Tomorrow is Another Day
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店が終わったのは予定よりも少し遅い時間だった。
「ありがとうございました。じゃあ、今度は火曜日に。お待ちしてます」
みんなで最後の客を見送って外に出たら、もうすっかり朝って感じで。
ちょっと出勤時間が早めのサラリーマンがいそいそと会社に向かっていく姿が見えた。
「長かったな。疲れた、疲れた」
気が緩んだとたんにバイトがいっせいにあくびを始めて。
「こら。欠伸なんてしてないで、ちゃんと片付けてから帰れよ」
北川は自分だけソファに座って葉巻を取り出した。
「うあ、葉巻……」
タバコはぜんぜん平気だけど、葉巻の煙はちょっと苦手だから、思わず文句を言ったら他のバイトのヤツに小突かれた。
「うー……けむい〜」
のどがカサカサして咳が出そうだったけど、とりあえずガマンした。
「さっさと後片付けして早く帰ろうっと」
今からなら、まだ公園を通る中野に会えるし。
そしたら「おはよー」って言えるから。
幸い大掃除をしたばっかりで、そんなに頑張らなくても大丈夫そうだった。
さくさくテーブルを片付けてたら、他のヤツらが苦笑いしてて。
「マモル、元気だなぁ。眠くないのかよ?」
「若いっていいよな」
いろんなことを言われたけど。
俺だって小宮のオヤジに言われて昼寝をしたから起きていられるだけで、そうじゃなかったらきっと途中でくーくー寝てたに違いないって思った。


でも、結局、掃除は長引いて、そんなに早くは帰れなかった。
「じゃあ、お疲れー」
みんながバラバラと店を出はじめたから、俺も制服のブレザーを羽織ったんだけど。
「マモ、ちょっと」
北川に呼ばれてしまった。
「なにー?」
また予定外で客を取れとか言われたらイヤだなぁ……って思ったけど。
「客が置いていったんだ。持っていけよ」
いきなり大きな花束を渡された。
ブーケなんてかわいらしいものじゃなくて、本当に花束って感じで。
受け取ったらけっこう重かった。
「え?……でも、いいの?」
覗き込んだらいい匂いがして、しかも、どの花もすごく鮮やかな色だったから思わず季節を忘れそうになった。
「店に飾ったらお目当ての子に渡さなかったの、バレるしな」
北川は面倒くさそうにそんなことを言ってから、わざとふうっと葉巻の煙を俺に吐きかけた。
「他、のヤツへ……ッゴホッ……のプレゼントなんだから、俺がもらっちゃダメじゃん?」
むせ返りながら答えたら、北川は本当に面白そうに笑ってた。
……相変わらず性格悪いし。
「いいんだよ。さっき店を辞めるって電話があったんだ。ほら、コウジだよ。マモも知ってるだろ?」
そいつは最近あんまり店に来てなかったから、変だなとは思ってたけど。
けど、辞めるとは思ってなかった。
「うん……でも、どうしたの?」
金がないから一生懸命働かなきゃって言ってたのに。
「新しい働き口でも見つけたんだろ」
北川は簡単にそう言うんだけど。
「そうかなぁ」
他の店に移るなら、今より条件はいいはずなのに。
2、3日前に駅の近くのマックでバッタリ会ったときは、あんまり楽しそうな感じじゃなかったんだよな。
北川にもそう言ったんだけど。
「まあ、世の中いろいろあるからな」
そんな適当な返事で流されてしまった。
北川が言う「世の中のいろいろ」のうちの一個も俺には分からなかった。
だから、首をかしげた状態で固まってしまって。
「うーん……たとえばどんなこと?」
聞き返したんだけど、北川は笑ってただけで。
それ以上の説明はしてくれなかった。
「まあ、他人のことはあれこれ考えないことだな。……花、いらなかったら外のゴミ置き場に出しておけよ」
辞めていったヤツのことも、花束のことも。
北川は本当にどうでもよさそうだったんだけど。
「えー? 捨てるのはもったいないよなぁ。こんなにキレイなのに」
母さんが生きてたら、持って帰ってあげたのに……。
そう思ったら、ちょっとだけ寂しくなった。


俺が保育所に行ってる頃からずっと、母さんは夜の仕事をしてた。
勤めていた店で花を替えるたびに前に飾ってあったヤツを持って帰ってきて、
『お母さん、昔、お花を習ってたのよ』
そんなことを言いながら、本当に楽しそうに花瓶に活けてた。
まだ、ほんの1年前。
でも、なんだかすごく遠い昔のことみたいに思えた。


「……中野んちには花瓶なんてないだろうしなぁ……」
中野のマンション。
アイツの部屋以外は隅々まで掃除をしたけど、それらしいものは一個もなかった。
「そんなもん、ペットボトルかなんかに挿しておけばいいだろ?」
北川に言われて、それもそうだなって思ったけど。
「でもさ、俺んちじゃないのに勝手に飾っていいと思う?」
だいたい中野は花なんて好きじゃなさそうだし。
邪魔だって言われそうだなって思ったんだけど。
「だったら、啓ちゃんのところにでも持っていけよ。診療所なら飾るところもたくさんあるだろ」
そう言われて。
「あ……」
やっとビルの角に供えられてた花が枯れていたことを思い出した。
なんでそんな大事なことを忘れていたんだろう。
昨日鍵をもらったせいで、まだ浮かれてるのかもしれない。
ちょっと反省した。
こんなに大きな花束はあのビンには入らないだろうけど、残った分は半分ずつ待合室と診察室に飾ればいい。
それに、闇医者ならきっと喜んでくれるし。
ゴージャスな花束だからきっと高いんだろうけど、放って置いたら捨てられちゃうんだし。
「ありがと、オーナー。じゃあ、またねー」
遠慮なくもらっていくことにした。



「いいもの貰っちゃったー」
ラッキーと思いながら、ビルの角を曲がる。
昨日、ビンに入れ直した花も、もうすっかり枯れてしまって、風が吹くたびに落ちた花びらがくるくると舞っていた。
「もらってきてよかった」
ちょっと嬉しくなって、元気よく診療所のドアを開けた。
「おはよー」
待合室はまだ暖房が効いてないらしくて、少し寒かった。
それに、闇医者もまだ来てなくて、小宮のオヤジと、さっきまで店に一緒にいた患者モドキだけがコートを着たままお茶を飲んでた。
「闇医者、まだ帰ってきてないんだ?」
いつもならまだ診療所は開いてない時間だから、本当に帰ってきてないのかは分からなかったけど。
「朝一番で帰ってきたとしても、そんなに早くは着かんだろ?」
小宮のオヤジが笑いながら俺に椅子を勧めた。
「……そうなんだ?」
俺は飛行機には乗ったことがなかったから、札幌からだとどれくらいの時間がかかるのかは全然分からなかった。
「先生に電話してみたらどうだい? マモルちゃんが『早く帰ってきて〜』って言ったら、すぐに帰ってくるだろ」
早く会いたかったし、話もしたかったけど。
「……ううん、いい。忙しかったら悪いもんな」
闇医者が留守の間くらいは心配させないようにちゃんとしてないと。
話したいことがあるから帰ってきてなんて言うのはまるっきり子供みたいだもんな。
今日は最初から鍵は服の下に隠してきたし、もう普通のテンションに戻ったから、うっかり誰かに話しちゃったりはしないはず。
そんなことを考えていたら、いきなりドアが開いて。
「おー、おはよう、ヨシくん。今日は早いんだなあ?」
おはようも言わない中野の顔を見て、いろんなことがいっぺんに頭の中を占領した。
そう言えば、公園で待ち伏せするはずだったんだ、とか。
それよりも、俺も「おはよー」って言わなくちゃ、とか。
手紙のこと、謝らなくちゃ、とか。
あとは。
「あああっ!」
「どうしたんだい、マモルちゃん?」
闇医者と約束したんだ。
外泊するときは中野に行き先を言うって。
なのに、すっかり忘れてた。
「あのさ、中野……俺、昨日ね、」
言いかけて、でも、いまさら言っても遅いじゃんって思って。
そこで言うのを止めてしまったんだけど。
中野がタバコに火をつけて俺の顔を見たから、そのまま終わらせることができなくなった。
「……えっと、あの、外泊したわけじゃなくて、今日の朝までバイトで、それで、ホントは行きたかったんだけど、でもさ」
そこまで言ったら、中野がふうっと煙を吐いて。
「昨日聞いた」
そんな返事をした。
返事をしてもらったことにも驚いたけど。それよりも。
「俺、そんなこと話したっけ??」
それには何の返事もしてくれなかったし、俺の記憶にはそんな会話はちょっとも残ってなかったけど。
やっぱり浮かれてたせいでいろんなことを忘れてるんだろうって思って。
「……じゃあ、いいや……」
でも、中野が知っててよかったなって思ったら、体の力が抜けた。
「それにしても寒いねえ。マモルちゃん、そんな格好してて風邪なんか引いちゃダメだぞ?」
そんなカッコとか言われても、今日は制服を来てるから、いつもよりはずっとマシなはずなんだけど。
「……うん」
コートはまだ買ってないし、セーターもない。
そう思ったら、またちょっと憂うつになった。
金ってなかなか貯まらないものなんだな。
「これ以上寒くならないといいのにな」
考えたら気が重くなることもまだまだあるんだけど。
ようやく暖かくなってきた待合室に俺と中野と小宮のオヤジと患者モドキ。
闇医者がいないせいか、ちょっと変な感じだったけど。
朝から中野に会えてちょっと嬉しかったから、あとはどうでもいいことにした。
思わず「えへへ」って笑ってたら、小宮のオヤジがお茶を注ぎ足しながら俺の手に握られてた花束をつついて。
「それよか、マモルちゃん、ずいぶんと豪勢なのもらってきたんだなあ? そんなに金持ちのお客さんが付いたんかい?」
いきなりそんなことを聞いた。
中野がいるのに、なんかちょっとそれはダメって思ったから。
「ううん、違う。他のバイトへのプレゼントって言って置いてったんだけど、そいつ、店辞めちゃったんだ。捨てるのもったいないし、だから、代わりにもらってきただけで俺にくれたわけじゃ……」
慌てて言い訳をしながら、ちらちらと中野の方を見たけど。
中野はそんなことどうでもよさそうだった。
……当たり前だけど。
ちょっとがっかりした。
「そうなんか。でも、高そうだなあ?」
冬には似合わないほど鮮やかな色の花ばっかりで、見てると目がチカチカしそうだったけど。
「いいねえ、華やかで。大きいから分けたらあちこちに飾れるよ? 入れ物、いくつあったら足りるかな」
患者モドキが物置に花瓶を探しに行ってくれるって言うから。
「えっとね。待合室と診察室と、それから、そこの角に飾ろうかなって思ってるんだー」
『そこの角』については指を挿しても窓が閉まってて見えないんだけど。
「そういえば枯れてたもんなあ」
オヤジはすぐに分かってくれた。
でも、患者モドキには分からなかったみたいで、不思議そうな顔をしながらドアを開けた。
カサカサと落ち葉の音がする駐車場の向こうに枯れた花が2本だけ刺さった花瓶が見えて、
「……ああ、あれな……」
患者モドキの声もなんとなく寂しそうに聞こえた。
「じゃあ、先にあそこだけ飾ってこようかな」
長椅子の上でリボンを外して、ちょうどよさそうな花を選びはじめた。
「あー、でも……」
いつも白くてかわいい花ばっかりだったから、できるだけ優しい色がいいって思ったんだけど。
「……白いの、ないなぁ……オレンジじゃダメかなぁ……」
せっかく貰ってきたけど、これじゃダメかもしれないって思って、ちょっとがっかりしながらつぶやいたら。
「色なんて何でもいいだろ」
いきなり中野から返事があって、思わず振り返ってしまった。
「……あ、う、ん……そ、うだよ、ね……?」
あまりにびっくりして変な返事になったから、小宮のオヤジにフォローを求めようとしたんだけど。
オヤジはちょっとだけ複雑な顔でまだドアの方を見ていた。
それもなんだかいつもの能天気な感じとは全然違ってて、なんだかわからないのに俺まで悲しい気持ちになった。
どうしたの……って聞こうと思ったとき、オヤジはやっと振り返って。
「冬だからねえ、あったかい色ってのもいいんじゃないかい?」
いつもの顔でそんなことを言った。
「……うん……そうだね。じゃあ、これとこれと……」
それでも、赤やどぎついピンクはイマイチだから、あの花瓶に入りそうな数だけオレンジと黄色の花を抜き取った。
「マモル君、それじゃあ、あの瓶には長すぎるよ。貸してごらん。切ってあげるから」
花瓶とハサミを持って戻ってきた患者モドキが、気を利かせて少し短く切ってくれた。
「ありがと。これで大丈夫だね」
こんな季節には似合わないオレンジと黄色だけど、束にして持ってみたら意外とキレイだったから。
「じゃあ、入れてくるー」
はしゃいで靴を突っかけて。
ドアを開けたら、いきなり冷たい風が肌に刺さった。
「うっわあ、寒っ……」
花瓶のあるところまでダッシュして、やっぱりあったかい色で正解かもって思いながら枯れた花を取り出した。
それから、鮮やかな色の花を挿して1歩下がって眺めてみた。
「うん、いいかもー」
もうこの世にはいない人だけど。
「喜んでくれるといいなぁ」
そう思いながら、しばらくそれを見下ろしてた。
今日は本当にすっかり冬みたいな天気で、どんなに街がクリスマスの飾り付けをしてもどんより曇った空の続きに見えたけど。
ここだけは日が当たってるみたいに暖かく感じた。
「白い花が好きだったのかなぁ……それとも飾ってあげてる人が好きなのかなぁ?」


どんな人だったんだろう。
なんで飛び降りたりしたんだろう。
手を合わせて目を瞑って。
そんなことを考えた。


どれくらいそうしていたか分からないけど。
頬にぽつんと小さな粒が当たって、目を開けた。
視界のほとんどは灰色の壁だったけど、隅っこにほんのちょっとだけ中野が映ってた。
「オレンジも意外といいよね?」って聞こうとして振り返って。
その瞬間にズキンと心臓が鳴った。
中野は火のついていないタバコを加えたまま、こっちを見てて。
でも。
「……中野?」
ちゃんと声に出して呼んだはずなのに、視線さえ動かさなくて。
俺を通り越して、違うところを見ていた。


まっすぐに。
ただ、遠くを見つめていた。



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