Tomorrow is Another Day
- 89 -




翌日は朝から掃除をして、お使いに行って。
「ちょっと貯まったかも」
500mlのペットボトルにチャリンと落ちたコインを見ながら喜んでいたら、白井が後ろで笑っていた。
「なんで笑うの? 増えると嬉しいよね?」
それでも白井はまだ笑ってたけど。
「いいもんね。じゃあ、今度は荷物の整理をしようっと」
そう言ったら、
「だから、まだ先だって言ってるだろ」ってまた笑われて。
「でも、服も全部くちゃくちゃに入れちゃったしさ」
丸めて入れてあった服を全部出して、作り笑いの男にひっくり返されたポケットを元に戻して、それから、床の上できちんとたたみみ直した。
「どうせまた着るのに今から洋服たたんでも仕方ないだろ」
ファイルを読むのを止めて、おかしそうにこっちを見ている白井に、
「予行練習だから、いいんだもんね」
そう答えたらもっと笑われて。
「予行演習だろ」って言われたけど、違いはよく分からなかった。
でも、まあいいやって思って、たたんだ服を袋の中に入れてたら、今度は俺の頭を抑えてクイッと横に向けた。
「辞書、向こうの部屋に置きっぱなしだぞ。クリスマスプレゼントなのに、しまわなくていいのかよ?」
顔を向けられた方向は寝室。開け放されたドアの向こうの小さなテーブルには闇医者からもらった辞書が置き去りになっていた。
「あ……うん。あれはあとなんだ。もう一回手紙を書き直してからしまうから」
予備の便箋は昨日お札を包んでしわくちゃになってしまったから、もう使えないけど。
手紙はノートに書いてからキレイに切り取ればいいって思ったから、そう答えた。
ここを出るまでに中野がびっくりするくらいキレイに書き直して、うまく書けたら駅の前のポストに入れればいい。
白井はまだ少し心配そうな顔をしてたけど、
「大丈夫。大事だから、忘れたりしないよ」
そう言ったら、「なら、いいけど」って俺を自分の隣りに座らせた。
それから、
「荷物より、気持ちの整理をしておけよ」
そんなことを言った。

手紙を出しても中野のことは忘れられないかもしれないけど。
思い出しても泣かないように。
ちゃんと白井と二人で楽しく暮らしていかれるように。

「……うん。じゃあ、今から字の練習しようかな」
気持ちの整理をしながら手紙を書いて、ここを発つ日にポストに入れよう。
そう決めて。
白井に笑い返してから、ノートとペンを持って来た時、突然インターホンが鳴った。
「今日は来客なんてないはずだけどな」
白井は眉を寄せたまま受話器を取って「はい」って言って。
それから、もっと眉を寄せて俺を振り返って、無言でクローゼットを指差した。
きっとまたあの偉そうなヤツなんだろうって思って。
黙って頷いてから、自分の持ち物が入った袋とノートを持って寝室のクローゼットに隠れた。




俺が思ったとおり、現れたのは偉そうな男と、いつも何もしゃべらない足音だけの男。
「おはよう」とか「こんにちは」とかそういった言葉もなくて。
いつもと同じように会話は突然始まった。
「後藤の消息はわかったのか?」
しゃべってる間にも男の声は聞こえる方向が変わっていく。
靴はちゃんと脱いで入ってきたらしく、スリッパが床を擦る音も聞こえた。
「金沢市内で部屋を借りたところまでは掴んでいますが、先週の月曜以降に姿を見た者はいません。部屋は金曜に本人以外の誰かが解約手続きをしたようです」
白井の声は止まったまま。でも、ちょっと遠く聞こえた。
「ふん、もう奴等に消されたか。ならば、後藤をつけさせた連中も同じことだろうな?」
最初は「後藤」っていうのが探してる子供の名前なのかと思ったんだけど。
子供が部屋を借りたりするわけないから、きっとそうじゃないんだろう。
「……未確認ですが、おそらくは」
白井が口ごもると男がまた「使えない奴だ」と吐き捨てた。
それから。
「後藤も寝返ったりしなければ、もう少しは長生きできただろうにな」
声はひどく落ち着いていたし、話し方も怒ってないように聞こえたけど、
「死体が上がったら連絡しろ」
冷たい笑いには思いきり悪意が感じられた。
「チャラチャラしてたわりには抜かりない男だったんですが……相手の方が何枚も上手だったということでしょうか」
白井の口調はなんだか苦い感じで、声も少し引きつっていた。
「心配しなくてもこっちの情報は与えていない。向こうに流されて困るようなものもないだろうが」
カチャッと言う音の後、
「……万一ということもあるからな」
そう言った男の声がドキッとするほどハッキリと聞こえた。

―――もしかして、寝室のドア……開けたんだ……?

気付かれたのかと思った。
でも、今日はひとりごとも言ってないし、音も立てていないはず。
クローゼットのドアはきっちり閉められているし、着ている物が挟まったりもしていない。
大丈夫、見つからないって……
見つかったとしても、白井がきっと言い訳してくれるはず。
そう自分を励ましてみたけど。
よく考えたら、俺がここにいるのは変だ。
探してる子供の身代わりをしてくれるヤツは、笑いの男の家にいるんだから、俺を置いておく理由もない。
それに「死体」なんて言葉の入った会話を盗み聞きしたのがバレたら、ヤバいに決まってる。
俺はもちろん白井だってどうなるか分からない。

―――どうしよう……

心臓が出そうなくらいドキドキしながらも、できるだけ息を潜めた。
「そうだな。念のために聞いておこう。後藤が寝返った理由は?」
クローゼットのドアに跳ね返る男の声はまったく抑揚がなくて、ひどく冷たく聞こえた。
前から嫌なヤツだって思ってたけど。
今日はなんだかすごく怖く感じた。
「客の振りをして店にもぐりこんだ者の話ですと、久世の片腕とかいう男に上手く丸め込まれたようです。何でも随分と入れ揚げていたとかで……」
噂に過ぎませんがと白井が付け足すのを遮って、男はまた次の質問を投げた。
「後藤が雇っていた連中は?」
その声と同時にガタンという音がした。

―――開けられる……!

そう思った瞬間、思わず身体がビクッと跳ね上がって意識が空白になった。
でも、数秒経っても光が差し込むことはなくて、その代わりに、男の声が少し離れたところから聞こえてきた。
「まさか、それも調べていないなんて言わないだろうな?」
クローゼットのドアに何かが当たっただけ。
それが分かったときには、全身から力が抜けて放心状態になった。
「後から同じ店に入れた男は、初日に勘付かれて処分されました。その前に店にいれた男は怖気付いて逃げ出したようです」
「ふん……なるほどな」
声はまた近づいてきて、バクバクしながら座っている俺のすぐ側まで来ていた。
それから、カチカチッという音と、ふうっと息を吐き出す音が聞こえて、少し遅れて隙間からタバコの煙が流れ込んできた。
前に白井が持っていたのと同じ匂いだった。
「もっとも、ハシタ金で動くようなクズはその程度だろうがな」
また声が少し遠く聞こえたけど、それはたぶん男が背を向けたから。
その間も自分の心臓の音に頭の中を占領されていたけど、頑張って耳を澄ましていたら、二つの足音が遠くなっていくのが分かった。
―――行った……?
寝室のドアは開いたままだと思うけど。
「いかがいたしましょうか」
白井の声はもう隣の部屋から聞こえてきた。
一気に緊張が解けて、体中から冷たい汗が噴き出した。
とにかく、見つからなかったんだから……―――
何度も何度も心の中でつぶやいて、やっと深く息を吐いて。
それから、『こいつらが早く帰るようにすぐお祈りしなきゃ』って思ったとき、
「……店での名前は、『エイジ』とか言ったな?」
その言葉に思わず身体がこわばった。
「はい」

―――エイジ……って、まさか……?

「念のため死体が上がるまでは捜索を続けろ。小賢しい犬だからな。消されたのを装ってどこかに身を潜めているかも知れん」

エイジなんてよくある名前。
でも、不意に思い出した。
ここへ来る前に北川の事務所でボディーガードのお兄さんと北川が話してた。
エイジがいなくなった……って。

でも、エイジは「後藤」なんて苗字じゃなかったはず。
ううん、苗字なんて聞いたことがなかっただけかも―――

「とにかく……生きてると厄介だからな」
万一の時は処分して置けという男の声と。
「かしこまりました」という白井の声が渦になる。

押し寄せてくる何かが頭の中でグルグル回って。
心臓が嫌な音で鳴り続けていた。




Home    ■Novels    ■TomorrowのMenu    ■Back     ■Next