Tomorrow is Another Day
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歩きながら、周りのサラリーマンを眺めた。
それと比べてもぜんぜん普通な今朝の中野。
普通のスーツも持ってるんだなぁ……ってなんとなく思って。
「でも、いつものカッコじゃダメな仕事ってなんだろう?」
明らかにおしゃれしてる感じだもんな。
だいたい仕事に行くのにおしゃれするのかな?
「うー、わかんない」
すごく気になったけど、考えてもぜんぜんわかんないし。
でも、書類入れを持ってたから、やっぱり仕事のはずだし。
とりあえずデートじゃなきゃいいやって思うことにした。
「闇医者、おはよー」
ドアを開けたら、闇医者はもう来てたんだけど。
「じゃあ、行こうか?」
チャラッと車のキーを見せて俺の背中を押した。
「え? 健康診断だよね?」
「そうだよ。でも、ここには十分な設備がないからね」
って言って。ついでに、
「10分くらいで着くから」
道路が混んでなければもっと早いんだけど……って言いながら、車のドアを開けた。
「大きな病院に行くの?」
子供の頃に広い病院で迷子になったことがあるから、ちょっと心配だったんだけど。
「そんなに大きくないけど設備はしっかりしてるから心配いらないよ」
闇医者がそう言うから俺も安心した。
「ねー、それよりさ」
闇医者の車だとばっかり思ってたけど、中に置いてあるサングラスとかタバコとかが、どう考えても違うっぽくて。
「誰の車なの?」
サングラスをいじりながら聞いてみたら、
「ルームメイトのを借りてきたんだよ。僕は、これ、軽薄そうで好きじゃないんだけどね」
って笑ってた。
車の種類はよくわからないけど。
「そう? カッコいいのに」
乗り心地もいいし、闇医者の運転もうまいし、やっぱりドライブは楽しいなって思ってたらあっという間に病院に着いた。
すごく大きいわけじゃないし、あんまり病院ぽくない建物だったけど。
「日曜日、本当はお休みなんだ。看護婦さんに無理にお願いしたから、マモル君もそのつもりでね?」
それって、看護婦さんの言うことをちゃんと聞けばいいんだよな。
「うん。大丈夫」
そんなのぜんぜん平気って思って、自信満々で返事をした。

自動ドアをくぐると受付にはもう看護婦さんが待っていて、闇医者を見て手を振った。
「おはようございます、吉池さん。今日はよろしくお願いします」
闇医者がペコリと頭を下げたから、俺もまねしてお辞儀した。
吉池さんと呼ばれた看護婦さんは、ちょっとぽっちゃりしてるおばさんで、俺を見てニコニコ笑った。
すごく優しそうで、闇医者と二人で話しているところなんてとてもほんわかしてた。
「じゃあ、マモルくん、向こうのお部屋に行きましょうね」
なんとなーく、すごーく子供扱いな気がするんだけど……まあ、いいや。
「身長伸びてるといいなぁ」
もう1年以上測ってないから、ちょっとは伸びてると思うんだけど。
案内された部屋にはいろんな器具があって。
「これに乗ると身長も体重もいっぺんに測れるんだ?」
しかも、俺一人しかいないから使い放題で、すごく楽しかった。
「そうよ。はい。まっすぐ立ってね」
自動的に頭の上に降りてきた板にギュッて押されて「うっ」って思ったけど。
「わー、5センチも伸びてる」
俺はすごく喜んだのに、看護婦さんは「あらあ……」ってちょっと残念そうだった。
「どうして? これじゃダメ?」
ダメって言われてもどうしようもないんだけど。
「細いとは思ってたけど、ちょっと痩せすぎね。ちゃんとご飯食べてるのかしら? ダイエットしてるの?」
男のくせにダイエットなんてするわけないよな、って思ったんだけど。
「あら、今はけっこういるのよ。男の子でも体重を気にする子」
「……ふうん」
俺はぜんぜん気にならないけど。
中野は痩せてるの、キライかなぁ……
「あ、でもね、今日はなんにも食べてないよ。闇医者に食べちゃダメって言われたから」
看護婦さんは「そうね」って言ってたけど。
「お母さん、心配なさるでしょう?」
やっぱり俺の体重は不合格らしくて。
「うん、心配してた……去年死んじゃったけど」
いつも言われてた。ちゃんと食べなきゃダメよ、とか。もっと大きくなるといいわね、とか。
そんなことを思い出してたら、看護婦さんが困った顔で俺を見た。
「あら……ごめんなさいね。私ったら、よけいなこと聞いちゃって……」
本当にすまなそうに言うから、俺はちょっとあせってしまった。
「ううん、ぜんぜん。それに、俺、もう母さんよりも大きくなったし」
って言っても、母さんはあんまり大きくなかったんだけど。
「そう……じゃあ、お母さんもきっと喜んでるわね」
そうだといいなって思いながら、うんって頷いた。
「俺ね、母さんより大きくなったら、棚の荷物を取るのも電球を替えるのも全部やってあげるって約束してたんだ」
もう1年早く大きくなってたら……ううん、背なんか伸びてなくても、もっと手伝ってあげればよかったんだ。
「……死んじゃってからそんなこと言ってもダメだよね」
母さんはいつも忙しそうで、風邪を引いても頭が痛くても病院なんて行かなかった。
でも、俺がちょっと熱を出したりするとすぐに近所の医者に連れていって、先生に大げさだって笑われた。
俺がいても大変なだけで、いいことなんてなかったんだなって。
母さんのことを思い出すたびに思うけれど。
もう、どうにもならないことだから。
ため息を飲み込んで、顔を上げた。
「ね、次はなんの検査するの?」
笑顔でそう聞いた時、看護婦さんはちょっと涙ぐんでいた。
「……あ、ごめんね。もしかして、俺が変な話したから?」
優しい人なんだろうなって思って。
だから、なんだか申し訳なくなった。
もう一回謝ろうかなって思ってたら、看護婦さんは少しだけ首を振って。
「違うのよ。私こそごめんなさいね」
ハンカチで目を押さえながら、にっこり笑った。


その後も血液検査とか尿検査とかレントゲンとか心電図とか他にもいろいろやって。
「これでもう終わりなの?」
聴力検査のあとでヘッドホンを外しながら聞いたら、看護婦さんは笑いながらクチャクチャになってた髪を直してくれた。
「このあと問診があるから、向こうで少し待っててね?」
院長先生を呼んでくるからって言うんだけど。
「それって闇医者がやるんじゃないの?」
他の検査はぜんぶ看護婦さんがやって問診は院長先生がやるなら、闇医者はなんにもしないのかなって思ったんだけど。
「万が一、マモル君の病気を発見しちゃったら悲しいからって、今日は院長先生にお任せすることにしたのよ」
「ふうん。そうなんだー。でも、大丈夫だよね?」
看護婦さんは笑って、「血液検査はまだわからないけど、今のところ体重以外は合格よ」って言ってくれた。
「じゃあ、院長先生の準備ができたら呼ぶわね」
「うん。ありがと」
とりあえず言われたとおり、待合室にいる闇医者のところに戻った。
入院してる人は廊下を歩いていたけど、外来の受付はガランとしてて、長椅子に座ってるのは闇医者とどこかのおじさんの二人だけ。
「ただいまー」
スリッパでペタペタ歩いていって闇医者の隣りに座ったら、おじさんに笑われた。
「どうだった?」
闇医者はちょっと真剣な顔で俺にそう聞いたけど。
「うん、楽しかったー」
そう答えたら、いつもの笑顔になって他の質問をした。
「看護婦さんに何か言われた?」
「うん、ちゃんとご飯食べてるかって。でも、5センチ背が伸びたよ。血もいっぱい取った」
よく考えたら、ちゃんと伸びてるんだから、栄養だって足りてるはずだよな?
「帰ったら中野にも話そうっと……えーっと、何と何をしたんだっけ?」
忘れないようにちゃんと覚えておかないとって思って、今日やったことを頭の中で復習したけど。
「マモルくん」
看護婦さんに後ろから声をかけられて、途中で分からなくなってしまった。
「なに?」
「忘れ物よ」
レントゲンを取る時に忘れてきたシャツを受け取って、そういえばTシャツしか着てないことに気づいた。
「あ……忘れてた。ありがと」
病院の中はあったかかったから、Tシャツ1枚でもぜんぜん平気だなぁ……ってぼんやり考えていたら、
「今時、珍しいくらい良い子なんですよ」
看護婦さんがそんな説明をしながらおじさんに話しかけた。
闇医者もニッコリ笑って「そうでしょう?」って言ってたけど。
「……弟さんを思い出すわね」
その言葉にやっぱりちょっと寂しそうな顔で「そうですね」って言って視線を逸らせた。
ちょっとだけ沈黙が流れて。
俺まで悲しくなりそうだから、何か話をしなくちゃって思ったとき、おじさんが丸めた書類で闇医者の頭をパシパシ叩きながら立ち上がった。
「じゃあ、診察してくるからね」
よく見たら白衣を着てて。
「あれー。おじさん、お医者さんだったんだ?」
俺の質問には闇医者が答えてくれた。
「この病院の院長先生だよ」
おじさんは相変わらずニコニコしたまま、ポケットからメガネを取り出して。
「医者には見えないかい?」
俺にそう聞いた。
「うん。普通のおじさんかと思った」
正直に答えたら、またまた笑われた。


院長先生に連れられて入った診察室は、なんとなく闇医者の診療所と似てた。
よく見たらカーテンも同じで、机も同じで、その上に家族の写真が飾ってあるところまで同じだった。
「ね、これ院長センセの子供?」
子供って言っても俺よりぜんぜん大きくて、やっぱり白衣を着てた。
よく見たら、背景はどこかの病院。センセの奥さんは美人で優しそうで。息子はかっこよかったけどちょっと冷たそうな感じだった。
「ああ、今は大学病院で働いているんだ。これがまた、誰に似たのか厭味な上に無粋な男でね」
「ふうん」
院長センセはそんなことを言って笑ってたけど。
親子で医者ってカッコいいよなぁ……って思ってしばらく見とれてしまった。
ボーッとしてたら、くるくる回る丸い椅子に座るように言われて。
聴診器を当てるのかと思ったら、また世間話を始めた。
「香芝君とはどこで知り合ったんだい?」
これって病気の診断と何か関係あるのかなって不思議に思ったけど。
「えっとね、闇医者の診療所。ケガした時にあそこに運んでもらったんだ」
「香芝君に?」
「ううん、中野」
って言ってから、もしかして中野のこと知らないかも……ってことに気づいて。
「あのね、中野って闇医者の友達で」
説明をしかけたんだけど、院長センセはあっさりと頷いた。
ついでに、
「中野君、昔はよくこの病院に来てたんだよ」
そんな聞き捨てならないことを言った。
「中野、病気だったの?」
だったらどうしようって思ったけど。
「いいや。香芝君の弟の見舞いでね。当時は週に1回くらい来てたかな」
また、俺の知らない10年前の話。
毎週、誰かの見舞いに行く中野なんて想像もできなかったけど。
「中野って、闇医者の弟と仲よかったんだ?」
きっとそうなんだろうけど、聞かずにいられなくて。
「詳しいことは私も知らんがね、なんでも診療所に香芝君を訪ねていく途中で倒れた弟を中野君が運んでくれたらしい」
「ふうん……」
他に答えようがなくて、あいまいな返事になった。
中野が最初に拾ったのって闇医者の弟なんだな……って思うのが精一杯で。
他にも何か思い出しそうになったんだけど、ご飯を食べてないせいで頭の整理がつかなくて、結局なんにも出てこなかった。
その間、院長センセもちょっと遠くを見てて。
「……そう言えば似てるかな」
そんなことをつぶやいた。
その言葉も闇医者のことも、弟のことも中野のことも。
全部が結びつきそうで、結びつかなくて。
記憶の奥の方にあるものが出てこないような気持ち悪い状態のまま、面倒になって考えるのをやめてしまった。
院長センセが再び俺の顔を見たとき、少しだけふっとため息をついて、
「あの頃は中野君も好青年でね……」
そんなことを言うから。
「今でもカッコいいよ」
ちょっとムッとして言い返したら笑われた。
「じゃあ、上だけ脱いで」
ちょっとだけ冷たい聴診器を当てられて。大きな病気はしたことないかとか、最近自分の体調で気になることはないかとか、いろいろ聞かれて。
「別にないー」
「ぜんぜんないー」
って答えてたら、また笑われた。
「院長センセ、よく笑うよね」
医者って厳しい顔をしてるイメージがあるけど、闇医者も院長センセもぜんぜん違う。
聴診器を当ててる間は黙ってたけど、終わったらまたくすくす笑うし。
「問診って楽しいの?」
思わず聞いたら、もっと笑われたんだけど。
「ねー、なんかおかしい?」って聞くと「そんなことないよ」って言うくせに、まだ笑ってるし。
「じゃあ、結果は木曜日にね」
笑った声のままそう言われて、キャンディーをもらって。
その間にTシャツを着て、上着代わりのシャツを着て。
「うん。楽しみー。ね、闇医者にあげるからアメもう一個もらってもいい?」
そしたら、院長センセはシャツのポケットにたくさんいろんなのを入れてくれた。
受付の椅子のところに闇医者と看護婦さんと俺と院長センセ。
闇医者は普通にニコニコしてて。院長と看護婦さんは笑ってた。
「みんな何が楽しいの?」
俺だけわかんないのは嫌だなって思ったのに。
「マモル君がいい子だからかな」
なんて闇医者がますます分からない説明をするから。
「俺だけぜんぜんわかんない」
プクッと膨れてたら、笑いながら病院を送り出された。



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