Tomorrow is Another Day
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楽しい時は早く目が覚めるんだよなって思いながら毛布をたたんだ。
少し早いけど、他にやることもないし、また掃除をしようと思ってたら、携帯を見ながら白井が起きてきた。
「おはよー。早いんだね。もう仕事なの?」
白井は「まあな」って言っただけ。
そのあとはすごく嫌そうにクリーニングのビニール袋からワイシャツを取り出して袖を通した。
「お昼からにすればいいのに」
いつもそうなんだからって思ったけど。
白井は「嫌な客が来るんだ」って言いながら、本当に嫌そうな顔でスーツに着替えた。
「ふうん。じゃあ、仕方ないね」
俺は約束通りにクローゼットの中。前と同じように音を立てないように座って客が来るのを待った。


それから少しして、スリッパの音。それから、前にも来てた偉そうなヤツの声が聞こえた。
「まだ分からないのか。まったく役に立たないな」
話はこの間の続きみたいだったけど。
今日も退屈しそうだなって思いながら、薄ら寒いクローゼットの中であくびをした。
「でしたら、久世社長の片腕という男について、もう少し情報をいただけませんか?」
白井はずっと丁寧な話し方のままだったけど、なんとなくイライラしてるのがわかった。
「情報? そんなもの聞いてどうする?」
そんな返事と一緒に険悪な空気が流れて、なんだか俺の方がどきどきした。
「子供を捜すのに必要です。住んでいる場所とか、名前とか……久世社長のところに出入りしているというだけでは、どうにも……」
そうでなくても白井は朝は苦手だから、こんな時間から偉そうなヤツと話をするのはきっと嫌だろうなって思って。
だから、早く帰るようにってお祈りすることにした。
「なんだ、その不満そうな顔は。おまえは言われたことだけやっていればいいんだ。余計なことを考える暇があったら、さっさと仕事を片付けろ」
白井と仲良くなったせいなのか、なんだか自分が言われてるみたいな気がして、前に来た時よりもずっと嫌なヤツに思えた。
「しかし……―――」
「どうしても見つからないと言うなら、代わりを連れて来いと言ったはずだろう。遠目にそれらしく見えればどうにでもなる」
盗み聞きがダメなのは分かっているんだけど。
退屈だったから、ところどころ拾える会話を一人で勝手に繋げてみた。
白井の仕事はどこかの社長の知り合いの子供を捜すこと。でも、その社長の知り合いってヤツがどこの誰だか分からなくて、だから、子供がみつからない。
それだけは分かったんだけど。
弁護士事務所って子供を捜したりもするのかなぁ……とか。
名前も家も分からないヤツの子供なんて探せるわけないじゃん、とか。
いろいろ考えてる途中で、ふと、本当は弁護士なんて嘘なのかもしれないって思った。
「子供の写真?」
「はい。いくら背格好が同じくらいならと言ってもそれなりに似ていないと。遠目のものでもいいので、なんとかそれだけ……」
少し早口になった白井の言葉を遮って、偉そうな男が答えた。
「写真はない。犬が逃げた時、全部処分していったらしい。写真に限らず関係書類は何も残っていなかった。必要なら自分で探すんだな。こちらで分かっているのは、小柄で痩せ過ぎでパッとしない子供だということだけだ」
そんな説明しかしないくせに早く探せなんて、白井がイライラするのも無理ないなって思ってたら、
「奴らの話だと年は15〜6だが、見た目はかなり幼いようだな。背丈もせいぜい160程度だろう。まあ、話をつける時には顔も背丈も分からないように帽子でも被せて座らせておくから、その辺りは適当でいい。それと、業者は使うな。足がつくからな」
一応、そんな説明があった。
「……分かりました」
白井はあんまり納得してない声でそう返した。
ガサガサという音と少しの沈黙。それから、「確かに受け取りました」という白井の声が聞こえて、足音は玄関の方に消えていった。
「……もう帰ったのかなぁ」
15、6で小柄な子供。男なのか女なのか分からないけど。
「そいつが男だったら、俺、あいつのところに行かされるのかなぁ……」
白井はそのために俺をここに置いてくれたのかもしれないって思って。
「バンドエイドを貼ってくれたのもそのせいだったりしたら、ちょっと悲しいよな……」
楽しかったことが全部嘘だって分かる前に、ここを出てもっと遠くに行こうかなって思った。



男が帰った後、白井はすぐにクローゼットを開けてくれた。
「もういいの?」
それには「ああ」って言ったけど、探してる子供のことは俺には話さなかった。
その代わり、
「3日後にまたアイツらが来るからな。その日はマンションから出るなよ」
そう言ってデスクの上のカレンダーを指差した。
「うん」
返事をしたけど。でも、さっきの会話が耳に残ってて。
やっぱりなんとなく心配になった時、白井がそっと俺を抱き締めた。
「12時にもう一人客が来る。掃除はそいつが帰ってからにしろよ」
あったかいなって思いながら、俺も少しだけ白井の背中に手を回した。
「お客って……またさっきみたいな人?」
自分の声が白井のスーツの胸元に当たって跳ね返る。
その感覚に何かを思い出しかけて、また少し胸がギュッと締め付けられたけど。
苦しくなる前に離れなきゃって思ってたら、白井が俺の体を遠ざけた。
それから、窓の方に向き直ってため息をついた。
「……いや。この間ここで会った奴だ」
青白い空しかないのに、なんでみんな窓の外を見るんだろう。
それとも、白井も俺の顔を見るのが嫌なんだろうか。
「えっと……普通のおじさんっぽい人だよね。また隠れるの?」
白井の背中はそんなに広くはなかったけど。
それでも、やっぱり重なってしまう。
「いいや。そいつの時は隠れなくていい」
「よかった。クローゼットの中ってちょっと寒いんだもんな」
当たり障りのない会話をしながら、気持ちの裏側で別のことを考える。
中野はもう俺のことなんて忘れただろうか、とか。
それともたまには思い出してくれる時もあるんだろうか、とか。

もし、思い出してくれるとしたら、それはどんな場面なんだろう。
笑っているだろうか。
泣いているだろうか。
少しでも、いいヤツだったって思ってもらえるだろうか。
アイツの時みたいに……――――

その瞬間、わけもなくズキンと胸が痛んだ。
顔を上げたら、窓の外を見ていたはずの白井が少し心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「どうした? 腹減ったのか?」
「……え? ううん。……いつコンビニに行けばいいかなって、ちょっと思っただけ」
嘘なんてついても、何も変わらない。
悲しい気持ちがごまかせるわけでもないし、落ち込んでたのを取り消せるわけでもない。
でも、白井を心配させたくなかったから、無理して笑ってみたのに。
覗き込んでいた目がよけいに心配そうになって。
それから。
「まだ時間があるから何か買って来い」
そう言って金を差し出した。
「白井は何がいい?」
聞いてみたけど、やっぱり「俺の分はいらない」って言うだけで。
「じゃあ、俺もいいよ」
だって悪いもんなって思ってたからそう答えたのに。
「ガキはちゃんと食べないとな」って言われて部屋を追い出された。
「……ありがと、白井」
渡された金を握り締めてコンビニに向かう。
すっかり終わってしまったことなんて、考えてもしかたない。
今は、白井が側にいて、この間会ったばかりの俺のことを心配してくれるんだから。
もう忘れよう……って、気持ちの中で何度も繰り返した。



「ただいまー」
買ってきたおにぎりとサラダを持ってドアを開けて。
靴をビニール袋に入れてクローゼットに隠してから、ソファに座ってる白井の足元に座った。
「なんで床に座るんだよ?」
白井にはすごく不思議そうな顔をされたんだけど。
「どうして? いつもそうだよ」
母さんと住んでた部屋にはソファなんてなかったから、床に直接座ってた。
中野んちでもそうだったし、変だと思ったことはなかったんだけど。
白井は眉を寄せたまま俺の腕を掴んでソファに引きずり上げた。
「きちんと座って行儀よく食えよ」
怒ってるわけじゃなさそうだったけど、ちょっと呆れてたみたいだった。
「うん。じゃあ、そうする」
そのあと白井はしばらく俺の顔を見てたけど、「白井も食べる?」って聞いたら、何も答えずに開いていたファイルに視線を戻した。



食べ終わって、ゴミを片付けて。
12時までにはまだ時間があるなって思っていたら、白井に「おい」って呼ばれた。
「なに?」
パタパタ走ってソファに戻って、また隣りに座ってみたけど。
白井はただ難しそうなファイルを見てるだけで、そのあとは何も言わなかった。
なんだったんだろうって思ったけど。
あったかくて気持ちよかったから、俺もそのままぼーっとしてみた。

外は寒かったけど、窓からは冬っぽい陽射しがたくさん入ってきて、鉢植えについた水滴がキラキラ光ってた。
暖かい部屋。隣りに白井。
「ねー、白井っていくつなの?」
「おまえはいくつなんだよ」
話しかけたらちゃんと答えてくれるし。
「16」
それで、白井はいくつなんだろうって待ってたけど、返事はなかった。
「……ねー」
催促したら、「34だ」って言われた。
中野の年は知らないけど、やっぱり白井の方がちょっと上だって気がした。
「結婚してないの?」
「今はな」
それって前はしてたってことだよね……って口まで出かかったけど、やっぱり止めておいた。
普通はそういうこと、聞いちゃいけないんだよなって思ったから。
「寂しくないの?」
最初から一人なら淋しいなんて思わなかったとしても、大好きだった人と別れて一人になるのはきっと淋しい。
白井はいつから一人なんだろう。
どうして別れてしまったんだろう。
そんなことを考えていたら。
「おまえはどうなんだよ」
それまでずっとファイルを見てた白井が、不意に俺の顔を見た。
「……俺……」
中野の家を出て、闇医者と小宮のオヤジにバイバイを言って。
知らない街で一人になって。
でも、頑張ろうって決めて。
今は白井が隣りにいて、ビルの隙間に一人で座ってた時とはぜんぜん違うのに。
「……よく、わかんない」

不意に気持ちの中を通り過ぎる。
何もない真っ暗な窓を見てた横顔。
こんなときに、なんでまた中野のことなんて思い出すんだろう。

「おまえなぁ……そうやっていきなり泣き出すなって」
白井に言われて。
うつむいたまま「うん」って言った。
悲しくなるのは、きっと白井が少しだけ中野と重なるから。
「ごめ……んね……泣くと、鬱陶しいって、言ってたよね……」
中野と一緒にいたときも、泣いてばっかりだったなって思って。
ついでに白井を困らせるのは嫌だなって思ったけど。
でも、涙は止まらなかった。
「12時まであと少しだからな。客が来る前に泣き止めよ」
こんな時だって、白井はなんにもしゃべってくれない中野よりずっと優しいのに。
「……うん……ごめんね」
もう、会えないのに。
会ったとしても苦しいだけなのに。


白井の腕の中。
ごめんねって何度も謝りながら。
インターホンが鳴るまでずっと泣き続けた。



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