翌日は中野も俺も仕事はなくて、二人でごろごろしてた。
「ねー、中野」
一緒に寝てても抱こうとしなくなったから、「もう飽きた?」って聞こうかなって思ってたら、電話がかかってきた。
着信があって、画面に『香芝』の名前が表示されたら、中野は自分で電話に出ずにそのまま俺に渡した。
「いいのー?」
一応、聞いてみたけど、もちろん返事なんかなくて。
でも、あんまり待たせたら悪いから、ボタンを押した。
『あ、マモル君?』
俺はまだ一言もしゃべってないのに、なぜか闇医者にはバレていて。
「なんでわかるのー??」
すごくびっくりしたけど、闇医者は『なんとなくね』って言っただけだった。
『それよりね、明日は健康診断だから、お酒は飲まないでね。早く寝るんだよ。それから……』
何時以降は物を食べちゃいけないとか、糖分の入った飲み物はダメとかいろいろ言われたあとで電話を切ったけど。
「……ぜんぶ覚えられなかった」
電話を返しながら呟いたら、中野の口元がちょっとだけ笑ったような気がした。
「……機嫌いいかも」
俺もちょっと嬉しくなって、ソファで書類を読んでいる中野の足元に座ってみた。
こんなに近くに座ってもぜんぜん怒らないし、ジャマだって言ってたわりには、朝ごはんもお昼も一緒に食べてくれたし。
「なんか、ちょっといい感じ?」
今日はこのまま中野と二人で楽しく過ごせるかも……って浮かれていたんだけど。
また電話が鳴って、今度は中野が自分で取った。
「ああ、俺だ」
会話は「ああ」とか「それで?」とか。そんな適当な返事をしながら、そのまま仕事部屋にこもってしまった。
「……つまんないの」
やっと出てきたときにはもうスーツに着替えていて。
「でかけるの?」
さっきまでとは全然違う厳しい顔になってたから、一緒についていってもいいかって聞けなかった。
「……いってらっしゃい」
せっかく一緒にいられると思ったのにってがっかりしてたら、
「香芝が来たら開けてやれ」
中野は振り向きもしないでそんなことを言った。
「わー、闇医者が来るの? 中野が帰ってくるまで待っててもらえばいいの?」
それにしては、何時に帰ってくるから、とかそういうことは何にも言わないよなって思ったけど。
中野はタバコをくわえたまま靴を履いて。
「俺に用があって来るわけじゃねえよ」
それだけ言い残して出ていってしまった。
「ふうん……じゃあ、なんでくるんだろう?」
でも、一人でいるのはつまらないから、闇医者が来てくれるのは嬉しいなって思って。
ピンポンが鳴るまで、インターホンの前でじっと待ってた。
「いらっしゃい。今、開けるね」
ニコニコしながらやってきた闇医者は、リボンのついた袋を持っていて。
「こんにちは、マモル君。ちょっと早いけど」
クリスマスプレゼントだと言って俺に渡した。
「わあ、ありがとー!!」
今年はクリスマスなんて関係ないかなぁって思ってたから、ホントにすごく嬉しかった。
開けてみたら中味は辞書とノートと筆記用具とハサミ。
普通のと違って、ペンもハサミもなんかすごくオシャレだった。
「新入生みたい〜。でも、なんか変な組み合わせだよね?」
そしたら、闇医者はくすくすって笑って。
「中野さんと一緒に新聞が読めるようにね」
そう言いながら、プレゼントの趣旨を説明してくれた。
「スクラップ?」
「そう。気に入った記事があったら切り抜いてノートに貼って。分からない漢字は調べて練習して。たまには中野さんに聞いてみたりして。ね?」
勉強はあんまり好きじゃないけど、それなら楽しそうだなって思って。
「うん、ありがと。えへっ……中野、答えてくれるといいなぁ」
今朝も優しかったし、もしかしたらちょっとくらいは教えてくれるかも……なんて考えたら、かなり楽しくなってきた。
「じゃあ、コーヒーでも淹れて、ゆっくり話そうね?」
闇医者はそう言いながら、立ち上がってキッチンへ行った。
俺もついていって一緒にコーヒーを入れる準備をした。
「それで、中野さんはどう? 優しくしてくれる?」
闇医者はホントにいろいろ心配してくれて。
「うん。中野にしてはちょっと優しい」
昨日はすぐに寝ちゃったから、中野がいつまで腕枕をしていてくれたのかは分からないんだけど。
「それに、今朝、中野、ちょっとだけ笑ってたかも」
いつも眉間にシワとか寄せてるのに、今朝はぜんぜんそんなこともなかった。
「え? 本当に??」
それには闇医者もすごくびっくりしてた。
「でも、すご〜く、ちょっとだけ。もしかして笑ってるのかなぁ……って思うくらいちょっと」
闇医者はうんうんって2、3回頷いて、
「でも、中野さんが笑ってるところ、僕も見てみたいな」
くすくすと笑いながら、食器棚からカップとコーヒー豆を出した。
それから、ちゃんと豆を挽いてコーヒーを入れて。
「ねー、闇医者ってなんで、どこに何があるのか知ってるの? よく遊びに来るの?」
俺はキッチンも全部掃除したからコーヒーの場所くらいは分かるけど。
「そうでもないよ。この前に来たのは、たぶんマモル君が風邪引いて寝込んだ時だし。その前は……いつだったかな」
それにしては、なんでも分かっていそうな感じなんだけど。
「だって中野さん、自分で模様替えなんてしないからね。コーヒー置いてある場所なんて10年前と同じなんだよ?」
笑っちゃうよね、って言われて。
「そっかぁ……ホントに仲いいんだ……いいなぁ……」
すごく羨ましくて、ちょっとだけ自分を振り返ってしまった。
「なんで? マモル君なんてお部屋の隅々まで分かってるでしょう?」
「そうだけど。掃除したから分かるだけだし」
っていうか、あんまし仲良くないし。
「マモル君は、中野さんと知り合ってどれくらい?」
「んーと、半年くらいかなぁ……」
最初に会ったときは、まだ夏が始まったばっかりの頃。
すごーく冷たそうなヤツだって思った。
今はそんな風に思わないのに。
「ぜんぜん仲良くなれてないもんなぁ……」
ぶちぶち文句を言っている間にコーヒーが入ったから、それを持って二人でリビングに戻った。
「そんなことないよ。中野さんと一番仲いいの、マモル君だと思うけどな」
闇医者に慰められて、昨日のことを思い出した。
優しかった中野と、ジャマだって言った中野。
どっちが本当なんだろう。
俺には分かんなくて。
「あのさ、闇医者」
こんなこと相談されても困るだろうなって思いながら。
「うん、なに?」
でも、結局、闇医者には甘えてしまう。
「昨日ね……」
『親戚がいるなら帰れ』って言われたことを話したら、闇医者はちょっと顔を曇らせた。
「……でも、中野さんがそう言うなら、帰った方がいいのかもしれないね」
そう言われて、俺はちょっと不安になってしまった。
だって、いつもニコニコしてる闇医者には、とっても珍しいくらい厳しい顔だったから。
「……闇医者も……やっぱり、俺、ジャマだと思う?」
小宮のオヤジや患者モドキに聞いても同じことを言うのかなって思ったら、またギュッと胸が痛くなった。
「ううん、そうじゃないけど」
闇医者はやっぱり否定してくれたけど。
慰めてくれてるだけかもしれないから、本当のことはわからない。
「でも、今、中野さん、仕事が大変そうだから……それに、」
言いながら、グルッと部屋の中を見回して、少しだけ声のトーンを落とした。
「もしかしたら、今、ちょっと危ない仕事なんじゃないかなって思うんだよね」
「危ない仕事ってどんなヤツ?」
ビルの窓拭きとか、夜中の警備員とかなら危ないような気がするけど。
少なくとも中野はそういう仕事じゃない。
「詳しいことはわからないけど、でもね」
その先は言ってくれそうになかったから、俺は早々に諦めた。
中野に聞いてもなんにも答えてくれないしなぁ……って思ってたら。
「仕事のことは誰にも話さないと思うけどね」
って言われて。
「闇医者ってなんで俺の考えてること分かるの?」
すごく不思議なのに、闇医者は当たり前みたいにサラッと答えた。
「分かるよ、だってもう何ヶ月も一緒にいるんだから」
半年近く一緒にいても、中野のことは全然わからないのに。
闇医者のことだって、俺はきっと全然わかってないのに。
「……じゃあ、俺ってダメかも」
そんな一言の理由も闇医者はすっかり分かっていて、
「大丈夫。マモル君はちゃんと人の気持ちが分かる子だから。今のままでいいんだよ」
いつもみたいにニッコリ笑いながら、
「だから、ずっとそのままでいてね?」
そう言ってくれた。
その日は闇医者と二人で早めに夕飯を食べて、いろんな話をしながらテレビを見ていたら中野が帰ってきた。
でも、中野はあんまり機嫌がよくなさそうで、「おかえりー」って言ってもなんの反応もしなかった。
「じゃあ、中野さん、僕、これで帰りますから。今日はマモル君を早く寝かせてあげてくださいね」
そう言い残して闇医者が帰ったら、そのまま俺はズルズルと寝室に引っ張っていかれて、ポイッと放されて、バタンとドアを閉められてしまった。
「……寝ろってこと?」
そっとドアを開けてみたけど、中野は仕事部屋に入ってしまった。
「いいもんね。もう寝るもんねー」
中野の機嫌が直ったら、闇医者からもらったプレゼントの説明をして。
闇医者にはどんなプレゼントをあげたらいいか相談して。
それから、中野に欲しいものがないか聞いてみようって思いながら。
俺はあっという間に寝てしまった。
だって、明日も一緒なんだから、今日話ができなくてもぜんぜん平気なんだから。
目が覚めたときには当たり前のように朝になってて。
でも、隣に中野はいなかった。
「んー……一緒に寝てくれなかったのかなぁ……」
ちょっとの記憶も残ってなかったから、なんとなく寂しかった。
のそのそと起き上がってリビングに行ったら、中野がスーツ姿で新聞を読んでいて。
「あれー? 今日仕事なの……っていうか……」
日曜なのに仕事だってことはそんなに驚かなかったんだけど。
「……中野、なんか、違う」
いつものスーツとネクタイはなんとなくヤバげな職業の人って感じなんだけど。今朝は濃いグレーのスーツはシングルの三つボタン。シャツも淡いグレー。ネクタイもネイビーとグレーのチェックで、ホントにまともな人みたいだった。
「……髪型も違う」
いつもよりサラサラで、ちょっとだけ流してて。
すごくカッコいいかも。
……あ、いつもだってちゃんとカッコいいんだけど。
「もしかして、デート?」
だったらヤダなぁって思いながら、小声で聞いた。
こんなカッコで日曜にデートしに行く中野に「いってらっしゃい」を言うのは、ちょっと辛い。
「……やっぱ、そうなんだ……」
中野が何も言わないのはきっと本当にデートだからなんだろうって思って、がっかりしてたら、
「朝からバカなこと言ってんじゃねえよ」
すごく呆れた顔で俺の頭を新聞でペシッて叩いた。
「……じゃあ、違うんだ? なぁんだ……」
俺、『中野に早く可愛い恋人ができますように』ってお願いしてるくせに。
ここで喜んじゃいけないよなって思うんだけど。
中野は車のキーと書類入れを持って靴を履いて。
「一人でフラフラ出歩くんじゃねえぞ」
不機嫌な声のままそう言って出かけていった。
「いってらっしゃい」
バイバイって手を振ってから、俺も着替えて健康診断に行くことにした。
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