Tomorrow is Another Day
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足音と話し声が聞こえて、意識が戻った。
薄っすらとタバコの匂いがしたから、中野が帰ってきたんだって分かった。
部屋はカーテンもぴっちりと閉められていたけど、外はまだ明るくて。
今ならまだ「散歩に行きたい」って言っても大丈夫な時間だった。
急いで飛び起きてリビングに走っていったら、中野が眉を寄せた。
俺、まだ何も言ってないし、何もしてないと思うんだけど。
「……なに?」
それでも中野は何も言ってくれなかったけど。
二人して黙ったまま突っ立ってたら、お兄さんが俺の服を持ってきてくれた。
「部屋は暖かいですが、もう少し何か着ていた方がいいですね」
そんなことを言われて、仕方なく袖を通したけど。
「でも、いつもこれだもんな」
Tシャツと短パン。
おじさんちには持っていかれない方の服だから、確かにちょっと腹が見えてたりはするんだけど。
でも、別に寒くはないし、中野の家にいるときだって同じようなカッコをしてるのに。
「ねー、中野。もしかして、今日、機嫌悪い?」
きっとそうなんだろうって思ったのは、俺の言葉全部を思いっきり無視した中野の横顔を見てる時。
中野は眉間にシワを寄せたまま、持っていた大きな紙袋と小さな紙袋をお兄さんに渡して。それから、イライラした仕草でタバコに火をつけた。
大きな紺色の袋には金と銀のリボンが斜めに掛けてあって、いかにもクリスマスっていう感じで。
小さな袋は書類を入れるような普通の封筒だったけど、ぼこぼこに膨らんでいて、大きさのわりにはちょっと重そうだった。
お兄さんは受け取った袋を二つとも寝室に持っていって、そのままどこかに電話をしはじめた。
リビングにはまた俺と中野の二人きりになった。
時計を見たらまだ4時前で、外もそんなに寒そうじゃなくて。
だから、言うなら今しかないって思った。
「あのね、中野」
そのまま勢いだけで「散歩に行きたい」って言ってみたけど。
「駄目だ」
その一言で全部が終わってしまった。
「なんで? ねー、なんでなの?」
何回聞いても理由なんて話してくれなかったし、「ホントにちょっとだけでいいのに」って粘ってもすっかり聞き流されて。
泣きそうになってたら、戻ってきたお兄さんが助けてくれた。
「徒歩はもちろん駄目ですが、車でしたら大丈夫なのでは? 人気のないところには行きませんし、気分転換も必要でしょう?」
それでも中野は駄目だって言ったけど。
「欲しいのは情報であって彼自身ではないのですから。人込みで手を出すようなことはまずないでしょう。……それとも、彼を表に出すと困る理由が他にもあるのですか?」
その言葉がなんとなく意味ありげで。
また俺だけ分からない話をしてるんだなって思った。
お兄さんの言葉に中野はちょっとだけ嫌な顔をしたけど、
「……あるわけねえだろ」
タバコを咥えたままそう返した。
「でしたら、30分だけ外出の許可をいただけますね?」
お兄さんが真面目な顔で聞いて。
でも、中野は返事をしないままコートを翻して部屋を出ていってしまった。
「……あれって、ダメってことだよね?」
勝手にしろって感じにも見えたけど。
俺には判断できなくて、お兄さんを見上げたら、にこって笑われて。
「じゃあ、暗くならないうちに行きましょう」
よくわかんなかったけど。
でも、お兄さんと一緒に買い物に行けることになった。
「車を呼びますから。その間にちゃんとコートを着てください」
診療所に忘れてきたはずの中野のコートが手渡されて。
「ありがと」
嬉しくて、コートをギュッと抱き締めたら、やっぱり中野の匂いがした。
「どちらへ行きますか?」
マンションの前までタクシーを呼んで、二人で乗り込んで。
「買い物。クリスマスプレゼント買うんだ」
そう答えたら、「そうだったんですか」ってクスッと笑われた。



黒いタクシーに乗ってデパートに向かう。
なんだか楽しくて、その間も俺はずっとしゃべっていた。
「もう買うものは決めてあるんだ。だから、すぐ帰れるよ。えっとね、中野と闇医者と、あとはね……」
30分だもんな。急がないと。
そう思ったら気持ちまで急いでしまって、なんとなく早口になって。
話したいことを全部一気にしゃべったら、お兄さんが引いていた。
ちょっとダメだったかもって思って。
「……ごめんね。うるさかったよね」
そう聞いてみたけど。
お兄さんは首を振って、にっこり笑った。
「ご親戚のところへ帰れば自由に出歩けますから。それまでの辛抱ですよ」
それは俺にとって、いいことじゃなかったんだけど。
「……うん。ありがと」
みんな心配してくれるんだからって思って。
そう返事をした。

自由に歩けなくても。
あの部屋から1歩も外に出られなくても。
中野の近くにいたいのに。

―――なんで、ダメなんだろう

車の窓から流れる風景を見ながら、淋しい気持ちを噛み締めた。
あと少しだけの時間。
そしたら、もうずっと会えないかもしれない。




信号が赤に変わって、止まった風景を見回して。
やっとここがどこなのか分かった。
もうすぐ神社の前を通るはず。
「ね、信号渡って少しのところで止めて。5分だけでいいから」
信号が青になると同時にタクシーの運転手さんにお願いして、道路の脇に止めてもらった。
すぐに車を降りて走り出そうとしたら、お兄さんに止められて。
「勝手に歩き回らないでください」
ちょっと厳しい声で怒られてしまった。
「あ……ごめんね。でも、お守り買ってくるだけだから。ダメ?」
お兄さんからの返事は「仕方ないですね」だったけど、あんまりいい顔はしてなかった。
タクシーを待たせたまま、先に歩き出した。
お兄さんは少し離れたところから、こっちを見てた。
神社の境内を走って、お守りを一つ買って。
慌ててお兄さんのところまで戻った。
「もう、いいんですか?」
ホッとしたような優しい声で聞かれて、「うん」って答えた。
「俺、前にね、ここで寝てたこともあるんだ」
春だったか、夏だったか忘れたけど。
「おじさんに見つかると追い出されちゃうんだけどね」
お兄さんはあんまりしゃべらないけど。
話しかけるとちゃんと頷いてくれた。
「外って気持ちいいなぁ」
なんとなく懐かしい気分で、大きな木下で深呼吸した。
少し湿った枯れ葉の匂いと、冷たい空気が体の中に染みてきて、すっかり冬なんだなって思った。
「そろそろ戻りましょう」
お兄さんに促されてタクシーまで走った。
バタンってドアを閉めて。
それから、お守りをお兄さんに渡した。
「助けてもらったから。それにボディーガードっていろいろ危ないんだよね?」
お兄さんは静かで優しそうな人だけど。
仕事はきっと俺が思ってるよりもずっと大変で、この間みたいに、変なヤツを追い払ったりしないといけないんだろう。
それに、他にも危ないことがたくさんありそうだし。
「クリスマスっぽくないけど。でも、いいよね?」
そう言って返事を待ったけど。
お兄さんはしばらく固まっていた。
「あ……えっと……迷惑だったりする? いらなかったら……」
受け取ってもらえないってことは予想もしてなかったから、俺もちょっと慌ててしまったけど。
宗教が違うとか、そういう難しい問題で受け取れないってこともあるかもしれないし。
ただ、単に迷惑ってこともあるだろうし。
もっとよく考えればよかったのかなって思って、ちょっとだけシュンとしてたら、お兄さんがお守りを胸のポケットにしまった。
「……小学校の時以来、かな。祖母にもらったお守りをランドセルにつけてました」
そのあと、笑いながら「ありがとうございます」って言ってくれた。
「よかったぁ」
俺も笑い返して。
それから、車を出してもらった。

みんな優しいのに。
なんでここにはいられないんだろう。
理由を聞いたら、教えてもらえるんだろうか……

「えっと。次は闇医者と小宮のオヤジと、あとは中野のプレゼント」
闇医者にプレゼントをもらった日からずっと何にしようかなって悩んで、やっと決めた。
「デパートでいいんですか?」
喜んでもらえるか分からないけど。
「うん。大丈夫」
でも、一生懸命考えたから。

本当は、クリスマスの日に渡したかった。
店の掃除とか、皿洗いとか。お客さんの話し相手とか。
普通に働いて稼いだ金で買ったプレゼントなら、中野だって受け取ってくれるかもしれないから。

「着きましたよ」
車を降りる時、中野のコートからふわりとタバコの匂いがして。
「うん」
なぜかまた少し淋しい気持ちになった。



買い物を終えた時にはもう暗くなりかけていた。
「早く帰らなきゃ」
って言っても、車だから俺にはどうにもできない。
部屋を出てからどれくらい経ったか分からなかったけど、30分なんて短い時間じゃないことだけは確かだった。
「中野、怒るかなぁ」
俺はすごく心配してたんだけど。
お兄さんは少しだけ笑って、「中野さんはまだ仕事をしている時間ですから」って言っただけだった。
マンションの前に着いたとき、運転手さんにお金を払おうとしたら断られて。
「でもさー」
それじゃ悪いよなって思ったけど。
「タクシーじゃないですから」
って言われて、よく見たら料金メーターもなくて。
「じゃあ、お兄さんの友達なの?」
でも、運転手さんはちょっと年上だ。
友達って感じじゃない。
どうなんだろうって思いながら見つめていたら、お兄さんはしばらく考えたあと、「仕事仲間ってところでしょうか」って真面目な顔で答えてくれた。
「じゃあ、お給料は別にもらうの?」
本当にお金はいいのかなって思いながら聞いたら、運転手さんが「はい」って言って。
だったら、いいやって思ったから。
「ありがと。じゃあね」
お礼だけ言って手を振って車を降りた。


お兄さんがマンションの鍵を開けて、俺を先に中に入れて。
プレゼントの入った袋を抱いて、スリッパをパタパタさせながら走っていったら。
「うわっ……」
リビングの真ん中に中野が突っ立っていた。
「……仕事じゃなかったの?」
ちょっとヤバイかも、って思ったけど。
あとから入って来たお兄さんは、驚きもしないで、「ただいま戻りました」と挨拶をした。
それを聞いても中野はやっぱり不機嫌そうな顔で。
目線だけでお兄さんを呼びつけて。
お兄さんが怒られそうになったら、俺が悪いんだって言わなくちゃって思ってたんだけど。
頑張ろうって思いながらじっと見てたら、中野は面倒くさそうに俺の腕を掴んで。
寝室まで引きずっていって、中に押し込んで、ドアを閉めた。
バタン、って乾いた音がして。
部屋に一人で残された俺は、またちょっと淋しくなった。
「……今日も仲間はずれだしー」
どうせ俺だけ関係ないんだもんね、ってちょっと拗ねて。
それから、ドアに耳をつけてみたけど、話し声はぜんぜん聞こえなかった。
「つまんないのー」
テレビもない部屋に一人きりで、本当になんにもやることがなくて。
ベッドに座ったまましばらく窓の外を見てた。

もう、すっかり真っ暗になった空に冷たそうな月。
その下に、キラキラの夜景。
中野の家と違って、ネオンは少し遠くに見えて。
「……中野んちに、帰りたいなぁ……」
最後の日にはピカピカに掃除して。
それから。
バイバイって言って、玄関を出たいなって思った。



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