Tomorrow is Another Day
- 91 -




夕方、白井に用事が出来て、夕飯を買うお金をもらってから玄関まで見送りにいった。
「ね、白井。すぐに帰ってくる?」
一人になるのがなんとなく嫌で、思わず引き止めてしまったら、白井はちょっと困った顔をした。
「早くても夜中の2時か3時だな」
どんなに遅くなっても朝には帰るって言ったけど。
「……そっかぁ」
2時くらいまでならなんとか頑張れそうな気がしたけど。
一晩ずっと一人なのかなって思ったら、すごく残念そうな声になってしまった。
そしたら、白井が俺の頭にポンって手を置いて。
「あんまり困らせるなよ」
本当に困った顔でそんなことを言うから。
「ごめんね。ホントはぜんぜん大丈夫」
俺もちょっとムリして笑ってみた。
「気をつけてね」
ドアを押さえたまま「いってらっしゃい」を言って小さく手を振った。
頑張って明るく見送ったつもりだったけど。
白井はやっぱり心配そうな顔のまま、短い廊下の途中で何度も振り返った。
困らせてばっかりだなって思いながら。
もう少しだけ頑張って、白井が廊下の角を曲がるときには元気よく手を振ってみせた。



一人になると部屋がすごくガランとして見えた。
よく考えてみたら中野のマンションよりもずっと狭いのに。
「……中野のうちって、なんか安心だったよなぁ」
あの部屋に中野がいてもいなくても。
部屋の隅っこに座ってるだけで楽しかった。

どこにいても。
目を瞑ってても。
ずっと中野の匂いがしてたから。

「……気持ちの整理、するんだったよね」
白井との約束。
その言葉を思い出して、あわててプルプルって首を振った。

今までのことは全部忘れて、最初から頑張ろうって。
そう決めて。
中野のことはもちろん、偉そうな男のことも、作り笑いの男のことも。
どっちが嘘か分からない白井の話も、ここで俺が聞いたことも。
全部忘れてしまえば、きっとこんな不安な気持ちもなくなるはずだから。

「暗くならないうちに買い物に行って早めに寝ようかな」
寂しくなる前に眠ってしまえば、目が覚めたときにはすっかり朝で。
もう白井だって帰ってきてるはずだから。
「うん、そうしよう。俺って頭いいかも」
服を多めに着込んで靴を履いて、勢いよく玄関を飛び出した。
走って行けば余計なことを考えなくて済むと思って、エレベーターに乗らずに階段を駆け降りて。
そのままコンビニに走って入った。
そしたら、「どうしたの? 今日は急ぎなの?」って、二人いた店員さんのうち、おじさんの方に聞かれて。
しかも、ちょっと変な目で見られてしまった。
毎日来てるから顔も覚えられてるんだなって思って恥ずかしくなったけど。
「ううん。あんまり考え事したくなかったから走ってきただけ」
そう答えたら「そうなの」って笑われて、なんだか少しだけ明るい気分になった。
「ありがとうございました」
笑顔で見送られて。
「じゃあ、またね」
きっと明日も来るんだからって思いながら。
いつもするみたいに手を振って店を出た。

このまま何もなければ、こんなふうにコンビニの人と話したり、電器屋の人と話したりして、少しずつ自分の街になっていくのに。

「ここを出て白井と一緒にどこかへ行っても、きっとこうやって誰かと仲良くなれるよね」
だって今度は一人じゃないんだから。
初めてここへ来た時よりはずっと寂しくないはず。
「そうだよね。大丈夫だってば」
そう言い聞かせても、気持ちはどこか不安なままだったけど。
あんな話を聞いてしまったから、少し心細くなってるだけ。
大丈夫、大丈夫って口の中で唱えながら顔を上げたら、夕焼けが見えたから。
「……ちょっとキレイかも」
マンションには帰らずに少しだけ散歩をすることにした。

駅の反対側まで行って、また戻って。
しばらくあてもなくフラフラ歩き回ってみたけど。
「あとはどこに行こうかなぁ」
少しキョロキョロしてみたら、犬の散歩をしている人がいて。
犬がすごく楽しそうだったから俺も後をついていった。
コンビニの袋を振り回しながら、公園へ続く道をゆっくり歩いて。
ときどき夕日を眺めるために少しだけ視線を上げた。

この駅に着いた最初の日にみつけた公園。
その真ん中で立ち止まって深呼吸をした。
木と屋根の隙間にはもうすぐ見えなくなる太陽。
もうぜんぜん眩しくなくて、絵の具と同じような色だった。
「……あーあ、沈んじゃった」
最後のひとかけらも全部消えて、景色に色がなくなると急に寂しくなった。
「中野が帰ってくる時間ってもっとずっと後だったよなぁ……」
少しずつ夜になっていく街。
公園の向こうに見えるマンションへの近道をするために通り抜けて行く人。
広さも造りも、周りの景色も、俺がいたところとはぜんぜん違うのに。
片隅のベンチに座ったら、なんとなく懐かしいような気がした。
「……中野、まだ忙しいのかな。……もう、恋人できたかな」
聞きたいことはいっぱいあって。
話したいこともいっぱいあった。
でも、もう、きっとこの先ずっと会うことはないから。
「どうせ会えないなら、会いたくならない方法があったらいいのにな……」

思い出すのはいつも楽しい風景。
賑やかな表通りにはキラキラ光るネオン。
ホームレスと酔っ払いとクラクションと、俺の指定席になった公園のベンチ。
まるで生まれてからずっとそこにいるみたいな気分で毎日空を見上げていた。


気がついたら、もう回りは真っ暗になってて。
肌がピリピリするくらい空気も冷たくなってた。
「風はあんまりないけど、ぼーっとしてるとやっぱり寒いなぁ」
いくらなんでもマンションに帰らなきゃって思ったから。
やっとベンチから立ち上がって、くるっと方向転換をした。
でも、すぐには立ち去れなくて、少し歩いただけでまた足を止めた。
「……本当はまだ少し早いけど、いいよね」
会社帰りのサラリーマンが足早に通り過ぎて行く公園の入り口。
静かに目を遣って。
そっと呟いてみる。


―――……おかえり、中野


この公園の上だって同じ空のはずなのに。
中野を待ってたあの場所とはぜんぜん繋がっていないみたいに思えた。

またここを離れて。
白井と二人でどんな街に行くんだろう。
少し経って落ち着いたら、好きな場所に連れて行ってくれるって白井が言ってた。
一番好きな場所はもう帰ることは出来ないけど。
「……だったらね」
前と同じように。
ホームレスも酔っ払いも、怪しいスーツの男も、イレズミのお兄さんも、みんな当たり前みたいに過ごしてる、そんなところがいいなって思いながら、もう一度空を見上げた。
「もう帰ろうっと」
買ってきたお弁当はもう冷めてしまったけど。
「どうせ一人だから、別にいいもんね」
冷たくたって、温かくたって、淋しいことに変わりはない。


「ただいま」って、誰もいない部屋のドアを開けて。
靴を袋に入れてクローゼットの中に隠した。
お客用のお茶を入れて、床にペタンと座ってみたけど。
「……白井に『きちんと座って行儀よく食べろ』って言われたんだっけ」
そんなことを思い出して、ソファに座り直した。
屋根も壁もエアコンもある部屋だけど。
外にいるときと同じように寂しかった。
できるだけ忙しくしてみようって思って、拭き掃除をしてみたり、洗濯物を畳み直してみたりしたけど、後はなんにもやることがなくて。
だから、もう一回手紙を書き直すことにしてノートを広げた。
でも。
何度練習しても手紙はうまく書けなくて、淋しい上にヘコんでしまった。
「……やっぱ、俺にはムリかも」
白井が帰って来るのは早くても2時。
ずいぶん待ってるような気がしたけど、でも、まだ夜中になったばかりの時間。
「冬は暗くなるのが早くてやだなぁ……」
白井が早く帰ってきますようにってお祈りをして。
それから、中野に恋人ができますようにってお願いをして。
あとは、
「もし、あれがエイジのことだったら、本当はなんでもありませんように」
そんなお願いもしてみた。
白井が俺に話したことのどれかは嘘だけど。
「でも、いつもはすごく優しいんだから……」
それだけでいいって思うのに。
信じてないわけじゃないのに。
でも、気持ちのどこかが納得していないみたいな変な感じだった。

―――……闇医者だったら、相談に乗ってくれたのにな

俺、どうすればいいのって。
コンビニやガソリンスタンドで誰かに聞いたら、答えてもらえるんだろうか。
俺が一番欲しいと思ってた答えをくれるだろうか。
「……そんなの、きっと闇医者だけだよなぁ」
溜め息を飲み込みながら。
分からないことを考え続けるより、今やらなきゃいけないことを整理することにした。
「でも、手紙はどんなに頑張ってもダメそうだもんな」
広げたままのノートを見ながら、思い出したのは弟の手紙。
優しくてキレイな文字。
やっぱり比べられたくはなくて。
これを出す気にはなれなかった。
「けどなぁ……」

中野にありがとうも言わずに出てきたことも。
手紙を書くって闇医者と約束したことも。
このままじゃダメだって思うから。

「闇医者との約束、電話でもいいって言ってたもんな」
もうシャワーも浴びたあとだったけど。
もう一度パンツとシャツをたくさん着込んで、クローゼットから靴を出した。
それから、ペットボトルの貯金箱からコインを全部取り出して。
それをポケットの中で握り締めながら、濡れた髪のまま外へ出た。



Home    ■Novels    ■TomorrowのMenu    ■Back     ■Next