Tomorrow is Another Day
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目が覚めたときも白井はまだ隣にいて、俺の顔を見ていた。
「……おはよう」
カーテンは閉まっていたけど、窓の外はもうすっかり暗くなっているみたいだった。
せっかくの休みだったのに、悪いことしちゃったなって思いながら挨拶をしたけど、白井は「おはよう」を言う代わりに、机からお守りを引っ張り出してきて中味を抜いた。
「ほら。やるよ。中に入れておけって」
少し大きめのお守りの袋と一緒に差し出されたのは、昼間便箋に包んだ一万円札。
「うん」
受け取って、そのまま袋に入れようと思ったけど。
「いくらなんでもそれは無理だろ」
白井が笑いながらそれを取り上げて、お札だけをキレイにたたんでお守りの中に入れてくれた。
それから、「なくさないようにな」って言って、細いひもをつけて首からかけてくれた。
「……ありがと」
まるで中野から鍵をもらった日みたいに。
ギュッと握り締めたら、少しだけあの時の気持ちになれるような気がした。
思い出せば泣きたくなるのに。
泣いたら白井が心配するのに。
思い出さずにはいられなくて、唇を結んだまま俯いた。
白井はもう俺が泣き出すことも分かってたみたいで、当たり前のように抱き寄せてくれた。

涙を拭いてちゃんと目を開けるたびに暗くなっていく部屋。
もう顔を上げても白井がどんな顔をしているのかは見えなかったけど、ずっと泣いてる俺に付き合ってくれた。
「ごめんね。俺、今日、ずっと泣いてるかも……」
もっと悲しかったことだって今までにたくさんあったのに、なんで今日に限って泣いてしまうんだろう。
そんなことを考えていたら、
「……帰らなくていいのか?」
急にそんなことを聞かれた。
「どこへ?」
意味が分からないのは、まだ俺が寝ぼけてるせいなのかなって思って。
「母さんと住んでたところはもう引き払ったから、帰るところなんて……」
とりあえずそう答えたけど。
でも、白井が聞きたかったのはそんなことじゃなくて、
「そいつのところ」
そんな言葉が帰ってきた。
「……え?」
白井の言葉をもう一回頭の中で繰り返していたら、
「そんなに好きなヤツだったら、今からでもそいつのところに帰った方がいいんじゃないのか?」
驚いて顔を上げた時、白井はなんとなく寂しそうに見えた。
「新宿なんだろ? もし帰る気があるなら電車賃くらい貸してやるよ」
たいした額じゃないんだからって言われて。
でも、首を振った。
「……だって」
帰ってもきっとまた同じ事を繰り返すだけ。
目の前にいても、中野は俺の顔なんて見ないまま。
でも、いなくなってしまった人のことを思い出す。
そのたびに俺は「ごめんね」って思って。
悲しくなって側にいられなくなる。
だから。
「約束したから……」
戻ってくるなよって中野が言って、俺は「うん」って答えたんだから。
会いたい気持ちなんて、どこかへしまって、一人で頑張ろうって決めたんだから。
「……でも、もし、白井がやっぱり俺はジャマだって言うなら……」
そんなこと言ってみても、行くあてはない。
またどこかで天気の心配をしながら。
たまには楽しいことを思い出したりしながら。
やっていけるだろうか。
こんな気持ちのまま、ひとりでやっていけるんだろうか。
「おまえはそれでいいのかよ?」
もう一度顔を上げたら、白井はいつもよりずっと優しい目で。
でも、やっぱり困った顔で。
「……うん」
一度頷いてから、
「だってさ、ジャマだと思われながら側にいるより、寒いのを我慢するほうがきっとつらくないよね」
そう言ったら、白井は溜め息をついた。
その後、しばらくなんにも言わなかったけど。
部屋がすっかり真っ暗になってから、
「……早ければ、来週の終わりにはここを出るからな」
そう言って。
それから、「いつでも出られるように荷物をまとめて置けよ」って付け足した。
「……ついていってもいいの?」
だって、作り笑いの男が言ってた。
『そんなに大きな男の子ではお嬢さんの代わりにはならないでしょう』って。
白井が本当に欲しいのは大切な「お姫さま」の代わり。
俺じゃないのに。
「おまえこそ、ついてきても何もいいことなんてないって分かってるのか?」
凍えるよりはいくらかマシなだけぞって念を押されたけど。
「……でも、白井と一緒なんだよね?」
こんなふうに側にいてくれる人がいるってことが、どれほど嬉しいことかなんて白井には分からないのかもしれない。
でも。
「―――ああ、そうだな」
白井はふっと笑ってから、
「傷を舐め合って暮らすなら、おまえみたいのがちょうどいいのかもしれないな」
そんなことを言った。
「どうして?」
俺がちょうどいい理由ってなんだろうって思ったのに。
「嬉しい時に嬉しそうな顔で笑うから、かな」
白井からはそんな返事で。
「それって、普通だよね?」
俺の疑問はちっとも解けなかったけど。
「普通だから、いいんだよ」
その話はそれで終わってしまった。
だから、「それならそれでいいんだけど」って思いながら、次の言葉を捜した。
「ね、白井」
何でもいいから、このままずっとこうやって話していたくて。
「俺、白井の何になるの? 家族? 友達? 恋人?」
そんなことを聞いてみたけど。
本当は『傷を舐め合って暮らす』相手が家族でも恋人でも友達でもなんでもないんだろうってことはうすうす分かってた。
だから、「どれでもない」って返事がくるんだろうなって思ってたのに。
白井は少しだけ笑って違う答えを返した。
「……なんでもいいよ。おまえがなりたいもので」
家族でも、友達でも恋人でも。
俺がなりたいもの、なんでも。
「じゃあ、全部でもいいの?」
家族で、友達で、恋人で。
だったら、どれかに飽きてもずっと一緒にいられるよねって言ったら、
「ああ、そうだな」
優しく笑ったままの声がそう告げた。
「……ありがと、白井」
頬に触れる手から伝わる柔らかい温度。
「あったかいと、安心するね」
クチャクチャのシャツにもう一度抱き締められて。
「何度も泣くなよ」
「……うん」

中野の手とは違うけれど。
でも。
忘れさせてくれるような気がしたから。

バイバイ、中野。
今度こそちゃんと言おうって、やっと決心した。

「……じゃあ、明日、荷物片付けようかな」
白井と二人でここを出るとき、気持ちも全部片付けてしまおうって。
そう決めて。
「白井の分も片付けてあげるよ?」
聞き返したら、
「早くて来週の終わりだって言ってるだろ?」
頭の上から笑い声が聞こえた。



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