Tomorrow is Another Day
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その後はなんだか何にもする気になれなくて、日の当たる場所に座ってしばらくぼんやりしてた。
白井は当分起きそうになかったし、どうしようかなって思っていたら、いきなり玄関で物音がした。
「……どろぼう?」
白井に言いに行こうか迷ったけど、違ったら悪いから、とりあえずそっとドアに近づいてみた。
そこにいたのは泥棒なんかじゃなくて、前にシュークリームを持ってきたヤツだった。
「おや、白井さんはお留守ですか」
いつもと同じ心のこもっていないセリフにちょっとうんざりしたけど、一応、返事はした。
「……白井、今日は仕事ないって」
休みだったら寝てても怒られないはずだよなって思ったけど、やっぱり「寝てる」とは言いにくくて。
そこで止まっていたら、そいつはにっこり作り笑いをした。
「まだお休みなんですね。いいですよ、お疲れでしょうからそのままにしておいてください」
じゃあ、何しに来たんだろうってちょっと思ったけど。
そいつはお土産だって言って今日もシュークリームの箱を差し出した。
「……ありがと」
礼を言ってから、コーヒーを入れて。
そのまま俺だけ白井のいる部屋に逃げようとしたんだけど、やっぱり引き止められてしまった。
「少しお聞きしたいことがあるんですが、いいですか?」
一応、聞いてくれてるんだけど、でも、「やだ」とは言えない感じで。
「……いいけど」
仕方なく俺もソファに座った。
そいつはコーヒーを一口飲んで「おいしいですね」って言って、また作り笑いをしてから口を開いた。
「ここへ来る前はどちらにいらしたんですか?」
質問は別に難しいことじゃなかったし、話し方は丁寧だったけど。
でも、やっぱりあんまりいい感じはしなくて。
「……ずっと遠くのほう」
適当な返事をしたら、目の前で頬がピクッと動いた。
顔は笑ったままだったけど、絶対怒ってるよなって感じで。
だから、
「本当はどこにいたの?」
もう一度聞かれた時はとりあえず「新宿」って答えた。
それだってぜんぜんちゃんとした説明になってないと思うんだけど、そいつは「そう」って言って、今度は本当にニッコリ笑った。
それから、「おうちはどの辺りにあったんですか?」とか「ご両親は?」とか、またいろんなことを聞き始めて。
前にも話したのに面倒くさいなって思ったけど。
「だから、俺、ホームレスだって」
これで両方とも答えたことになるから、もう終わりって思って、残りのシュークリームを全部口に入れた。なのに、
「でも、たまにはどこかのおうちに泊めてもらったりしてたでしょう?」
まだまだ聞きたいことはあるみたいで、そいつはもう一個シュークリームを俺の皿に乗せた。
それって白井の分だよね、って思ったけど、箱の中にはもう一個残ってたから、「ありがとう」って言ってもらうことにした。
けど、ぜんぜん楽しい気分にはなれなかった。
「……あのさ、それってなんのために聞いてるの?」
こいつには関係ないことなのに。
絶対、変だよなって思ったから聞き返してみたんだけど。
「おうちのある子だと、本当は捜索願いが出ていることもありますから。その場合、警察に見つかると白井さんが誘拐犯になってしまうんですよ」
友達が警察に捕まってしまうのは私も嫌ですから、って言われて。
「……そっか」
白井が誘拐犯だと思われるのは俺も困るなって思って。
「でも、おじさんはきっと俺のことなんて探してないから、それは大丈夫だよ」
そう説明した。
でも、そいつは冷たい笑顔で「私が知りたいのはそんなことじゃないんですよ」って言って。
「泊めてもらっていたのはどこのおうちですか?」
また同じことを聞いた。
「そんなの……いろいろだよ。ホテルの時もあったし、知り合いの店だったり事務所だったり、公園の近くのマンションだったり、入院してたこともあったし」
中野のうちのことだけ言うのはダメだと思って、思いつく限りを並べた。
そしたら、そいつはまたニッコリ笑って、「わかりました。質問はもういいですよ」って言って、コーヒーに口をつけた。
これ以上、こいつと二人でいるのが嫌だったから、「じゃあ、白井を起こしてくる」って立ち上がったんだけど。
「その前に、持ち物を見せてもらえますか?」
また引き止められて変なことを言われた。
「……どうして?」
俺の荷物は白井が誘拐犯と思われることとは関係ないと思ったから、素直にそう言った。
でも。
「疑っているわけじゃないですが」
そいつはそう前置きしてから、
「最近、いろいろと探りが入ってましてね。白井さんに接触する人をお調べするのが私の仕事なんですよ」
笑ったままの顔で部屋の隅に置いてあった紙袋に視線を投げた。
「……ふうん」
なんだか分からなかったけど。
別に見られて困るものなんてないし。
「いいよ」
紙袋を取ってきて中のものを床に広げた。
袋の中には辞書もさっき書いた手紙も入ってなかったけど。
そんなの別に見ても仕方ないと思ったから、そのまま放っておいた。
「荷物が少ないんですね。寒くありませんでしたか?」
コートがないってわかるとちょっとだけ心配してくれたけど。
「寒かったけど、新聞もあったし」
大丈夫だよって言う前に「偉いですね」って言われて。
でも、やっぱり口先だけって感じだった。


会話が切れると、そいつは畳んで入れてあった着替えを一枚一枚全部広げて、ポケットの中まで調べはじめた。
ポケットなんて洗濯するときに中味を出すし、入ってたとしてもコンビニのレシートくらいなのに。
「何か探してるの?」
少しだけ嫌な予感がして、だから聞いてみたけど。
やっぱり答えてはもらえなかった。
そのままじっとそいつの手元を覗き込んでいたら、まだ洗ってないジーンズから一万円札が出てきた。
中野からもらって、ずっとしまっておいた金。
「あ、それ……」
中野からもらった時のまま。
ずっと誰にも触らせたくなかったのに。
「俺の……触らないで」
奪い返そうとして立ち上がったら、急にそいつの声が厳しくなって。
「このお金は誰にもらったんですか?」
札を数えながら俺を見た目は背中がゾクッとするくらい冷たかった。
「……知り……合い」
嘘をついてるわけでもないし、聞かれて困ることでもないのに。
立ち上がったきり動くことも出来なくて。
「10枚もありますね」
その声も表情も、すごく嫌な感じがした。
「……う……ん」
今すぐ白井を起こしにいこうって思ったけど、そいつの視線が体に刺さったままで、動くことができなかった。
「何をしていただいたお金なんですか?」
こいつのこと、今までずっと白井の知り合いだって思ってたけど、本当は警察かもしれない。
そうじゃなかったら、こんなこと聞くのは変だ。
「何って……」
警察だとしたら、ウリをしてもらった金だってことだけは言っちゃダメだと思って、違う理由を考えてみたけど。
焦っているせいなのか、頭は意味もなくカラカラと回っているだけで、いつまで経っても何も浮かんでこなかった。
冷たい汗が背中を流れて、その間ずっと宙を眺めていたら、
「質問に答えなさい」
男の口調はもっと厳しくなった。
だから、仕方なく返事をした。
もちろん、ウリをしてもらった金だってことは除いて。
「……おじさんちに戻ることになってたから……最後の日にもらったんだ」
これなら嘘じゃないから大丈夫って自分にいい訳をしながら。
でも。
「こんなにたくさん?」
そいつの口調はどんどん厳しくなるばかりで。
「そ……うだよ」
「ずいぶんとお金持ちなんですね」
ただもらうにしては10万円という金額が大きすぎることくらい俺だって分かってるけど。
「……うん」
これ以上聞かれても、本当のことは教えない。
こいつにはきっと言っちゃダメだ。
そう思った時、話は少し違う方向に行った。
「このお金でどこかの企業に雇われたわけではないですね?」
「……え?……違うよ」
どういう意味なのか分からなかった。
「嘘をつくと白井さんが困りますよ?」
そう返した男は俺の言うことなんてぜんぜん信用してないって顔をしてた。
「嘘じゃないよ」
だって、それは中野がくれた金だから。
いつもみたいに俺を抱いて、その代わりにくれた金だから。
「絶対、嘘じゃないんだから」って言って首を振って。
それから、金を返してもらおうとしたけど。
「白井さんのところで暮らすなら、こんなお金は必要ありませんよね?」
そいつは薄く笑ったまま、その金をビリビリと半分に破いた。
「ちょっ……返してよ、だって、それ、俺の……」
呆然とする俺を笑ったまま見下ろして。
それをまた半分に破こうとしてた。
本当にただの紙切れみたいに、半分になった札が何枚か床に落ちた。
「返せよっ!! 俺のなんだからっ……やめろよ!!」
気がついたら飛びかかってた。
でも、そいつは笑ったまま俺の腕を掴み上げて、背中で捻った。
「うあっ……!!」
腕に変な痛みが走って。
叫んだ瞬間、寝室のドアが開いた。
「何してるんだ!?」
飛び出してきた白井が男に掴みかかった。
「おや、白井さん。起こしてしまいましたか」
のんきさを装って変な作り笑いを見せた男を押し退けて、俺は白井の背中に隠された。
「勝手に上がり込んで、何してるんだ?!」
白井が誰かにこんなに怒ってるのも見たことはなかったけど。
そのあとしばらくそいつは何も答えなくて。
3人とも突っ立ったまま、部屋には変な沈黙が流れていた。
でも、白井の携帯が鳴ったと同時に、そいつはまたソファに腰掛けた。
白井は携帯のウィンドウを見たけど、すぐに電話を切って。
それから、ソファに俺を座らせて、その隣に自分も座った。
目の前でニヤニヤ笑いをしている男は冷たくなったコーヒーを一口だけ飲んで。
「……この子が不審なお金を持っていましたのでね」
また変な笑いと一緒にそう答えた。それから、
「白井さん、ちゃんと調べなかったんですか」
抑揚のない声が尋ねた。
白井はしばらく黙っていたけど、
「……ウリしてたなら、そんくらいの金、持ってても不思議じゃないだろう?」
そう言って足元に落ちてた札の切れ端を拾い上げた。
男はニヤニヤ笑いながらそれを見ていたけど。
「まあ、そう仰るならそれでもいいですが、どちらにしても不要なものですから、処分させていただきましたよ」
白井はまだ何か言いたそうな顔をしてたけど。
「お二人で一緒に暮らすのでしょう? でしたら、必要ないですよね?」
そう言われて、「ああ」と不機嫌なまま返事をした。

また、沈黙と気まずい空気。
「白井さん」
呼ばれても、白井はもう返事をする気はなさそうだった。
ただ眉を寄せたまま手の中の紙切れを見つめていたけど。
「そんなに大きな男の子ではお嬢さんの代わりにはならないでしょう?」
そう言われた時、少しだけ視線をそいつに向けた。
男はやっぱり笑っていて。
そのまま立ち上がると部屋を出ていった。



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