Tomorrow is Another Day
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翌朝、中野と一緒にマンションを出た。
「今日はバイトなんだ。でも、いつもよりはちょっと早く終わるかも。あ、ちゃんと言われた通りの道順で帰ってくるから大丈夫だよ」
そんなことを一人で勝手に話しながら中野が働いてるビルの前まで来て。
「じゃあ、またね」って手を振ってから、闇医者のところに行った。


診療所はドアが開いてて、闇医者が玄関の掃除をしてた。
「おはよー、闇医者。俺、掃除するよ?」
どうせヒマだからって思ったんだけど。
「ありがとう。でも、もう終わりだから。それより、マモル君、中野さんと一緒に来たの?」
いつも以上にニコニコ笑われて、なんとなくちょっと照れくさくなった。
「うん。でも、やっぱり何にも話してくれなかった」
ついでに愚痴なんて言ってみたりしたんだけど。
「中野さんはそれが普通だから、気にしなくていいんじゃないの?」
闇医者にあっさりと流されてしまった。
「寒いから、中に入って。お茶入れるからね。あ、患者さんからいただいたクッキーがあるから、カフェオレにしようかな?」
いつも優しい闇医者がいるから、ここにくると本当にホッとする。
だから、つい、気が緩んで。
「わーい。お腹空いてたんだ」
うっかりそんなことを言ってしまって「あ」って思ったときにはもう遅かった。
「また朝ごはん食べてないの? ダメだよ、3食きちんと食べないと。特に朝は大事なんだから。そうじゃなくても夜だって遅いのに……」
闇医者のお小言はまだまだ続きそうだったから。
「……うん。でも、中野も食べてないんだよ?」
ちょっと言い訳っぽいと思ったけど、一応、そんなことを説明してみた。
でも。
「中野さんはいいの。もうちゃんとした大人なんだから。それに、30過ぎたら成長なんてしないんだし」
そんなことを言いながら、寝癖のついた俺の前髪をなでつけた。
「でも、マモル君はもっと大きくならなきゃいけないんだから、ご飯はきちんと食べないとね?」
5センチも伸びたのに、まだ大きくならなきゃいけなんだ……ってちょっと思ったけど。
闇医者の声はやっぱり優しくて。
「うん」
だから、言うことはちゃんと聞いておくことにした。


コーヒーとクッキーの他に、小宮のオヤジが常備しているつまみのクラッカーとチーズとを食べて、クリスマスの話をした。
「ね、闇医者は何か欲しいものない? 俺、母さんとか友達とかにしかプレゼントしたことないから、男の人になにあげたらいいのかわかんないんだ」
本当は自分で考えるのがいいんだろうけど。
でも、どうせなら喜んで欲しいって思うから。
「そうだね……何がいいかな?」
闇医者はしばらくの間考え込んでいたけど。
不意に何か思いついたみたいにニッコリ笑って、レポート用紙を持ってきた。
「何するの?」
首をかしげて見ている俺の隣で、楽しそうに12月と1月の日付と曜日と診療所のスケジュールを書き込んだ。
「来週、ここの模様替えをしてクリスマスの飾りつけにするんだけど、プレゼントの代わりにお手伝いしてもらえるかな?」
他には忘年会とか新年会とか。
いろいろあって、そのたびに準備とか片づけがあるって言ってたけど。
「うん、いいよ。でも、そんなのでいいの?」
どうせ毎日来るんだから、手伝ってもぜんぜん構わないし。
「もちろんだよ。マモル君が手伝ってくれるとすごく助かるな」
「ホント? じゃあ、来週ね?」
闇医者と約束をして。それから、もう一個相談をした。
「小宮のオヤジには何がいいと思う?」
ああ見えて社長さんだって言ってたから、持ってないものなんてないだろうって思って。
ずっと考えてたけど、なんにも思いつかなかったんだよな。
「うーん、そうだな……あ、小宮さんも倉庫が散らかっててすごく困ってるから誰か片付けてくれないかなって言ってたよ。3月までに片付けないと奥さんに怒られるみたいだし。それでいいんじゃないかな?」
でも、ちょっと広いみたいなんだけど、って付け足されたけど。
「いいよ、広くても。片付けるの好きだから。じゃあ、今度会ったら聞いてみようっと。ありがとね、闇医者」
どのくらいの広さとか、何を片付けるのかとか、ぜんぜん分からなかったけど。
うちに倉庫があるなんてすごいなー、なんて思いながら、頷いた。
「でも、よかったぁ……」
この分だと、北川に客を紹介してって言わなくても済みそうだ。
お金がかからないことばっかりだから、コートだって買えるかも。
でも、クリスマスまでに中野の気が変わるかもしれないし、自分のものを買うのはもうちょっと待っておこうって決めて。
「ね、闇医者。中野だったら、何が喜ぶと思う?」
そう聞いてみたんだけど。
「中野さんに聞いてみたら?」
やっぱりそんな返事だった。
「うん、でも……いらないって言われちゃったんだ」
思い出したら、また悲しくなったけど。
「んー、そうだなぁ。マモル君でいいんじゃないの?」
闇医者はニコニコ笑ったままだった。
それって俺にどうしろってことなんだろう。
「お金のかからないものなら、中野さんだって受け取ってくれると思うよ?」
でも、掃除は毎日少しずつしてるし。
他には何にもできないし。
中野が喜んでくれそうなものなんて、ぜんぜん思いつかなかった。
頭が悪いって、こういう時に大変なんだよな。
だって、なんにも思い浮かばないし。
「……やっぱり、お祈りかなぁ……」
その話をしたときも、中野はいまいち不機嫌だったんだけど。
「お祈り?」
「うん。中野に早く可愛くて優しい恋人ができるようにって……」
言ってるうちにまたちょっと落ち込みそうだったけど。
「そう。いいんじゃないかな。中野さんもきっと喜ぶと思うよ」
闇医者はあっさりと頷いてまた笑った。
「……中野が、もう窓の外見なくなるといいなぁって……」
側にいるのが俺じゃなくて、アイツみたいな恋人だったら、中野だってきっとよそ見なんてしないから。
アイツと一緒にいた時みたいに、まっすぐに見つめて優しいキスをするはずだから。
「ね、闇医者。どんな人なら中野は気に入ると思う?」
カフェオレのおかわりをもらって、ちびちびとクッキーを食べて。
ときどき闇医者に寝癖を直されて。
「そうだな。可愛くて優しくて一生懸命な子がいいかな」
いまいち元気の出ない俺の代わりに闇医者が真面目な顔でお願いする条件を考えてくれた。
「あとは、中野さんのことが大好きで、ずっと側にいてくれる子。中野さん、家のことなんて何にもしないから、お掃除とかも得意な子がいいかな」
「……うん」
みつかるといいなって、本当に思ってるけど。
やっぱりどこか淋しくて、がっかりしたみたいな返事になってしまう。
でも、闇医者は本当に楽しそうに何度も頷いて、俺の髪を撫でた。
「そんな子が中野さんの恋人になってくれたら、きっと中野さんだって窓の外なんか見なくなると思うよ?」
わかってる。
アイツのことを見てた中野のこと、俺はまだはっきりと覚えてるから。
「……うん、そうだよね」
中野だって、忘れてないだろう。
あんなに好きだった人。
何よりも大事にしてた人。
「でもね、マモル君。中野さんもいろいろあって、すぐにはそんな風になれないと思うから……少しだけ我慢してくれて、ずっと側にいてくれる子じゃないと駄目だと思うんだよね」
アイツと過ごした10年。
それよりも長い時間が必要だろうか。
それでもいいって言ってくれる人がいるだろうか。
「……難しいけど……みつかるといいな」
中野が淋しくならないように。
ずっとずっと側にいてくれる人。
「大丈夫だと思うよ?」
闇医者の明るい声を聞きながら、首から掛けてた鍵を握り締めた。


そのまましばらくぼんやりと考え込んでいたら、闇医者が突然、すごく真面目な顔で俺を見た。
「ね、マモル君」
「なに?」
「マモル君なら、死ぬ時は好きな人の側がいいって思う?」
なんで突然そんなことを聞くのかは分からなかったけど。
でも、もうそれで終わりなら、最期の記憶は一番好きな人がいい。
できればちゃんと声の届くところにいて、「じゃあね」って言えたらいい。
「……うん。思うよ。どうして?」
聞かなくても、理由は分かるような気がした。
「弟がね、そんなことを言ってたから……」
やっぱりなって思って。
「それで、好きな人のそばにいられたの?」
俺とあんまり変わらない年で死んでしまった闇医者の弟。
だから、最期くらいは幸せだったらいいなって思った。
「……そうだね。ちゃんと看取ってもらったよ」
一番好きな人と話をして、それから天国に行ったんだって。
そう言って、闇医者はやっぱり遠くを見た。
「そっかぁ……いいなぁ」
思わずつぶやいてしまった俺に少し淋しそうな顔で笑ってから、
「幸せだったと思う?」
また、そんな質問をした。
「うん。母さんが死ぬ時にそう言ってた。一緒にいてくれたら、最後まで幸せなままでいられるからって」


だから、息をしなくなるまでずっと側にいてね……って。
それから。
護も幸せになってね……って。
そう言って。
最期まで笑ってた。


「どうせ死んじゃうなら、俺も好きな人の側がいいなぁ……中野は絶対、俺の側になんていてくれないだろうけど。……あ、だったら闇医者の病院がいいかな。そしたら、闇医者がいてくれるし」
最初にここに拾われてきた日、俺はすごくホッとした。
闇医者も小宮のオヤジもすごく優しくて。
だから、いいなって思ったんだ。
ぜんぜん知らない人なのに、本当に優しくて。
すごく嬉しかったから。
そんなことを考えながら、真面目に話してたつもりなのに。
「そういう冗談は駄目だよ。マモル君は僕や中野さんより20年は長く生きてもらわないと」
闇医者にちょっと困った顔でそう言われてしまった。
「うん……頑張ってみるけど」
でも、どう頑張ればいいのかわかんないやって思ってたら、闇医者はニコッて笑って電話を取り出した。
「こんにちは、香芝です」
話してる相手は「吉池さん」。あの病院の看護婦さんだ。
「じゃあ、もう出来上がっているんですね?」
そんな確認をしてから、コートを着込んだ。
「健康診断の結果をもらってくるだけだから、すぐに戻るよ。少しだけ留守番お願いね?」
「うん、いってらっしゃい」
そう言って見送ったけど。
闇医者は一時間たっても帰ってこなかった。
「ぜんぜん帰ってこないじゃん。つまんないのー」
でも、ちょうど一人で留守番してるのに飽きた頃、小宮のオヤジが遊びに来てくれた。
「あれえ、マモルちゃん、一人かい?」
「うん。闇医者は出かけちゃった」
どういうわけか今日に限って患者モドキも一人も来なくて、仕方ないから二人で一緒にお茶を飲みながら待った。
「まあ、今日は寒いから、患者が来るのは昼過ぎのあったかい時間だろうしなあ?」
本当に具合が悪い患者さんなら、時間に関係なく来ると思うんだけど。
ここの診療所にはそういう人はあんまりいない。
「インフルエンザはまだ流行ってないのかねえ?」
「うん。マスクしてる人はあんまりいないかも」
店のバイトもお客さんも風邪引いたなんて話は聞かないし。
少なくともこの辺にはいないんだろうなって思いながら、またお茶を入れて。
「でも、マモルちゃん、気をつけないと今夜は寒いらしいからなあ?」
「そうなんだ?」
なぜか天気予報が好きな小宮のオヤジはそういうことには詳しくて。
「夜中に雨降るって言ってたから、遅くならないうちに帰らないと」
「うん。そうする」
俺、傘なんて持ってないし。
降らないうちに帰れるといいんだけど。
「でも、濡れちゃってもすぐにシャワー浴びて寝れば平気だよね?」
だって、今は帰るところがあるんだから、ぜんぜん平気。
そう思ったら、なんとなくニヤけてしまった。
「よかったなあ、マモルちゃん。ヨシくんのおかげで冬は無事に越せそうだなあ」
「うん」
それは本当に中野のおかげだし。
いつまで置いてもらえるのか分からないけど。
「とりあえず、今日は大丈夫だもんね」
温かい部屋。
中野の匂いのするベッド。
それから、中野の広い背中。


中野が書いてくれた地図を思い出して。
本当はいますぐ帰りたいって思った。



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