Tomorrow is Another Day
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中野が書いた地図を眺めていたら、眠くなってきた。
でも、せっかく中野の近くに座っていられるのにって思ったから、頑張って起きてることにした。
何か楽しいことを話そうと思っていろいろ考えて。
「もうすぐクリスマスだもんね」
もうすっかりクリスマスの飾りつけになった街の風景を思い出しながら、中野のパンツの裾を引っ張ってみた。
「中野、なにか欲しいものある?」
プレゼントなんて母さんにしかあげたことがなかったから、中野が喜んでくれそうなものが思いつかなくて。
「ね?」
一生懸命話しかけてみたけど、中野は新聞に集中してて何も答えてくれなかった。
「……もしかしてぜんぜん聞いてない? ……やっぱ、聞いてないんだ……」
はぁってため息をついて。
でも、もう一回だけって思って。
「なんでもいいよ? ちょっとくらい高くても」
そんな言葉も中野は本当にぜんぜん聞いてないみたいだったんだけど。
「一週間たって事務所に行けるようになったら、また客を紹介してもらうし」
そこまで言ったら眉がピクッて動いて。
「いらねえよ」
そっけない上に、すごく機嫌が悪そうな声が降ってきた。
「……なんで?」
思わず聞いてしまったけど。
「おまえに物もらっても仕方ねえだろ」
中野はそのまま新聞で顔を隠してしまった。
「……そっか……」
プレゼントを受け取ってもらうだけでもダメなんだなって思ったら、ホントは泣きそうだったけど。
でも、ガマンして、また中野が答えてくれそうな話を考えた。
「じゃあ……じゃあさ、」
おしゃれして出かけるくらいだから、もしかしたらもう恋人がみつかったのかもしれないけど。
「中野、新しい恋人はどんなのがいい? 神様にお願いするときに『アイツより可愛くて、優しい人』って言うだけじゃなくて、もっと具体的に頼んだ方がいいと思うんだ。だから……」
だって、中野が返事をしてくれそうな話題なんて他には思い浮かばなかったし。
それに、新しい恋人なら、俺からもらうんじゃないからいいだろうって思って。
でも、床にペタンと座り込んだまま見上げた中野の顔はさっきよりも不機嫌になってた。
なにか気に障るようなこと言ったかなって思ったけど、別に何も思い当たらなくて。きっと仕事で嫌なことでもあったんだって決め付けて、話し続けることにした。
「頭はいい方がいいよね? 背はアイツくらいがいい? 痩せてる方がいい? 仕事は普通のサラリーマン? 年は……やっぱりアイツくらいがいい?」
それじゃあ、全部アイツと同じなんだけど。
「でも、アイツより可愛くて優しくて、ずっと中野のそばにいてくれる人だよね?」
アイツより可愛い人なんてそんなに簡単には見つからないよなって俺だって思うけど。
「でも、クリスマスだから、きっと叶えてくれるよね?」
俺からはプレゼントなんて欲しくなくても、そんな恋人だったら嬉しいはずだから。
「大丈夫。俺、今日から毎日ホントにすごく一生懸命お願いするから」
もう一度カレンダーを見て、残りの日にちを数えた。
「クリスマスまでに恋人が見つかれば、一緒に過ごせるもんね? あ、お正月も一緒に過ごせるかもね?」
中野に新しい恋人ができたら、この鍵は返さなきゃいけないけど。
そのときは、ちゃんと諦めるから。
泣かずに「じゃあね」って言うつもりだから。
「……頑張ってお願い……しようっと」
そう言ってみたけど。


ため息とともに、首から提げてる鍵を握りしめた。
彼氏なんて見つからなければ、このままずっとこうしていられるかもしれないのに……
そんな気持ちが過ぎって、慌てて首を振った。
クリスマスプレゼントなんだから、気持ちの全部でお願いしようって決めたのに。
どうしても、それができなくて。
心の中で中野に「ごめんね」って謝って。
もう一度、ちゃんとお願いしようって思ったけど。
せっかくもらった鍵を返すのが嫌で、どうしてもどうしても、できなかった。



うつむいて溜め息をつく俺に、中野は、
「さっさと寝ろ」
それだけ言い残して、一人で仕事部屋に行ってしまった。
「……おやすみー」
寂しかったけど、仕事のジャマはできないから。
冷たい廊下を歩いて一人で先に寝室に行った。
エアコンのついてない部屋の、ひんやりした布団に潜り込む。
「うー、寒……」
むやみに広いベッドの隅に丸くなって、中野に言われた道順を復習しながら目を閉じたけど。
「……クリスマスのお願いは、明日からにしようかな」
そんなことを考え始めたら眠れそうになくて。
ぼんやりしたままベッドを這い出した。
真っ暗な部屋だったけど。
カーテンは開けっ放しで、窓には夜景が広がってて。
「……中野、いつも何見てるんだろうな……」
冷たいガラスに顔を近づけたらすぐに白く曇った。
「これじゃ、なんにも見えないし」
ちょっと冷たかったけど、裸足のまま出窓に乗って、少しだけ窓を開けた。
「うわ……」
走り去る車の音と、夜の街。
吹き込んでくる空気もすごく冷たくて、鼻と気管支にツンとくるような冬の匂いがした。
見慣れた景色。
チラチラと光って消えるヘッドライト。
でも。
中野が見てるのは、きっとそんなものじゃない。
俺には見えない場所。
俺には見えないもの。


朝までずっとこうしていたら、俺にも見えるようになるだろうか……


答えなんて、わかっているくせに。
そんなことを思わずにはいられなかった。


真っ暗な道路を光だけが動いていく。
真夜中なのに、車は途切れなくて。
半開きの窓に寄りかかったまま、流れていくそれをずっと数えていた。
明かりのついていない部屋は時計さえ見えなくて。
だから、あっという間に時間の感覚もなくなった。
「……いくつまで数えたか、忘れちゃったな……」
ぼんやりと意識が遠くなる。
眠いような気がするのに、どこか神経がピリピリと尖っていて。
でも、もう、全部がどうでもよく思えた。
クリスマスのことも、バイトのことも、健康診断の結果も、明日のことも。
「寒いのかどうかも、わかんなくなった……」
長く風に晒されたせいで、体の感覚もなくなっていた。
身体は重いのに、目は冴えていて。
でも、意識はどこかかすんでいた。


このまま朝になるのかもしれないな……って思ったとき、背中にカチャッというかすかな音が響いた。
中野だってことは分かっていたから、振り向くこともしなかった。
どうせ黙ってベッドに入って、ライトをつけて新聞を広げるだけ。
俺がどこで何してても中野には関係ないんだから。
俺なんて、居てもいなくても関係ないんだから。


ドアが閉まって、人が歩いてくる気配がしたけど。
部屋は相変わらず静かで、外から入り込んでくる音以外は何も聞こえなかった。
ライトをつける音も、新聞を広げる音も、何もなくて。
変だなって思って少しだけ振り返ろうとしたら、不意に背中が温かくなった。
「……中野?」
振り返る前に、俺は出窓から引き摺り下ろされた。
「ったく、何してるんだ」
怒られながら、ベッドの上に座らされて。
その間に窓を閉めて戻ってきた中野の顔は、すごく不機嫌そうだった。
「……寝られなかったから……車、数えてた」
それだけなのに。
なんで怒るんだろう。
「窓を開ける必要はねえだろ」
俺のことなんて、ホントはどうでもいいくせに。
「だって、中から見てると窓が曇るし……なんで怒ってるの? 部屋が寒くなったから?」
答えて欲しかったけど。
中野はバサッと布団をめくって、その中に俺を入れただけで、怒ってる理由は言ってくれなかった。
ちょっとイライラしたままエアコンのスイッチを入れて、持ってきた新聞をサイドテーブルに放り投げて。
それから、ベッドに腰掛けてタバコに火をつけた。
「夜中に車なんて数えてんじゃねえよ」
部屋が暖まってくると、手足がジンジンして、少し吐き気を感じた。
膨れて破裂しそうな感覚が気持ち悪くて、手だけ布団から出してプルプル振ってたら、中野が眉間にシワを寄せた。
「……なんか、手がね、気持ち悪い」
一応、説明なんてしてみたけど。
「当たり前だろ。冬場にTシャツ1枚で何十分も風に当たってるからだ」
「そうだけどさ……」
また怒られちゃったなって思いながら、布団の中に手を入れて。
ついでに毛布を鼻先まで引きずり上げたら、中野のため息が聞こえた。
「泣いてないもんね」
鬱陶しいって言われる前に言い訳しなきゃ……って思ったんだけど。
中野はなんにも言わずにまだ長いタバコをもみ消して、ベッドに横になった。
でも、俺からは離れた場所。
広いベッドの端と端。
手を伸ばさないと届かないくらいの距離があった。
「……ね……中野って、いつも何見てるの?」
そんなに遠くにあるものなんて。
俺には何一つ思いつかないのに。
「……ね……中野ってば」
何度呼んでも。
中野はやっぱり遠くを見ていた。
もう、窓もカーテンも閉まってるのに……―――

時計の針が動く音と。
沈黙と。

耐え切れなくなってため息をついたとき、不意に中野の声が聞こえた。
「……夜中にフラフラしてるなよ」
相変わらず俺には背中を向けていて。
少しも振り返ってはくれなかったけど。
鍵をくれた日と同じセリフが、すごく優しく響いた。
だから。
「……うん」
ほんの少しだけ中野の背中に近づいて、目を閉じた。


『それは、明日もここに帰ってきていいってこと?
あさっても、その次の日も、ずっとここに来ていいってこと?』


「早く寝ろよ」
クリスマスもお正月もその先も。
ずっとずっと一緒にいていいってこと……?
「……うん」
そんなこと、絶対に聞けないけど。
「おやすみ、中野」


聞いたら、「そうだ」って言ってくれるって。
思ってもいいってことなのかな……―――



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