Tomorrow is Another Day
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翌朝早く「おはよう」の声で目を覚ました。
部屋はもう明るくなっていて、俺はベッドに一人で寝てた。
「……闇医者?」
俺の顔を覗き込んでいたのはいつもの笑顔。
闇医者はもう一度「おはよう」を言ってから、お医者さんらしい大きなカバンを開けた。
「起きられそう?」
聞かれて「うん」って言いながら、身体を起こしてみた。
昨日はどんなに頑張ってもぜんぜん動かなかったけど、今日は意外と大丈夫そうだった。
闇医者はまっ先に俺のおでこに手を当てて、ニッコリ笑って。
「熱は下がったみたいだね。よかった」
本当に心配させてばっかりだなって思って、ちょっと反省した。
「顔はそれほど痣にならなかったし、これなら日曜までに消えるかな。お腹と右腕以外に痛いところはある?」
着ていたパジャマを脱いだら、身体はやっぱりアザだらけで。
「押すと痛いけど、普通にしてたらそうでもない。あ、でも、口の中がしみる」
殴られて壁に激突した時に切っちゃったんだよな。
「他は? ズキズキする所とか、腫れてる所はない?」
ベッドに座ったまま手足をバタバタさせてみたけど、ぜんぶ普通に動いた。
「うん。腕も大丈夫かも」
それでも闇医者は俺にいろいろ聞きながら丁寧に診察をして、湿布を貼り替えてくれた。
「マモル君の叔父さんには中野さんが怪我の理由を説明してくれるから。向こうに行っても痛かったらちゃんとお医者さんに行くんだよ?」
そう言われて。
闇医者以外のお医者さんじゃイヤだなって思って。
そしたら、ちょっと悲しくなった。
おじさんの家はどんなところだっただろう。
何の記憶もなかったけど。
ひとつだけ分かってることは、闇医者よりも優しいお医者さんなんていないっていうこと。
「はい。出来上がり。足は大丈夫そうだけど、右腕はあまり激しく動かさないでね。殴られたところはお腹が一番酷いから、起き上がる時も無理に力を入れたりしないようにね」
いつもごめんね、って思って。
それから。
「……うん。ありがと」
闇医者に心配かけるのも、今日で最後かもしれないって思った。



一通り説明が終わると闇医者は吸殻の積もった灰皿を片付けて、俺の髪をブラシでとかしてくれた。
「はい、肌がカサカサするといけないから、ちゃんとクリームつけてね」
一度、自分の手にとってから、くりくりと俺の頬に塗っていく。
闇医者の手はキレイであったかくて。
やっぱり、ずっとこのままがいいなって思った。
「どうしたの、ぼんやりして。大丈夫?」
「ううん……なんでもない」
この先、どうなるんだろう、とか。
ここはどこなんだろう、とか。
俺を殴ったヤツは誰なんだろうとか。
分からないことはたくさんあったけど、何から質問していいのか分からなくて。
頭の中がグルグルしてた。
でも、とりあえず、一番気になったことを聞いてみた。
「ね、いま何時?」
本当に知りたかったのは時間じゃなくて、中野はもう仕事に行ったのかってことだったんだけど。
でも、そう聞くのがなんとなく恥ずかしくて、遠回しにしてみたのに。
「まだ7時だけどね。中野さんならもう仕事に出かけたよ」
なぜか闇医者には全部わかってしまう。
「そっかぁ……」
ちょっとだけ笑われて。
俺も笑い返した。
中野に「おやすみ」を言った後のことは、あんまり記憶がなかった。
でも、一緒に寝てなかったのはなんとなく分かってたから。
「ちゃんと寝たのかなぁ……」
俺がうなされて起きたのだって、もう結構遅い時間だと思うのに、中野はまだ仕事をしてた。
なのに今朝はいつもよりずっと早い時間に出かけてしまって。
中野っていつ寝てるんだろうって思うんだけど。
「仕方ないよ。中野さん、いろいろ大変みたいだから」
だからってマモル君まで巻き込むなんてね、と言って闇医者は怒ってたけど。
「違うよ。中野のせいじゃないってば。エイジが待ち合わせに行けないから、代わりに届けるようにって言われて……あっ……」
そう言えば、封筒。
やっぱり取られちゃったんだろうか。
それともあの男の人が持って帰ってきて中野に渡してくれたんだろうか。
「どうしたの、マモル君?」
聞こうと思ってたのに、すっかり忘れてた。
「闇医者、昨日ここにいた男の人のこと知ってる? 体が大きくて、色が黒くて、髪が短くて……」
知ってたら居場所を聞いて、どうなったか教えてもらわないと。
そう思って思い出せる限りのことを話したんだけど。
「マモル君のボディーガードさんのことかな?」
闇医者が当たり前のように言うから、思わず聞き返した。
「ボディーガードって?」
ボディーガードの意味が分からなかったわけじゃないんだけど。
だって、最初に見た時は診療所の前をウロウロしてて、ちょっと怪しいヤツだなって思ってたから。
「嫌だな、中野さん。それも説明してくれなかったの?」
闇医者は半分呆れたように笑いながら、リビングのドアを開けた。
手招きされて入ってきたのは本当に昨日の男の人で。
「はい。マモル君のボディーガードさんだよ」
その人は闇医者に紹介されて、「よろしくお願いします」ってすごく丁寧に挨拶したけど。
でも、名前を聞いても教えてくれなかった。
「呼ぶ必要はないですから」
そう言われて、俺はちょっと困ってしまった。
だって、一緒にいるのに呼ぶ必要がないなんて変だもんな。
「じゃあ、『お兄さん』とかでいい?」
確認をしたら「お好きなように」という返事があって。
やっぱり、なんか変な感じって思ったけど。
とりあえず俺も「よろしくお願いします」ってペコっと頭を下げてみた。
ボディーガードのお兄さんは中野よりもさらに背が高くてガッシリしてて、ちょっと怖い感じなんだけど。
「お兄さん、ヤクザ屋さんだったりする?」
そう聞いた時に「いいえ」って言って笑った顔が優しそうだったからホッとした。
だから、いろいろ聞いても大丈夫だろうって思って。
「ね、1個だけ質問してもいい?」
もう自己紹介も終わったから、普通に話しても大丈夫って思ったのに。
「何ですか?」
すごく丁寧な返事をされて、またちょっと困ってしまった。
「……その前にさ、できればあんまり丁寧な言葉でしゃべらないで欲しいんだけど」
なんだか緊張するし、話しにくい。
そう思ってお願いしてみたけど。
お兄さんには「仕事なので」と言われてしまった。
だから、それは仕方ないって思うことにした。
「じゃあ、質問ね」
そのまま本題に入って。
「昨日の封筒って、取られちゃったの?」
そうです、って言われたらどうしようって思ってドキドキしながら聞いてみた。
「封筒?」
「うん。俺がエイジから預かってたやつ」
そしたら「ああ、あれですか」って返事のあと。
「回収しましたよ」
お兄さんは別にどうでもよさそうな感じだったけど、俺はすごくホッとして体から力が抜けてしまった。
バタッてベッドに倒れ込んだら、リビングを片付けていた闇医者が心配して走ってきたけど。
「ごめんね。なんでもない。ちょっと気が緩んだだけ」
慌てて説明をしてから、
「でも、よかった。絶対に失くさないでねって言われてたんだ」
笑ってそう答えたら、闇医者とお兄さんは顔を見合わせた。
「それはエイジ君が言ったんだよね?」
「うん。そうだよ」
闇医者はふうっとため息をついてから、またお兄さんに目で何かの合図をした。
その後、闇医者はベッドの横の椅子に座って考え事。
ボディーガードのお兄さんは後ろに立っていた。
「ねー、一緒に座れば? 俺、もう一個イス持ってきてあげるよ」
そう言ってみたけど。
それも、すごく丁寧に断られた。
「立ってるのも仕事なの?」
ボディーガードって大変だなって思って聞いたら、またちょっとだけ笑われた。
闇医者もしばらく一緒に笑ってたけど。
「そういえばマモル君、いつも裏口なんか使わないでしょう? 昨日はどうしたの?」
また急に真面目な顔になって、俺の顔を覗き込んだ。
「えっと」
どうしてだろうって自分でもちょっと考えて。
何秒後かにやっと思い出した。
「あ、その方が近いからって」
そう答えたんだけど。
「近くないでしょう?」
すぐに闇医者が聞き返した。
「うー……そうかも」
ちょっとだけ遠いような気もするけど。
でも、あんまり変わらないような気もする。
「それもエイジ君が言ったの?」
「うん」
闇医者と男の人はまた顔を見合わせて、二人して少しだけ頷いた。
「ねー、どうしたの?」
闇医者は「ちょっとね」って答えただけで、あんまり詳しいことは教えてくれなかった。
それに、なんだかすごく憂鬱そうな顔をしていた。



その後は、闇医者と二人で朝ごはん。
手伝うって言ったんだけど、「マモル君は寝てなさい」って言われて、ベッドで待っていた。
開けっ放しのドアから見える食卓にはコーヒーカップが二つ。
「お兄さんは食べないの?」
聞いてみたけど、もう食べたからって言われて終わり。
答えてはくれるけど、会話にはならない。
「ふうん。すごく早起きなんだね」
それに仕事中だから、お兄さんはずっと黙ったまま。
でも、俺が何か話すたびに少しだけ笑った。
そこが中野と違うところだな、って思いながらいろいろ話していたら、闇医者に呼ばれた。
「はいはい、マモル君。お仕事の邪魔はしないの。ご飯ができたからテーブルにおいで」

大きな窓からリビングに差し込む光。
ガラス越しにも温度が伝わるほど、寒そうな色の空。
食卓から見えるのは、ただそれだけで。
なんだか不思議な光景に見えた。

「ね、ここってホテルなの?」
いったいここは何階なんだろうとか、どの辺なんだろうとか。
分からないことはいっぱいあった。
「ここは中野さんの知り合いの家だよ。お客様用だから普段は誰も住んでないけどね」
生活感のないきらびやかな部屋。
中野のうちの方がずっとあったかい感じがした。
「ふうん。なんか、すごいよね。でも、俺、お客様になったことなんてないかも」
そう言ったら、ボディーガードのお兄さんが少し眩しそうに微笑んだ。



朝ごはんの後、もう一度熱を測った。
でも、もうすっかり大丈夫だったから、部屋の中は自由に歩いていいことになった。
「うわー、広いんだなぁ」
中野んちも広いけど、それと同じくらいの広さがあった。
寝室二つ。すごく広いリビング。それから、大きなテーブルと椅子が並んだ部屋。
もちろんバス、トイレ、キッチン付き。
「ベランダも広いなぁ」
でも、また熱が出るから外はダメって言われてちょっとガッカリした。
「ねー、闇医者、診療所に行かなくていいの?」
リビングの置時計は8時半を回っていた。
ここが診療所から遠かったら、もう行かなきゃダメなんだろうって思ったけど。
「今日は午後だけ。午前中は小宮さんに留守番を頼んだから大丈夫だよ」
そう言って闇医者はせっせと部屋の中を片付け始めた。
ポットのお湯を確認して、水を足して。
「誰か来るの?」
どう見てもお客さまの準備って感じだったんだけど。
「そうだよ。北川さんが、マモル君が叔父さんのところに行く前にアルバイト代を渡さないとって言うから」
北川がそんなことを言うこと自体、ちょっと不思議だけど。
でも、それをもらったら中野のクリスマスプレゼントが買えるかも。
「じゃあ、オーナーが来るの?」
だったら、早く来ないかなって思って、ちょっと嬉しくなったのに。
「ううん、エイジ君が持ってくるみたいだよ」
その答えに、俺はちょっと嫌な顔をしてしまった。
「もしかして、マモル君はエイジ君のことが嫌いなのかな?」
闇医者が小さな声でこっそり聞いて。
ホントはそんなこと言っちゃダメだって思ったけど。
「……うん。あんまり好きじゃない」
もっと小さな声で、でも、正直に答えてしまった。
それでも闇医者は怒ることもなくて。
「そう、よかった」
なぜか、ホッとしたみたいな顔でそんなことを言った。



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