったら、わけもなくツキンと胸が痛くなった。
「もしかして、アイツなのかなぁ……」
そんなこともちょっとだけ考えた。
たった2行しか書いてないのに中野がずっと取っておいた手紙。
大事な人からの、大事な手紙。
そのたった2行を中野は何度も読み返したのかもしれない。
クセのない優しい字。
俺とはぜんぜん違うキレイな文字。
「やっぱ、俺も字の練習しよう」
張り合おうって思ってるわけじゃないけど。
俺の字じゃ、手紙なんて書いても取っておいてもらえなさそうだもんな。
「そういえば、前に書いたヤツなんて中野はくちゃくちゃに丸めてたんだよな」
中野におつりを返そうと思って封筒に書いた文字。
確かにキレイな字じゃなかったんだけど。
「でも、あれは車の中で書いたから、いつもよりもヘタだっただけなのに」
しかも、まだ金が入ってる封筒をあんなにくちゃくちゃにするんだもんな。
「あんまりだ……」
やっぱり字の練習をしようと決心したけど。不意に気づいたことが一つあった。
「よく考えたら、ペンなんて持ってないじゃん」
それくらいなら、買ってもいいんだけど。とりあえずは北川の店でいらないのがないか聞いてみよう。
せっかく鍵ももらったんだし、ちょっとは中野に好きになってもらえるように頑張らないと。
「んー、でも、とりあえず手紙を伸ばさなくっちゃ……アイロンなんてかけちゃダメだよな?」
そしたら伸びるかもって思ったけど。
でも、中野んちにはアイロンなんてなかったような気がした。
「中野ってばハンカチまでクリーニングに出してるもんなぁ……」
床に座り込んで手紙を本の上に乗せて、裏返して手で一生懸命伸ばしてみたら、シワもなんとか伸びてきた。
「でも、やっぱり中野には正直に言わなきゃダメだよな」
今度中野に会ったらちゃんと謝ろうって思って。
でも。
「……あ、俺、今日から中野んちに帰ってきていいんじゃん」
そう思ったらなんとなくニヤけた。
「あー、けど」
鍵はくれたけど、毎日来ていいなんてひとことも言ってなかった。
「……どうしろってこと?」
うーん。またいろいろ考えてる途中で。
「あああ。でも、でも」
夜中にウロウロしてるなって言われたことを思い出した。
「ってことは、まっすぐ帰って来いってことじゃん?」
それって自分に都合のいい解釈かも……ってちょっと思ったけど。
「とりあえず、一度帰ってきて中野に聞いてみようっと」

―――毎日帰ってきていいの?

そう聞いたら、中野はなんて言うだろう。
あれこれ考えた結果、俺の予想は『何も答えない』になったんだけど。
「早く帰ってきたいなぁ」
この鍵で中野の部屋のドアを開けて入るのがすごく楽しみだった。
「あ……でも、今日って朝までバイトだったかも……」
パーティー好きの客が常連に増えたせいで、年末までそんな日が続くらしい。
ということは、ここに泊まることも案外少ないのかもしれない。
「なぁんだ……つまんないの」
金は必要だからバイトは多い方がいいし、同じ部屋にいても中野は話してもくれないんだけど。
でも。
やっぱり一緒にいたいって、そう思うから。


胸元で揺れる銀色の鍵を見ながら、ちょっとだけお願い事をした。



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