Tomorrow is Another Day
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翌朝、いつもと同じ時間に目を覚ましたけど、起きようとしたら白井に止められた。
「もう少し寝てろよ」
こんな時間に白井が起きてることも珍しいけど。
「でもさ」
誰かが来る前に掃除しないと、って思ったんだけど。
「今日は休みだから誰も来ないって」
白井がそう言うから。
「そっか」
俺ももう一回布団に入った。
冬の陽射しは夏と違って部屋の奥まで入ってくる。
「あったかいなぁ。白井に拾ってもらってよかったぁ」
ポカポカになったベッドの上で一緒に自分までふかふかになって。
「楽しいね」
そう言ったら白井は笑ってたけど、その後もずっと一緒にゴロゴロしてくれた。
「ね、白井。起きたあと何する?」
一緒に何か出来たらいいなって思ったんだけど。
「ああ? 別に何も」
朝早く起きても白井はいつもと同じで面倒くさそうだった。
「おまえは何するんだよ?」
白井に聞かれて、もちろん「掃除」って言おうとしたけど。
「掃除はしなくていいからな」
って先に言われてしまったから。
「……じゃあ、洗濯」
そう答えたら笑われた。
「もっと楽しいことしろよ」
そう言われて考えてみたけど、なんにも思いつかなかった。
終わったあと、キレイになってすっきりした気持ちになるから、掃除も洗濯もけっこう楽しいと思うんだけど。
「……あ、そうだ。貯金箱を作ろうと思ってたんだっけ」
お使いの残りを入れて。
金が貯まったら、今度は白井にプレゼントを買ってあげよう。
「じゃあ、材料探してくる」
学校の時も工作は好きだったんだよな。
そう思ったら急に楽しくなって、自分の持ち物を隅々まで漁ってみたけど。
「貯金箱になりそうなものなんてなんにもないかも……」
俺が持ってるのは着替えと辞書とノートと筆記用具だけ。
貯金箱からは遠かった。
ちょっとガッカリしてたら、白井が笑って。
「だったら、ペットボトルにでも入れておけよ」
ちょうどいいのが無かったら、コンビニのゴミ箱から持ってくればいいって言われて。
「あ、そっか」
500mlのならちょうどいいかもって思って、捨てずに置いてあったペットボトルを持ってきた。
キャップを取ってみたけど、そのままだとコインは入らなかったから、上の方だけちょっと切り取った。
「できあがりー」
倒れたらこぼれてしまうけど、またふたになりそうなものが見つかったら、上につければいいやって思って。
「そしたら、あとは何をしようかなぁ」
キョロキョロしてたら、「本当にガキって言うのは落ち着きがないよな」って言われたけど。
「いいもんねー」
もっとキョロキョロしてみたら、ノートの間からレターセットがはみ出しているのに気がついて。
「あ……」
そこでやっと手紙を書くつもりだったことを思い出した。


おもむろに辞書とペンと便箋と封筒を床に並べたら、白井が不思議そうな顔でこっちを見た。
「そう言えば、おまえ、着替えは少ししかないくせに、なんで辞書なんか持ち歩いてるんだ?」
前から疑問だったんだよな……って。
散らかった床を眺めながら少し笑った。
「これはねー、クリスマスプレゼントにもらったんだ」
ノートと辞書とペンケース。
それから、切手が貼ってあるレターセット。
「手紙書くって約束したんだ」
それを聞いた白井は少し眉を寄せた。
「どこに? 家か?」
家に書くんだったらいいのか、それともダメなのかは分からなかったけど。
「ううん」

―――ずっと好きだった人……

そう答えようと思ったけど。
「……前に泊めてもらってた家の人」
なんとなく言いにくくて、そんな返事をした。
白井は「ふうん」って言っただけで、それ以上は何も聞かなかったけど。
嘘はついてないはずなのに、ちょっとだけ悪いことをしてるような気がした。
「えっと……ちゃんとキレイな字で書かないとな……」
言い訳みたいにそんなことを言いながら、ノートの隅っこに「おはよう」って書いてみたけど。
やっぱりあんまりキレイには書けなかった。
なのに、突然、
「なんだ、意外と綺麗な字書くんだな」なんて言われたから。
「え?」って思って顔を上げたら、白井が何かのメモ用紙を拾い上げたところだった。
白井の手の中。
名刺くらいの大きさの紙には住所とビルの名前。それから、知らない会社の名前が書いてあった。
「……あ……これ、俺じゃなくて闇医者の……」
診療所に貼ってあるスケジュール表と同じ文字。
だから間違いない。
「闇医者?」
「うん。前にケガしたとき手当てしてくれた診療所の先生」
そんな説明をしながら、もう一度メモを見た。
住所は新宿。でも、ビルの名前も会社の名前もどっちもぜんぜん聞いたことがなかった。
「ここに手紙書くのか?」
「……わかんない」
もしかして、中野んちの住所なのかなって思ったけど。
メモに書かれていたのはどう見ても中野のマンションの名前じゃなかった。
「……これって、なにかなぁ」
考え込んでいたら、白井がいいことを思いついたみたいに事務所から地図を持ってきて広げてくれた。
大きな地図は番地だけじゃなくて、ちゃんとビルの名前も書いてあって。
これなら見つかるかもって思っていたら、白井の指先が地図の上で止まった。
「これだな」
指の下はけっこう大きなビル。
それでも、まだどこなのか分からなくて。
「えっと。駅からスタートでもいい? 駅を出て、ずっと歩いて、それで、最初のデパートがここで……」
思い出しながら地図の中を歩いてるつもりで駅からの道を指で追ってみた。
「ってことは……この辺が闇医者の診療所で」
白井の指はその斜め前。
「……診療所よりデパートの方ってことだから」
そこまで確認して、やっと分かった。

中野が働いているビル。
きっとそうだ。

「なんだ?」
「あ、えっとね……俺を泊めてくれてた人が働いてるところみたい」
本当にそうなのかは分からないんだけど。
でも、闇医者が中野に手紙を書くようにって渡したんだから、他には考えられない。
「じゃあ、とにかく分かったんだな?」
白井にそう言われて。
俺も「うん」って頷いた。
「……闇医者、きっと中野んちの住所は分からなかったんだな」
とりあえずそういう結論にして、手紙を書くことにした。


ノートに少し字の練習をしてから、便箋を広げてみたけど。
「でも、なんて書いたらいいのかなぁ? 『お元気ですか』だと、なんかよそよそしいよね?」
ああでもないこうでもないって俺が悩んでいる間、白井はしばらくつまらなさそうにこっちを見てたけど。
次に振り返った時にはもう眠ってしまっていた。
「白井、疲れてるのかなぁ……」
なんかいろいろ大変そうだもんなって思いながら、「おやすみ」を言ってそっとカーテンを閉めた。
せっかく誰かといられるのに、一人で過ごすのはちょっとつまらないって思うけど。
ちゃんとご飯も食べられて、暖かい部屋にいられて。
なのに、そんなことを思うのはきっと俺のわがまま。
「白井を起こさないように静かにしてようっと」
ひとりごとを言わないように気をつけながら、手紙の内容を考えた。

もし、この手紙を読んでもらえるなら。
今なら、嘘をつかないで、「元気です」って書けるんだから。
一人でも大丈夫だよって、みんなにそう思ってもらえるように。


『 中野へ
だまっていなくなってごめんなさい。
おじさんちに帰るつもりだったけど、やっぱりやめました。
今いるところは中野のうちからはすごく遠いので、もう会うことはないと思うけど、でも、中野のことも闇医者のことも他のみんなのこともずっと忘れないので、みんなにありがとうって伝えてください。それから、今は元気で楽しくやっているので、闇医者に心配しないでって言ってください。 一瀬 護 』


「……これでいいかなぁ」
俺の名前。
結局、中野には一度も呼んでもらえなかったけど。
「たまにでいいから、思い出してくれたらいいのにな……」
そしたら、きっと一緒に弟のことまで思い出して、つらいかもしれないけど。
すっかり全部忘れられてしまうのは、やっぱり悲しくて。
だから……―――

そんなことを考えながら。
でも、手紙は自分が見てもいまいちで。
亡くしてしまった大切な人のと同じように取っておいてもらえるとは思ってないけど。
でも、ほんの少しの間でも、中野が持っていてくれたらいいなって。
そう思って。
「こんな時くらい、もうちょっとマトモに書ければいいのに」
便箋の一枚目の上にどう頑張ってもキレイと言えない文字が並んでいた。
中野が大切に持っていた手紙とは比べ物にならなくて。
「……でも、しかたないもんな」
気を取り直して、できるだけ丁寧に宛名を書いた。
「中野義則様……っと。これでどう?」
思ってたよりはうまく書けたかなって思って。
これなら、もしかしたら一週間くらい取っておいてもらえるかも……なんて、ちょっとだけ期待したりもしたけど。
少し離れてみたら、住所も名前もぜんぜん揃ってなくて。
「……やっぱ、ダメかも」

結局、あの時と同じ。
客のところに行かされる前。
北川にペンを借りて封筒に中野あての手紙を書いた。
でも、俺が戻ってきた時、それは思いきりクチャクチャに丸められてた。

「あれって字が汚なかったからだよなぁ」
それとも、書いたのが俺からだったからなのかな……
だったら悲しいけど。
でも、本当のことは分からない。
もうずっと分からないから。
「……いいもんね」
ため息のあと、文字を書いた便箋一枚だけをそのまま封筒に入れて辞書にはさんだ。
「やっぱり、もうちょっと字の練習してから新しい紙に書き直そうっと」
字の練習なんてしても、読んでもらえるかは分からないのに。
読んでもらえなくても、封筒を開けてくれるだけでいいから。
ダメなら、手に取ってくれるだけでもいいから。
そう思いながら。
ノートを広げて少しだけ練習してみた。
一時間くらい同じ文面を何度も書いてみたけど。
「……あんまり変わってないかも」
たとえば、今日から毎日練習して、もっと字がうまくなったとしても。
中野はもう俺のことなんて忘れたいかもしれないって思ったら、手紙なんてこの先ずっと出せないような気がした。
「闇医者と約束したのにな……」
もう少しだけ頑張ろうって思って、広げたノートを何分も眺めてみたけど。
結局、何も書いていない便箋も4つに折りたたんで、ノートと一緒にサイドテーブルの上に置いた。
それから、白井を起こさないようにそっと寝室を出た。



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