Tomorrow is Another Day
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「……ふうん」
一通り説明を聞いたけど、なんだか腑に落ちないことがたくさんあって、聞き終わったあとすぐはそんな返事しかできなかった。
「その子供って誰の子なの?」
わからないことを一つずつ整理しながら質問をして。
「久世社長の友達だか相棒だか……よくわからないが、とにかく一番信頼してる相手らしいな。子供って言っても、身内なだけでそいつのガキじゃない」
たぶん弟かなんかだろうって白井は言うけど、詳細は不明。
「でも、その人はナントカって社長の会社の人なんだよね?」
普通の会社って家族のこととか分からないものなのかな。
「いや。社員じゃない。秘書の話じゃ、久世の個人的な知り合いで、どこかのヤクザじゃないかって言うんだけどな」
会社で名乗ってるのはおそらく偽名。
名刺も違う名前でいくつも持ってる。
そんな男。
「それっていけないことだよね?」
「そりゃあそうだろうけどな」
いくつも名前があって、誰も本当のことを知らなくて。
そんなふうにいろいろ隠しながら生きていけるものなんだろうか。
なんだかすごく不思議な感じがした。
「それで、その人が持ってる情報をもらうために探してるの?」
探してるって言っても、それじゃ誘拐するのと変わらない。
身代金の代わりにそいつが持ってる情報をもらうだけだ。
弁護士のはずなのに、なんでそんなことをするんだろう。
白井に聞いた話は変なことばっかりだった。
返事を待ってたけど、「そのへんはいろいろな……」って言葉を濁されて、ちゃんとした説明はしてもらえなかった。
でも、ホントは白井もよくわかってないみたいな感じだったから、俺もそれ以上は聞かなかった。
それよりも自分に関係のあるところを確認しないとって思って。
「それで、見つかりそうにないから俺が代わりになるの?」
白井が俺をここに置いてくれた理由もやっぱりそれなんだって思ったら、少し悲しくなったけど。
「おまえなら背格好もちょうどいいだろう?」
「……うん」
「今日、秘書を通してそいつに手紙を渡したから、あとは向こうから日時を指定してくるのを待つだけだ。4〜5日もすればおおかたの流れは決まるだろう」
すごく大変な話だと思うのに、白井はどうでもよさそうにそう言った。
「心配しなくてもバレたりしないって。待ち合わせは薄暗い駐車場。しかも、おまえは車の中に座ってるだけなんだから」
だから危ないことなんて何もない。
そう言われたけど。
「でもさ、警察に言われちゃったりしたら……」
俺はともかく、白井はどうなるのかなって思ったら、すごく不安な気持ちになった。きっと捕まって刑務所に入れられてしまうに違いない。
「ボーっとしてるのかと思ったら、案外いろんなことを心配するんだな」
「心配するのとぼーっとしてるのは関係ないと思うけど」
ちょっとだけ言い返してみたけど、白井は笑ってた。
「大丈夫だって。警察の世話にはならないよ。結局、みんな同じだからな。神田も久世も、その片腕って男も」
白井はそう言ってから、ふっと息を吐いた。
「何が同じなの?」
口元に浮かんだ乾いた笑い。
俺の目にはどこか投げやりに映って。だから、よけいに心配になった。
「お互い警察沙汰になるとまずいようなことを沢山抱えてるってことだ」
だから、誰も警察に言ったりしないんだって白井は言って、今度は諦めたみたいな笑いを見せた。
「欲しいものを手にいれるのも、厄介なことを片付けるのも、全部裏で金が動くだけ。表には出てこないんだよ」
おまえの知らない世界だからなって言われて、俺はまた「ふうん」って言って。
分かるようで、分からなくて。
でも、なんとなく中野や北川を思い出した。
「だから、な。おまえは俺と一緒に待ち合わせ場所に行って、今日来た男が話をつける間、おとなしく車に座ってればいいんだって」
そうすれば金が手に入るからって。
それから、俺にも必要なだけ金をやるからって言って。
「おまえ、金もらった後、どうするつもりなんだ?」
そんなことを聞いた。
「……わかんない。もっと遠くへ行こうかなって思ってるけど……」
白井がいなくなって、一人になって。
どんなに心細くなっても、中野や闇医者のところへは絶対戻れないくらい遠く。
そしたら、嫌でもそこで頑張るしかないから。
「俺の顔見て、嫌なこと思い出したりしなくていいように……」
弟が俺に似てたって言った時、中野はどんな顔をしてただろう。
そう思うと、今でも胸が痛くなる。
「誰が?」
弟のこと。
忘れたくても、目の前に俺がいたから。
「……俺の、好きだった人」
そいつがずっと忘れられない相手に似てるんだ……って言ったら、白井は「へえ」って曖昧な表情をしたけど。
すぐに、「だったらちょうどいいかもな」ってひとりごとを言った。
なにがちょうどいいのかとか。
本当に大丈夫なのかとか。
聞きたいことはたくさんあったけど。
俺はそのまま黙り込んだ。
いろんなことが分からないってこととは別に、なんとなく気持ちが整理できなかったから。

どんよりした空気が漂う部屋で、白井もソファにひっくり返ったまま黙って天井を見つめていた。
一つずつゆっくり考えて、気持ちの中でごちゃごちゃしているものを片付けてみたけど。
安全だとか座ってるだけとか、そんなことよりも気になって仕方ないことがあって。
「あのさ、白井」
隣で斜めに寝そべっている白井の顔を覗き込んだ。
「なんだよ」
まだ何か心配なのかって聞かれたけど。
「そうじゃなくてさ……その人、そいつのこと真剣に探してるんだよね?」
弟なのか、子供なのか分からないけど。
「ああ。神田の部下の話じゃ、たかがガキの家出にそこまでするかってほど金をかけて探し回ってるらしい」
もっとも金なんて有り余るほど持ってる奴らしいけどな、って白井が言って。
「一千万や二千万の金くらいどうってことないような男らしいから、おまえが気遣う必要なんてないって」
少しだけ苦い笑いを浮かべて、白井はダルそうに身体を起こした。
「俺が言ってるの……そんなことじゃなくて……」
そんなに金をかけてまで一生懸命に探してて。
なのに、本当はぜんぜん知らないヤツが待ち合わせ場所にいたら、どんな気持ちになるだろう。
「何度も言うけどな、おまえのことをそいつに引き渡すわけじゃない。一度、待ち合わせ場所に行って、そこで話をつけて、金は別の日に受け取る。そのあと、子供の居場所だって言って嘘の住所を教えて逃げる。それだけだ」
きっと大切な相手だろうに。
違うってわかったら、どんなにがっかりするだろう。
「……その人を騙すってことだよね」
「まあ、そうだな」
やけにあっさりと答える白井との間。
なんだか、ものすごく距離を感じた。
「……金をもらったら、白井はどうするの?」
やりたいことがあるから、人を騙してまでそんな大金が欲しいと思うんだろうって思ったのに。
「別に。厭味なオヤジの下を逃げ出して、どこかでコソコソ暮らしていくんだろうな」
しばらくは働かなくてもいいだろうけどなって言ったけど。
でも、少しも楽しそうじゃなくて。
そんなことのために、どうしてって思った。
「……ここ、出ていくんだよね? どこ行くつもりなの?」
引っ越してきたばっかりだけど、きっとまたいなくなってしまうんだろう。
そしたら、またビルの隙間で寝るんだなって思いながら白井の顔を見つめていたら、「さすがにそれは言えないけどな」って面倒くさそうな返事があった。
「しばらくは隠れて生活して、ほとぼりがさめたらどこか気に入った町に移って、バイトでもしながら細々と静かに暮らす。それだけだ」
「ふうん……」
ぜんぜん納得しないまま、でも、そう返事をした。
白井が何を考えてるのかなんて、俺には分からなかった。
誰かを騙してまで手に入れるものが、しばらく働かなくても暮らせるだけの金とつまらない生活なんて。
本当にそれでいいの……って聞きたかったけど。
「……ね、白井」
「なんだ?」
大事な相手を一生懸命探してる人をガッカリさせるために身代わりになって。
それで金をもらって遠くへ行けたとしても、俺はきっと楽しく暮らせないから。
「……俺、誰かを騙すの、嫌だな」
そんなことを言ったら、怒られるだろうって思ったけど。
白井はただ困ったように笑って、
「―――やっぱり、おまえには無理か」
そう言っただけだった。
「……うん」
その後、「ごめんね」って言ったら、「おまえが悪いんじゃないよ」って言ってから、静かに立ち上がった。
「ちょっと出かけてくるからな」
またスーツを着て、コートを羽織って。
「すぐに戻るから」って言って、俺の夕飯の金だけ置いて部屋を出ていった。




白井が帰ってきたのは、もう真夜中で。
「おかえり」
玄関まで出迎えた時、少し酔っていた。
でも、別に機嫌も悪くなかったし、具合も悪そうじゃなくて。
「おまえの代わり、見つかったよ」
そう言って俺の前髪をクチャっと握った。
「……ホント?」
でも、白井は誰も連れてなくて。そいつはどうしたんだろうって思ってたら、すぐに返事があった。
「ここに二人は置けないしな。昼間来たヤツのところに預けてきた」
そいつは金だけもらえればいいと言って引き受けたらしい。
「家出少年だけどな。どうしても帰りたくないんだと」
世の中変なガキが増えたよな……って白井が言って。
「……そうなのかな」
俺も少し考えてしまった。
「でもさ……戻ってもジャマだって思われないなら、俺ならうちに帰りたいと思うけどな……」
いつもはできるだけ考えないようにしているけど、一人で食べていくのはやっぱり大変で、嫌なこともたくさんガマンしないとならないから。
「それに、話し相手もいないのってさ、やっぱり淋しいよね」
白井がここからいなくなったら、俺はまた一人になって、客を探して、街に立って。
抱かれる時以外は誰かと話すこともなくて、ただ空を見て過ごす。
忘れていたけど、中野に会う前はそんな生活だった。
「それが上手くいったら、白井に会えなくなるんだね」
このまま春までずっとここにいられるような気がしていたけど、そんなことあるはずないもんな……
せっかく仲良くなれたのにって思って。
それから、結局ずっと一人で過ごすのかなって思ったら、悲しくなった。
「どうした?」
うつむいたら、白井の手がそっと俺の頬を包んだけど。
「……ううん、なんでもない」
身代わりにしようと思って俺をここに置いた白井に「淋しい」なんて言っていいのかわからなくて、黙り込んだ。
白井もしばらくは何も言わなかったけど。

「……一緒に来るか?」

静かな部屋にそんな言葉が響いて、思わず顔を上げた。
「金が入ったら遠くへ連れてってやるよ。おまえの好きな所、どこへでも」
俺を見下ろしている白井は、すごく真面目な顔をしてた。
嘘をついてるようにも見えなかった。
「……だって……」
身代わりになるために面倒を見てもらってたのに、それは嫌だって断って。
なのに、いまさら白井と一緒に行きたいなんて言えるはずない。
そう思ったけど。
「……ホントにいいの?」
無意識のうちにそんな返事をしてた。
だって、今まで誰にもそんなことを言われたことはなかったから。
いつだって何かと引き換えで。
それがなくなったら、追い出されて。
「俺、金とか持ってないよ?」
白井はもう俺のことなんて抱きたいとも思ってなさそうだったし、それに仕事は難しそうなことばっかりで手伝ってあげられることもなさそうだし、一緒に行ってもきっと役に立たないと思うのに。
「それでもいいの?」
目の中一杯にたまってしまった涙を堪えながらもう一度聞いたら、白井はやっぱり困ったように笑って。
「……俺についてきても、当分はまともな生活なんてできないだろうけどな」
それでもいいならって笑った後、白井はもう一度同じ言葉を言った。
「一緒に来いよ」
誰かを騙して金をもらおうとしている白井は、本当は悪いヤツなんだと思うし、俺だってそれは良くないことだって分かってるけど。
「……うん」
答えた瞬間にこぼれた涙を見て、白井はもう一度笑って。
でも、そっと頬を拭いてくれた。



その日の夜はすごく寒くて。
「風邪引かれても面倒だからな」
白井にそう言われて、ベッドの中に入れてもらった。
だからって別に何かをするわけじゃなくて。
その代わりに白井は俺にいろんなことを話してくれた。

誕生日とか、血液型とか。
あとは、奥さんとはけっこう前に離婚したこと。
それから、子供がいたことも。
「男の子?」
「いいや。お姫様」
そう言って見せてくれたのは手帳の間に挟んだ写真。
保育園くらいの女の子で、小さい手がカメラの方に伸びていた。
「この写真撮ったの、白井なの?」
「ああ」
「だっこして欲しかったのかな?」
「カメラをくれって言ってたんだよ。渡さなかったら思いっきり泣いて大変だった」
白井はいつになく優しそうに笑って写真を見つめていた。
「今、何してるの?」
「さあ。もう学校行ってるはずだけどな」
「会ってないの?」
「ああ。……もう会わない約束なんだ」
そのあと、パタンと音がして、手帳が閉じられた。
「俺が今どこで何してるのかなんて、別れた嫁さんも知らないからな」
もう一生会うこともないだろうなって、白井は寂しそうに笑った。
「……そっか」
でも、生きてたら会えるかもしれないよねって。
言おうと思って。
でも、言えなくて。
「……俺、妹欲しかったんだ」
代わりにそんな言葉を口にした。
「一人っ子なのか?」
「うん。兄弟が欲しいって言ったんだけど」
何度も何度もそんなことを言って、母さんを困らせた。
『新しいお父さんが見つかったらね』
俺にせがまれるたび、そう言っていたけど。
「でも、もう一回結婚する気なんてなさそうだったな」
いつ結婚するのかって聞くと、いつだって『いろいろ忙しいのよ』なんて答えてた。
「ほんとにずっと忙しくて、あんまり家にいられなかったんだけど」
それでも、できるだけ俺と一緒に過ごしてくれた。
自分の時間なんてぜんぜんなくても、いつも笑って側にいてくれた。
「きっと、お袋さんはおまえだけいれば良かったんだよ」
可愛がられたんだなって言われて。
「……そうかな」
だったら、いいなって思って。
「ありがとね、白井。……今日、楽しかった」
笑って「おやすみ」を言ったら、白井はなんだか困ったみたいな顔をしたけど、ちゃんと「おやすみ」を返してくれた。



明日。
掃除が終わったら、中野に手紙を書こう。
闇医者と約束したとおり。
「楽しくやってます」って。
それから、「いろいろありがとう」って。
もう一人で頑張れるから、中野も頑張ってねって。

今なら、中野に嘘をつかずに「楽しい」って書けるから……―――


そう決めて。
そっと目を閉じた。



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