Tomorrow is Another Day
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それからすぐにエイジが来て、俺にバイト代の入った封筒を渡した。
受け取りのサインを書いてる間に闇医者は紅茶を入れに行ってしまって、リビングのソファには俺とエイジだけが残された。
もちろんボディーガードのお兄さんはいたけど、相変わらずちょっと離れたところに黙って立ってるだけだった。
「マモル君、怪我はもういいの? まさかこんなことになるとは思わなくて軽く頼んじゃったけど、大変だったね」
いかにも他人事っぽい言い方だったけど、いつもみたいにニヤニヤ笑ってはいなかった。
「うん、もうそんなに痛くないよ」
一応そう答えてエイジの顔を見た。
頬がすっかり青紫色に変わっていて、しかもぷっくり腫れていて。
ちらっと見ただけでズキズキしそうだった。
「自分こそ大丈夫なの?」
俺を殴ったのはいかにもな感じの怪しいヤツだから仕方ないって思うけど。
エイジは中野にやられたんだもんな。
そう思うとちょっと複雑な気分だった。
「これでもちゃんと避けたつもりだったんだけどね」
避けなかったら死んでたな、ってエイジは苦笑いしてたけど。
「ね、ちゃんと手当てした?」
俺には闇医者がいるから、大丈夫だけど。
エイジのほっぺは手当てなんてされてなさそうだった。
じっと見てたら、エイジは「慣れてるから大丈夫だよ」って言って。
俺がまたちょっと驚いた顔をしたら、「冷やしておけばすぐに治るしね」って付け足した。
「いつも中野に殴られるの?」
だったら嫌だなって思ったけど、エイジは「まさか」って言って笑ってた。
「……そうだよね」
俺も中野を怒らせたことがあって、その時は平手で叩かれて。
口の中が切れて、ほっぺがちょっと赤くなったけど、でも、こんな風に思いっきり腫れたりはしなかった。
あの時、中野はちゃんと手加減してくれてたんだなって今頃思った。
「俺、グーで殴られたことなくてよかったな」
思わず口に出してしまったけど、エイジは何も言わなかった。
ただ携帯メールのチェックをして、ときどきチラッと闇医者やお兄さんの方を見て。すぐにまた携帯に視線を戻して。
その間も何か言いたそうだったけど、やっぱり何も言わなかった。


「ねー、エイジは今日バイトないの?」
できれば早く帰ってくれないかなって思いながら、聞いたけど。
「この顔で?」
そんな返事だけで。
「そうだよね……」
仕方がないので闇医者が紅茶を入れてきてくれるのを待った。
話すこともないし、手持ち無沙汰だったから、受け取ったバイト代を数えることにして封筒を開けた。
一万円札3枚と千円札数枚。それとコイン。
「なんか、いつもより多いかも」
これなら中野だけじゃなくて闇医者と小宮のオヤジにもちゃんとプレゼントが買えそうだった。
思わずニコニコしたら、エイジと目が合って。
ついでにエイジに変な笑いを返されて。
感じ悪いなって思ってたら、
「マモル君も中野さんには気をつけた方がいいよ」
急にそんなことを言った。
「え?」
中野の何に気をつけるのかとか、そういうことは何も言われなくて、ちょっと悩んでしまったけど。
考えてる途中で大事なことに思い当たって、それもどうでもよくなった。
「でも……俺、どうせ日曜にはいなくなるし」
側にいられないんだから、気をつける必要なんてない。
そう思ったら急に悲しくなった。
「ああ、そうだっけ」
軽く返したエイジの声は、笑っているような、ホッとしているような、微妙な感じだった。
もう何も話したくないなって思ったけど、その後もいろんなことを聞かれて。
鍵は返したのかとか、なんで急に追い出されるのかとか、中野に新しい恋人ができたのかとか、本当に仕事は手伝ってないのかとか。
「……そんなの、わかんないよ」
分かってるのは、俺が邪魔なんだってことだけ。
中野は挨拶やお天気の話だってしてくれないんだから、そんな大事なことを俺に話すはずない。
そう答えたら、
「鍵を返したかも分からないの?」
エイジがちょっとバカにしたみたいに肩をすくめた。
「……うん」
ちゃんと首からかけてたはずの鍵は、いつの間にか無くなってた。
昨日どこかに落としてしまったのか、寝ている間に中野が取り上げたのか、それも分からなくて。
どっちにしても日曜には返すはずのものだけど、ないことに気づいてしまったら、また泣きたくなった。
「まあ、中野さんのことはマモル君にはもうどうでもいいことだよね?」
少し笑われて、また落ち込んで。
これ以上、二人で話すのが嫌になってしまった。
「……闇医者、早く戻ってこないかな」
キッチンに目をやったけど、闇医者はティーカップを温めたまま真剣な表情で誰かと電話していて、すぐには戻って来そうになかった。
やだなって思っている間も、エイジはニヤニヤしたまま俺の顔を見てた。
「ねえ、マモル君。日曜まではここにいるんだよね?」
バイト代を渡すのが用事だったなら、もう帰ってくれればいいのに。
「……うん、外に出るなって言われてるから」
その時、ちらっとお兄さんを見たら、目が合って。
「そうだよね?」って聞いたら、お兄さんは姿勢よく立ったままで少しだけ頷いた。
聞いてなさそうな顔をしてるけど、ホントはしっかり聞いてるんだなって思って。
それは別にいいんだけど。
日曜までここにいて、それからおじさんちに行ったら、プレゼントなんて買いにいけない。
それに、日曜は診療所もお休みだから、闇医者や小宮のオヤジにバイバイも言えないかもしれない。
せめて帰るのが土曜日だったら、午前中は闇医者も小宮のオヤジもいるかもしれないのに。
なんだか全部が憂鬱になって、思わずため息をついた。
「よかったじゃない。来週には普通の生活ができるんだね。親戚の家はここから近いの?」
エイジの質問も。
一人でここにいるのも。
叔父さんちに帰るのも。
もう、全部が嫌で。
「……知らない。中野が送ってくれるって言うから、何も聞かなかった」
おじさんの家は母さんと住んでたアパートから少し先の駅にある。
駅からの道もだいたいなら分かってたけど、言いたくなくて嘘をついた。
「じゃあ、車で帰るんだ? 中野さん、何時頃に出るって言ってた?」
エイジには関係ないことばっかりなのに。
「なんでそんなこと聞くの?」
そう聞き返してみたけど。
「マモル君と会うのも今日で最後かもね」
エイジはまたニヤニヤ笑って、「元気でね」と言い残して席を立った。


闇医者がマンションの一階までエイジを送っていったけど、ボディーガードのお兄さんはずっと同じ場所に立っていた。
でも、闇医者が戻ってくると二人ですごく小さな声で話をして。
お兄さんは少しの間だけどこかに出かけていった。
「はい、マモル君。紅茶どうぞ」
いつもの笑顔と一緒に差し出されたカップからはホカホカに湯気が立っていて、すごくいい匂いがした。
「ありがと」
全部が分からなくて。
すごく不安で。
でも、さっきお兄さんと話してたことは、きっと俺には知られたくないんだろうって思ったから、聞かないでおくことにした。
紅茶を飲みながら、テーブルに置かれていた新聞を広げて。
でも。
「ぜんぜん分かんないや。辞書、持ってくればよかったなぁ……」
闇医者はさっきから部屋を片付けたり、電話をかけたりしてて、字が読めないくらいで呼び止める気にはなれなかった。
分からないところは飛ばしながら、1面とスポーツ欄とテレビ欄を見て。
次は何を読もうかなって思っていたら、また分からない字があって。
「ここって、辞書とかないのかなぁ……」
キョロキョロしてたら、いつの間に戻ってきたのか、お兄さんが答えてくれた。
「本の類はありません。貴方の持ち物は今日の午後、ここに届きますから」
笑ったりはしないけど、落ち着いた優しい声が返って来て。
「……そうなんだ」
ホッとするような、寂しいような、変な気分のまま頷いた。
今日、届く荷物。
まとめておけって中野に言われた。
それは別に面倒なことでもない。
持ち物なんて着替えと辞書と筆記用具。本当にそれだけで。
「そんなにたくさんないもんな……」
腹の出る服とか、ピチピチの短パンはもう着ないだろうし、夏に着てたものはもうヨレヨレだから、それを捨てたら長袖のTシャツとパンツが2枚ずつくらいしか残らないはず。
簡単な作業。
でも、それが済んだら、中野に会えない日がすぐそばまで来てしまうような気がした。
「荷物の片付けなんてすぐ終わっちゃうから、明日でもいいよね? 今日は天気もいいし、散歩してもいい?」
なんとか出かけられないかなって思いながら聞いてみたけど。
振り向いた闇医者からは「NO」の返事。
「マモル君はここでテレビでも見てのんびりしていてね。お昼も用意していくから、ちゃんと食べて薬を飲んで。少しお昼寝もして」
闇医者の口調には、「出かけちゃいけないよ」っていう空気が思いきり漂っていた。
「でもさー……俺、もうどこも痛くないし、ちょっと外に行ったりしてみたいんだけど……部屋の中、退屈だし……」
ちょっとだけ遠回しにして聞いてみたけど。
「まだ安静にしていないと駄目だよ」
今度はきっぱりそう言われてしまった。
そのあと、テレビをつけて、俺をソファに座らせて、紅茶のおかわりを手渡して。
自分はコートを羽織った。
「でも、本当に大丈夫だよ?」
もうちょっとだけ頑張ってみたけど。
闇医者の返事はやっぱり「駄目だよ」で。
これ以上頑張っても、絶対聞いてくれそうになかった。
「じゃあ、マモル君。何かあったらボディーガードさんに言うんだよ。彼に言いにくかったら僕に電話して」
部屋の隅にある電話を指差しながら、にっこり笑う。
闇医者が俺に意地悪をしてるなんてぜんぜん思わなかったけど。
「ホントにちょっとだけでもダメ? どうして?」
最後の日までにプレゼントを買いにいかなくちゃって思ったから、必死に聞いた。
そしたら、闇医者はちょっと困ったような顔になって、ボディーガードのお兄さんの方を見た。
でも、お兄さんも困ったように首をかしげただけで。
闇医者はため息を一つ吐いたあと、
「外出は、中野さんが『いい』って言ったらね」
まだ困った顔のままで俺の髪を撫でてた。
でも、それもやっぱり「ダメ」ってことなんだろう。
だって、中野に「何しに行くんだ」って聞かれても答えられないんだから。
「……うん」
でも、これ以上わがままを言って闇医者を困らせたくなかったから、とりあえずそんな返事をした。
明日になれば闇医者だって気が変わるかもしれないから、もう1回頼んでみようって思ったけど。
闇医者が「よかった」って言って本当にホッとした顔で笑うから、明日になってもやっぱり聞けそうにないなって思った。
「じゃあね、マモル君。夕方、また様子を見に来るから」
忙しそうに出ていく闇医者を見送ったあと、俺はなんだかガッカリしてしまって、玄関に突っ立ったまま、しばらく動くことができなかった。
「……クリスマス、したかったのにな……」
せめてプレゼントだけでもって思ったのに。
肩を落としたまま15分くらい立ち尽くしていたら、お兄さんの声が背中に響いた。
「こんなところにいたら風邪を引きますから」
本当に心配そうな声で優しく促されて。
「……ごめんなさい」
お兄さんにまで心配させちゃったんだなって思いながらリビングに戻った。


午前中は新聞を読んだりテレビを見たりしながら過ごして、午後イチで届いた荷物を整理した。
普通の洋服なんてほとんどなくて、それを捨ててしまったら2日分くらいの着替えしか残らなかった。
「新しいの買わないといけないのかなぁ……」
中野と闇医者と小宮のオヤジにプレゼントを買ったら、金なんてそんなに残らないような気がするんだけど。
ちょっと考え込んだら、鎮痛剤を飲んだせいか眠くなってきて。
あくびを連発していたら、お兄さんにベッドに行くように言われた。
「夕方には中野さんもここへ来ますから。それまで休んでいてください」
仕事だからだとは思うんだけど。
でも、すごく優しくて。
「うん。ありがと」
なんとなくダルかったから、言われた通りにベッドに入った。
「おやすみなさい」
開けっ放しのドアの外に立っているお兄さんにそう言って目を閉じた。
闇医者を困らせるのは悪いから、中野が帰ってきたら、「ちょっとだけ外に出ていい?」って聞いてみよう。
「……散歩するって言えば大丈夫だよね、きっと」
そう思いながら、いつの間にか眠っていた。



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