Tomorrow is Another Day
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「よかった、マモル君。ぜんぜんどこも問題なさそうだって」
そう言ったくせに闇医者はちょっと困った顔で笑った。
「うん。なのに、なんで闇医者が困ってるの?」
車の運転をしながら闇医者が少しだけ苦笑いをした。
「実は検診受ける前になんだかすごく心配になっちゃって……院長先生にも吉池さんにもよけいなこと言っちゃったんだ」
そういえば、看護婦さんが言ってたっけ。
闇医者が俺の病気をみつけたらイヤだって言うから、院長センセに問診してもらうんだって。
それって、きっと俺が三食きちんとご飯を食べないせいなんだろうな。
バイトのある日は夜更かしだし。その次の日は朝寝坊だし。
そんなことしてたら闇医者だって心配になるよなぁ……
「ごめんね」
いつも心配させてばっかりで。
母さんのときと同じだなって思ったけど。
「マモル君のせいじゃないよ。中野さんがね……」
そこまで言って、今度はくすくす笑い出した。
「中野さん、いつもは素っ気ないくせに、おかしいよね。よほどマモル君のことが心配なんだね」
「……そんなことないと思うけど」
っていうか、絶対そんなことないんだけど。
それでも闇医者は「本当によかった」って言って、カーナビのモードを変えた。
「朝ごはん食べられなかったから、何かおいしいもの食べに行こうね」
天気のいい日曜日に闇医者とドライブして、ご飯を食べられるなんて。
「わー。楽しみ」
あちこちグルッと回ってドライブを楽しんでから連れていってくれたのは、闇医者がたまに来るっていうすごくおしゃれなお店。
小さな庭が見える窓際の席に案内されて、行儀よく腰掛けた。
「パスタもパンもおいしいから。好きなもの食べてね。健康診断のご褒美におごってあげるよ」
明るい店内は日曜日らしいうきうきした空気が流れていて、俺もすごく楽しい気持ちになった。
「えー、でも……」
俺の健康診断につき合わせて、その上おごってもらったら悪いよなって思ったけど。
「実は中野さんからお小遣いもらってるんだ」
そう言って1万円札を取り出した。
「なんで中野が金くれるの?」
理由は置いておくとしても、闇医者がもらったお小遣いを俺のお昼ご飯にしたらいけないと思うんだけど。
「そりゃあ、マモル君に早く大きくなってもらいたいからじゃない?」
中野が? 俺に?
「……それだと闇医者にお小遣いあげるの?」
なんかよく分からないんだけど。
「まあ、とにかく。二人でおいしいもの食べようよ。ね?」
ぜんぜん分からなかったけど。
闇医者がそう言うなら、それでいいんだろう。
そう思うことにした。
「うん、じゃあねー」
おいしそうな写真がたくさんあるメニューを広げて、二人で食べる物を選んだ。


大きなお皿に少しずついろんなものが盛られたちょっと大人っぽいお子様ランチみたいな料理を二人で食べながら、いろんな話をした。
「えー、小宮のオヤジって社長さんなの?」
でも、仕事なんてしてないじゃんって思ったけど。
「奥さんが全部やってるんだよ。美人で仕事のできる素敵な女性だよ」
「ふうん」
なんでそんな人が小宮のオヤジみたいなヤツと結婚したのかが謎なんだけど。
「それで浮気とかされちゃったら、やだよね?」
「でも、会社も家も小宮さんのお父さんの財産だから、奥さんは別れたくないんだろうね」
……うーん。なんか、すごーく大人の話だった。
「結婚するといろいろ大変なんだね」
まあ、オヤジは診療所で昼間っから酒とか飲んでて、すごく楽しそうだけど。
でも、奥さんは大変だよな。
「ね、闇医者は結婚しないの?」
優しいから、きっともてると思うのに。
診療所に恋人が来たことはない。
机に家族の写真は飾ってあるのに、恋人の写真は置いてない。
「うーん、どうしようかな?」
笑いながら、そう答えてたけど。
なんとなく、結婚する気なんてなさそうに見えた。
「あ、そうだ。結婚って言えば、」
闇医者が突然何かを思い出してパッと俺の顔を見て。
「え?? なに?」
誰か結婚するんだって思って、俺はちょっと慌てた。
だって、そこで中野の名前なんて出てきたら、俺、ショックで死ぬかもって思ったけど。
「岩井君、パパになるらしいよ」
「……う……へ?」
岩井の名前を聞くのも久しぶりだったから、ちょっと反応が遅れてしまった。
「……あ……そうなんだ……男の子? 女の子?」
別にどっちでもいいんだけど。
「まだ分からないよ。もうちょっと先にならないとね」
「ふうん。そっかぁ……」
今度会ったら「おめでとう」って言わなくちゃって思いながら、岩井が金を持ってきた日のことが頭に浮かんだ。
「……あの時、金、受け取らなくてよかったなぁ」
だって、母さんの葬式の日、おじさんとおばさんがケンカをしてたから。
最初は金のことで、葬式費用とか借金の返済とかいろいろあって、母さんの保険金じゃ足りなかったって話で。
その後、『子供は金がかかるから』っておじさんがため息をついて、『それよりも誰が面倒みると思ってるのよ』っておばさんが怒鳴って。
おじさんちの子供はまだ小さいし、きっとすっごく大変なんだろうなって思って。
だから、俺は家を出て一人でやっていこうって決めたんだ。
「岩井だってきっとこれから大変だもんな」
俺のひとりごとを、闇医者はただ黙って聞いていた。
「男の子ならいいなぁ。一緒に遊んであげるのに。あ、でも、女の子だってぜんぜんかまわないんだけど……でも、女の子って何して遊んであげたらいいのかわかんないよね?」
岩井に似た小さな子。
ちょっと想像できなかったけど。
でも、きっと可愛いだろうなって思った。
「俺ね、兄弟いなかったし、闇医者みたいな優しい兄さんも、年の離れた小さな弟もいいなぁって思ってたんだ」
家に帰っても誰もいないのが寂しくて。
だから、すごく兄弟が欲しかった。
そんなことを思ってちょっとぼんやりしてたら、闇医者が真面目な顔で俺に聞いた。
「マモル君、自分の子供も欲しい?」
真面目な話かと思ったのに、そうでもなくて。
「うん、欲しいー!」
だから、元気に答えたけど。
闇医者の質問はなんだか変な方向に行ってしまった。
「中野さんと赤ちゃんだったら、どっちがいい?」
それって、比べるものが間違ってる気がするんだけど。
「なんでそんなこと聞くの?」
そしたら、闇医者はまたちょっと苦しそうな顔になって。
「……マモル君が普通に結婚して家庭を持ちたいなら、中野さんのところは早く出た方がいいのかなって思ってね」
子供の頃から憧れてた。
父さんと母さんと兄弟がいる普通の家族。
母さんだけでも十分だって思ってたけど。
本当は、すごく憧れてた。
「……えっとねー、それはさー……」
それでも、俺はこの先もずっとずっと、中野以外の人を好きになることはないって思うから。
だから、どっちかって言われたら、やっぱり「中野」って答えるんだけど。
「……でも、闇医者」
今でも俺の顔なんて見ないのに。
いつまで経っても名前さえ呼んでくれないのに。
「俺だけ、『中野がいい』って言っても、どうにもならないよね?」
闇医者だって、そんなこと分かってるはずなのに。
「でも、もし叶うなら、どっちがいい?」
なんでそんな話をするんだろう。
「……中野」
「本当に?」
何度聞かれても。
誰に聞かれても。
絶対、無理だって言われても。
「うん」
金なんてなくても、家族なんていなくても。
中野と一緒にいられるなら。
それだけでいい。
「……そう」
そう言って、闇医者は遠くを見つめた。
いつも中野がするみたいに、俺だけここに置いて。
俺が見えない場所を見つめていた。



お腹いっぱい食べてから、マンションの前まで車で送ってもらって。
「ありがと。車貸してくれた人にもありがとって言ってもらえる?」
俺の頼みを闇医者はニッコリ笑って聞いてから、自分の家に帰っていった。
入り口で鍵を差し込んで、暗証番号を入れて。
エレベーターで上にあがって、中野の部屋の前に来て。
また鍵を差し込んで、違う暗証番号を入れて。
ノブを回したら、カチャって音がして。
「えへへ。いい感じ」
まるっきり自分の家みたいで、なんだか嬉しかった。
「最近、こんな楽しいことなかったかも」
ドアを開けるだけで、こんなにわくわくするものだとは思わなかった。
紺色のリボンもお気に入り。
中野からもらった鍵はもっとお気に入り。
「ただいまー」
中野はまだ帰ってきてなかったけど。
お昼も食べさせてもらったし、感謝の気持ちはちゃんと表しておかないとって思って。
「とりあえず掃除しようっと」
……っていうか、俺、他にできることないし。



ちょうど部屋全部がピカピカになったとき、中野が帰ってきた。
「おかえりー」
いいタイミングだって思いながら、廊下を靴下ですべって出迎えたら、新聞でベシッて頭を叩かれた。
「うー、いきなり叩かなくてもいいじゃん」
でも、いつもなら無視されて終わりだし。
今日はかまってもらっちゃったな……って嬉しくなって、えへえへ笑いながら後をついていったら、
「口を閉じてろ」
って注意された。
「なんで??」
口なんか開いてても別にいいと思うんだけど。
中野は気に入らなかったみたいで。
「一層バカに見えるだろ」
また、しっかり怒られた。
それって、ちょっとひどいような気がするんだけど。
でも、話しかけてもらったんだから、いいってことにした。
「それでね、背が5センチ伸びて、血もいっぱい取られたけど楽しかったよ」
中野が着替えている横で今日の話をしてたら、珍しく返事をしてくれた。
「結果はいつだ」
と言っても、やっぱり俺の顔なんてぜんぜん見てないんだけど。
「えっと、木曜日だったかも」
ちょっと忘れちゃったな……って思いながら返事をしたら、中野は部屋を出てバスルームに行ってしまった。
「それだけー?」
もっと話してくれるかと思ったのに。
「あ、それに昼ご飯のお礼もまだ言ってないのに」
忘れないうちに言わないとって思って、リビングのカーペットの上に座って、中野が出てくるのを待った。
闇医者からもらったノートとはさみとペンと辞書をテーブルに置いて。
「まだかなー」
って言いながら、ノートに『スクラップブック』って書いてたら、やっと出てきた。
「相変わらず、汚ねえ字だな」
タオルで髪を拭きながら、タバコをくわえて、火をつけて。
ついでに空気清浄機のスイッチとエアコンを入れて。
その間だってチラッともこっちを見なかったのに、なんでわかるんだろう。
「……そんな急にはうまくならないよ」
だって、これから練習するんだから。
せっかく闇医者にもらって……
「あ、そうだ」
すっかり忘れてたけど。
この間、中野に説明できなかったから。
「これね、闇医者がくれたの。クリスマスプレゼントなんだよ。いらなくなった新聞を切り抜いて、わからない字を調べて練習するんだー。それでね、わからないことがあったら中野に聞いてみればって闇医者が……」
そこまで言って。
でも、それってなんか闇医者のせいにしてるみたいだよな、って思って。
「……っていうか、たまには教えて欲しいなって……思ったり……するんだけど……」
そう付け足してみたけど、どんどん声が小さくなってしまった。
中野はそれについてはなんにも答えてくれなかったけど。
突然、ノートを広げて四角と線を書き始めた。
「なに書いてるの?」
一つの四角の中に北川の店の名前。
もう一個の四角の中にこのマンションの名前。
それから、何本も線を書いて、ついでに矢印を書いて。
「夜は極力出歩くな。店への行き来はこの道を使え。寄り道も禁止だ」
なんでいきなりそんな話になってるのか、ぜんぜんわかんないんだけど。
「うん……いいけど。コンビニに行きたいときは?」
店で何にも食べられない時もあるし、帰りのコンビニは必須なんだけど。
「買い物は昼のうちに済ませろ」
そう答える間にも地図はどんどん広がって、闇医者の診療所へ行く道順まで決められてしまった。
しかも、道路のどっち側を歩くか、どこで信号を渡るのかまで書いてあった。
「ねー、北川の事務所に行くときは?」
ノートの見開きを端まで使った地図の中に事務所は載ってなかったから、書いて欲しいなって思ったんだけど。
「行かなくていい。バイト代は店で受け取れ。店の中でする仕事以外は引き受けるな」
なんだか、注意事項はどんどん増えていった。
「……うん」
別に不自由だとは思わなかったけど。
でも、それじゃ中野や闇医者にあげるプレゼントが買えないかも。
「ね、それっていつまで?」
まだクリスマスまではずいぶんあるから、2〜3日なら大丈夫だよな……って思ったけど。
「とりあえず一週間だ」
テレビの上のカレンダーを見ながら、クリスマスまでの日にちを数えた。
それから、一週間引いてみて。
「大丈夫かなぁ……」
ちょっと心配だったけど、とりあえず「うん」って頷いた。
もしダメだったら、自分のコートはやめてプレゼントを買えばいい。
まだそんなに寒くないし、雪だって降りそうもないし。
きっと大丈夫だ。
中野が書いた地図を見ながら道順を頭の中に入れて。
それから、中野と闇医者へのプレゼントは何にしようか考えることにした。
楽しいクリスマスになればいいなって。
すごく、すごく、思いながら。



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