Tomorrow is Another Day
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あまりにものどが渇いて、咳き込みながら起き上がった。
中野が帰ってきていればいいなって思いながらリビングに行ったけど、小さな明かりがついているだけで誰もいなかった。
「お兄さん、寝てるのかな」
そう思ったけど、リビングの椅子の上に掛けられてた黒い上着がなくなっていた。
一緒に置いてあったコートもなくなってた。
「……おいてかれた」
ボディーガードだから、ずっと一緒にいてくれるような気がしてたけど。
よく考えたら、昨日も俺が寝た後はいなかったんだよな。
「安全なとこにいるなら、必要ないもんな」
お兄さんだって他に仕事もあるかもしれないし。
家族だっているかもしれないし。
「……でも、ちょっと淋しいかも」
知らない場所で一人きり。
そうじゃなくてもいろんなことが分からなくて、気持ちのどこかが不安で仕方なかったから。
あちこち電気をつけて、すごく小さな音でテレビもつけて、ついでに中野に電話したくなったけど。
「仕事だって言ってたもんな」
それにもう真夜中だし。
「おとなしくしてないと」
エイジの電話で出ていったから、ホントはすごく気になったけど。
でも、これ以上ジャマだなんて思われたくない。
「あーあ……」
ベッドに行こうかとも思ったけど、もう眠れそうになかった。
何を考えても落ち着かなくて。
おじさんちには持っていかない服の中から、北川に借りた制服のブレザーを引っ張り出してみた。
「俺も高校生だったら、こういうの着てたのかなぁ」
闇医者も似合うって言ってくれた。
最初にこれを来た日は中野も優しかった。
「じゃあ、今日はこれ着て過ごそうっと」
Tシャツの上から真っ白なシャツを着て、ブレザーに袖を通して。
中野から教わった通りにネクタイを締めて。
「……うまく結べたかも」
そのままテレビの前に座ってみたけど。
やっぱり一人だって思ったら、なんだかぜんぜん楽しくなくて、音も画面も全部が素通りしていった。
ふう…ってため息をついたとき、テーブルの上に置かれている新聞が目に入った。
「あ、宿題しようかな」
それだって、それほど楽しい気分にはならなかったけど、最後の日に闇医者に見てもらおうって思ったら少しだけやる気が出てきた。
寝室に勉強道具を取りにいって、紙袋を開けて。
辞書やノートを取り出すとき、一緒に置いてあった紙袋に目が行った。
書類サイズの袋が一つ。
リボンのかかった大きな袋が一つ。

―――中味、なんだろう……

小さな袋は封もしてなかったから、ちょっと角度を変えたら半開きのふたから中が見えて。
その瞬間、ドキッとした。
「……金……?」
正確には札束。
帯の巻いてある1万円札の束がいくつも入ってた。
「……なに、これ」
そんなにたくさんの金を見たことがなかったから、心臓が変にドキドキしたけど。
でも、俺には関係ないんだからって言い聞かせて。だから、これは見なかったことにした。
「それよりも、こっちが気になるんだけどなぁ……」
中野が買ってきたのかもしれないリボンのかかった大きな袋。
でも、さすがに中は見えなかった。
そっと持ち上げてみたけど、大きいわりには軽い。
「うーん……」
紙袋は底が広くて大きくて。鼻を近づけてみたけど、これといって何の匂いもしなかった。カバンならもうちょっと重いかなとか、服だったらもうちょっと薄い袋かなとか、いろいろ考えたけど、結局わからなかった。
「でも、なんか、ここだけクリスマスだし」
金色と銀色のリボンはキラキラで。
「誰かにあげるのかな。それとも中野が誰かにもらったのかなぁ……」
そんなふうに思ったら、また、なんにもする気がなくなってしまった。
ペタンと床に座って、じっと紺色の紙袋を見ながらコロンと横になった。
俺の荷物の上には中野から借りてるコートが置いてあって。
別に寒くなかったけど、寝転がったままそれを被った。
鼻先を押し当てたそれは、中野の腕の中と同じ匂い。
「……今頃なにしてるのかなぁ……」
暖かい床に頬をつけて、天井を眺めて。
エイジと一緒の仕事ってなんだろう、とか。
このまま日曜日まで中野とは会えないんだろうか、とか。
闇医者たちにお別れを言う時間はあるのかな、とか。
いろんな物がぐるぐると頭の中を巡っていった。
「寝ようかなぁ……」
眠くなりそうで、でも、妙に醒めてて。やっぱり眠れそうにないなって思ったとき。
「……あれ?」
何気なくリビングに目をやったら、椅子の上にどこかで見たカバンが置いてあるのに気づいた。
「あれって、闇医者のだ」
慌てて起き上がって、中野の上着をたたんで置いてから、そっと他の部屋を探しにいった。
会議室みたいな部屋は静まり返っていて誰もいなかった。
「じゃあ、こっち?」
隣のドアをそっと開けてみた。
そこは俺が最初に寝てた部屋で。中には明かりがついていて、小さな机の前に闇医者が座ってた。
ドアに背を向けて何かを考えてるみたいに頬杖をついて。
机の上にはカルテと診察日記。
あとはペンとか、手帳とか、いろいろ。
白衣は着ていない闇医者の背中。でも、やっぱりお医者さんっぽくて。
なんだか嬉しくなって本当はすぐに話しかけたかったけど。
「あ、でも……」
気がついてないみたいだから、ちょっとだけびっくりさせてみようって思って。
ドアは開けっ放しのまま静かに近づいて、「わっ」って小さめの声で言って背中に抱きついた。
振り返った闇医者は声も出さなかったけど。
なんだかすごく驚いた顔をしていた。
「……闇医者、どうしたの?」
俺の方がびっくりして聞き返したけれど。
その質問と、闇医者が呟いたのは同時だった。
「……敦志……」

どこかで聞いた名前。
アツシは。
闇医者の弟の名前……―――

机の上には色褪せた家族の写真。
その隣に淡い緑色の手紙。
写真の中で、弟はブレザーを着ていた。
今、俺が着ているのと同じ、高校の制服。

――――ああ、そっか……

ただ、そう思った。


机からペンが落ちて、カチャンという音を立てる。
闇医者は、そこでやっといつもの顔に戻った。
「……マモル君……?」
俺の名前を呼んで、少しだけ笑顔を見せて。
でも、俺はまだ呆然としていた。
だから、「うん」って答えるのが精一杯だった。
闇医者は困ったみたいに笑ってからペンを拾い上げて、俺の方に向き直った。
「びっくりさせちゃったみたいだね」
いつもの優しい笑顔。
俺もやっとホッとして。
「ううん、大丈夫」
少しだけ笑い返して、息を吐いた。
「日誌を書いてる途中で寝ちゃったみたいだね。……さっきまで弟の夢を見てたよ」
写真に目をやって、そう呟いた。


―――楽しい夢だった?

そう聞こうとして。
でも、聞けなかったのは、闇医者がまた遠い目をしたから。
中野が窓の外を見るときみたいな、すごく、すごく遠い目。

闇医者はため息のあとで写真を手に取って、目を伏せた。
家族に囲まれて笑っている弟。
闇医者に良く似た優しい笑顔。
俺が見たら、自分とは似てないって思うけど。
「……そんなに似てる?」
闇医者は伏せていた目を開けて、少しだけ困った顔で首を傾げた。
「そんなことないんだけどね……」
そう言って何でもないって顔で笑ったけど。
「でも、向こうの病院の院長先生も看護婦さんも似てるって言ってた」
エイジもそう言ってた。
北川から弟の話を聞いたって。
それで、「マモル君と似てるんだってね」って言われたんだ。
「なんていうか、背格好とか雰囲気とかが……ちょうどマモル君みたいだったかなって。だから……」
闇医者の手は写真と机の上に戻して、代わりに俺の頬に手を当てた。
「―――似てるって思う人と、似てないって思う人がいるんじゃないかな」

そんな返事を聞きながら、淡いグリーンの手紙を見つめた。
机の片隅に置かれた弟の手紙。
今でもよく覚えてる。
とても短い手紙。
優しい文字。
『大好きでしたと伝えてください』
あの日読んだそんな言葉も不思議なほど気持ちの奥に刻まれていた。

「ね、闇医者」
「なに?」
手紙は何度も広げられたんだろう。
最初に俺が手にした時より、少しよれているように見えた。
「これ、伝えてあげたの?」
闇医者は少しの沈黙のあとで静かに首を振った。
俺が手紙を読んであげてから、もうずいぶん経つ。
なのに、今でも手紙はここにあって。
弟が大好きだった人は、まだ知らない。
「どうして? 伝えてって書いてあるのに?」
言えなくて。
だから、手紙に書いた言葉だと思うのに。
「うん……でもね……彼が―――弟が好きだった人が、ちゃんと決めてからにしようって思っているから」
闇医者はそれ以上言わなくて。
だから、何を決めるのかってことはわからなかったけれど。
「……ふうん」
聞いちゃいけないような気がしたから、ただ、そう答えた。


闇医者が手紙を渡す日。
その人はどんな気持ちでこれを読むのだろう。
もういない人からの最後の手紙。
嬉しいだろうか。
悲しいだろうか。

それとも、「いまさら」って思うだろうか。


「……その人も、好きだったんだよね?」
なんとなく、そんな気がしてた。
でも、闇医者は俺の質問に首を振って、
「僕が無理にお願いしたんだ。もう長くはないから、せめて最後のわがままを叶えてやりたいって。……彼はそれに付き合ってくれただけだよ」
寂しそうに、それから少し苦しそうに、そう答えた。
弟の気持ちも、好きだった相手のことも、なんにも分からなかったけど。
「……そんなことないよ。きっと、すごく好きだったと思うよ」
ポツリと口にしたひとりごとに、なぜかズキンと胸が痛んだ。
思い出さなきゃいけないことがあるような気がして。
でも。
「どうしたの、マモル君?」
闇医者が心配そうな声で聞いたから、
「ううん、なんでもない」
結局、思い出せなくなって、そのまま笑い返した。
「じゃあ、俺、もう寝ようかな」
それから、「おやすみ」を言って部屋を出た。
ベッドに入って、天井を見つめて。
何か大事なことを忘れているような気がしたけど、闇医者が隣の部屋にいるって思ったら、すぐに眠ってしまった。



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