Tomorrow is Another Day
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―――……違うよね……?

何度も心の中で繰り返した。
でも、考えれば考えるほど鼓動が激しくなっていく。
「で、子供の方は?」
頭の整理が出来ないまま、壁の向こうでは話が進んでいく。
「……それが」
わけもなく不安になりながら。
でも、漏らさずに聞いておかなきゃいけないような気がして、ドアに耳を押しつけた。
空気を揺らして歩き回る足音はひとつ。
さっきから、あちこちに声が移る偉そうな男のもの。
「ふん、どうせおまえのことだ。期待などしていなかったがな」
また少しの沈黙。
それから、男の声。
「代わりは見つかったんだろう。どこへやった?」
「はい。今は浜谷のところに……」
そうか、という笑いを含んだ言葉のあと。
「ならば、すぐに奴に連絡をしろ。子供を預かっているから必要なものを用意するようにとな」

その時に、少し変だって思った。
だって、おとといの白井の説明だと、もうそいつには「子供を預かってる」って手紙を渡したはずなのに。
『秘書を通して手紙を渡した』
白井は確かにそう言ってた。
聞き間違ったわけじゃないよなって思ったけど。
「かしこまりました。追って経過をご報告いたします」
白井が当たり前みたいにそう答えるから、自信がなくなった。

白井が俺に嘘をついたんだろうか。
ううん。もしかしたら、俺が何かを勘違いしてるだけかもしれない。
考えても考えても、どんどん分からなくなるばかりで。
後でもう一回聞いてみなきゃって思いながら、そいつらが帰るのを待った。
その間ずっとめまいがするほど頭の中がグルグルしていて、変な胸騒ぎがいつまでも消えなかった。



足音が遠くなって、かすかにドアが閉まる音がして。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
戻ってきてクローゼットを開けた白井に聞かれたけど。
「……ううん……なんでもない」
そう答えたくせに力が抜けて立てなかった。
「大丈夫か? 話が聞こえたから怖くなったのか。おまえには関係ないから心配しなくていいんだぞ?」
白井はなんでもないことみたいにそう言って、俺の手を引っ張って立ち上がらせた。
「でも、白井―――」
言いかけたとき、よろけてしまって、ギュッとしがみついたけど。
その前に白井の手が俺の体を支えた。
「本当に大丈夫か?」
頭が痛くて。
めまいが治らなくて。
「……うん、それよりさ」

―――誰かを、殺すの……?

だって、『処分する』っていうのは、そういうことなんだよね……って言おうとして。
でも、やっぱりそんなことは聞けなかった。
「おまえ、何の心配してんだよ」
白井は少しだけ苦笑いして。
それから、「俺だって人殺しなんてするつもりはないよ」って言ってくれた。
「……よかった。だって、さっきのヤツがさ」
それも白井の仕事みたいな言い方をするから……って言いかけたけど。
白井は俺をベッドに座らせると水を取りに行ってしまった。
まだ肝心なことは聞けてないままなのに。
「戻ってきたら、ちゃんと確認しないとな……」
『本当はもう手紙を渡したんだよね?』って。
『さっきのヤツが勘違いしてるんだよね?』って。

「後は何を聞けばいいのかな……えっと」
ひとりごとを言いながら、ごちゃごちゃになってしまった頭の中を引っ掻き回していたら、グラスを持って白井が戻ってきた。
「ほら、飲めよ。本当に顔色悪いぞ」
鏡なんてなかったから、自分がどんな顔をしているのかは分からなかったけど。
「うん。ありがと」
正直言って気分は最悪だった。
分からないことが多すぎて、何から考えたらいいのか分からなくて。
焦れば焦るほど何にも出てこなくて。
「あのさ、白井」
冷たい水を一気に飲み干してから、コップをテーブルに置いて。
さらに深呼吸をしてから口を開いた。
「手紙、もう渡したって言ってたよね?」
俺の聞き間違いだったら、もう一回全部説明してもらって整理しなきゃって思ったけど。
見上げた白井の顔色がさっと変わるのがわかった。
「……白井?」
ひどく苦いものを噛んだみたいなその顔を見て、やっぱり一昨日俺が聞き間違えたのかなって、思ったけど。
「それは―――……聞かなかったことにしておけよ」
部屋に冷たい声が響いて。
白井が俺から視線を逸らした。
「……え?」
その返事の意味は、きっと手紙を渡したっていうのが俺の記憶違いじゃないってこと。
だけど。
「なんで『聞かなかったこと』にしなきゃいけないの?」
だったら、もう一回って思って、順序良く聞きなおそうとしたのに。
「とにかく、そういうことだ」
白井はそれだけ言うと寝室を出て行ってしまった。
「ちょっと……白井ってば」
ベッドに一人で残されて、でも立ち上がる気力がなくて。
そのままおとといの説明と今日言われたことを考え直してみたけど。
「やっぱ、ぜんぜんダメかも」
分かったのは、一昨日の説明か今日の話のどっちかが嘘だってこと。
「おとといの説明が嘘だったから『聞かなかったこと』にするのかなぁ。……それとも、今日の話が嘘だけど、嘘のままにしておくために本当の説明は聞かなかったことにしろってことなのかなぁ?」
でも、どんなに考えてもどっちが本当なのかは分からなかった。


誰かを『処分』するなんて話と、知ってるヤツと同じ名前の男と。
どっちかが嘘な白井の説明と、まだ変なドキドキが収まらない心臓と。
「……なんか、嫌なことばっかだなぁ」
どこかで味わったのと同じ不安。
何かが分かりそうで、何も分からない。
鳴り止まない心臓の辺り。シャツの上からお守りの袋をギュッと掴んでベッドに横になった。
「……気持ち悪いかも……」
頭まで痛くなってきて、吐き気がして。
目を閉じた時、白井の気配がした。
「風邪でも引いたのか?」
さっきとは違う、優しい声。
「……ううん。ちょっと疲れただけだと思う」
起き上がろうとしたけど、「寝てろよ」って止められた。
布団をかけてもらって、もう一度目を閉じて。
そしたら、白井の手が髪をなでてくれた。

―――……大丈夫、だよね……

何がとか、どうしてとか。
そういうことは全部抜きにして。
白井に「大丈夫」って言って欲しかったけど。
なぜか、それを尋ねる勇気がなかった。

「あのね」
目を閉じたまま、白井の名前を呼んだ。
「なんだ?」
答えたのはいつもの白井の声。
その優しい響きに安心して、言葉を続けた。
「エイジ……って、俺の知り合いに同じ名前のヤツがいて……だから」
よくある名前だって分かってる。
でも、どうしてこんなに気になるんだろう。
「心配しなくても『後藤』も『エイジ』もどっちも偽名だろうから、おまえの知り合いなんかじゃないよ」
大丈夫って白井が言って。
俺も「うん」って答えて。
でも、不安は少しだけしか軽くならなかった。
俺の知ってる『エイジ』だって本当は偽名かもしれない。
みんながそう呼んでたから、それが名前だって思ってただけで。
俺はエイジのことなんてなんにも知らなかった。
分かっているのは、北川の店でバイトをしていて、中野のところで危ない仕事をしていて、闇医者たちにバイバイをした日にはもう行方不明になっていたってことだけ。

―――……でも、違うよね……

俺はエイジのことがあんまり好きじゃなかったけど。
でも、知ってるヤツが死んだり行方不明になったりするのはやっぱり嫌だから。
どうか違いますようにって、心の中で呟いた。

「とにかく、おまえはいつでも出られるように荷物の整理と気持ちの準備だけしておけばいいんだよ」
何も心配しなくても、白井が「行くよ」って言うのを待ってるだけでいいんだからって言われて。
その時だけはホッとした気持ちで「うん」って言えた。



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