Tomorrow is Another Day
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そのままずっと座り込んで泣いてた。
座ったら少しだけ見えた駅の前にある時計。
まだ日付も変わってなくて、白井が帰ってくるまでにはまだずいぶん時間があったから。
「……大丈夫、2時までには、ちゃんと、泣き止むもんね」
しゃくりあげながら、自分を励まして。
でも、本当はどうやったら頑張れるのか分からなかった。

何度も気持ちの中を巡っていく中野の声。
もっと冷たく聞こえたなら、ちゃんと「元気でね」って言えたのに―――


結局、闇医者との約束も、白井との約束もぜんぜん果たせないまま。
残った金で今度は闇医者にかけてみようかなって思ったけど。
ポケットから取り出したコインは、一円と五円だけ。
それを見ていたらまた悲しくなって、狭苦しいボックスの中でまた膝を抱えてうずくまったら、頭の上でコンコンってノックの音が聞こえた。
グズグズ泣いたまま顔を上げたら、ガラスの向こうにおまわりさんが立っていた。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
少しだけ開けられたドアの隙間から聞かれたけど。
「……ううん、なんでもない」
こんなに思いっきり泣いてるのに何でもないわけないよなって自分でも思ったけど。
「歩けるなら送ってあげるよ。家は近くなの?」
そう聞かれて、はじめは「ひとりで帰れる」って答えたけど。
「もう遅いからね」って言ってる顔がなんとなく俺を怪しいって思ってるみたいな、それでいて心配してるみたいな感じだったから。
「……うん、近くだよ」
やっと立ち上がって電話ボックスを出て。
マンションの場所を説明しながら並んで歩いた。
帰る場所がなかったら、このまま警察に連れていかれたんだろう。
でも、今日は白井のマンションに帰れるんだから大丈夫。
鍵だって持ってるし、白井はまだ戻ってないし。
そう思って、少しホッとして。
だから、頑張って涙だけ拭いてみた。
「そこの角を曲がったところにあるコンビニの上だよ」
指を差して、一緒に角を曲がって。
そしたら。
2時にはまだ遠い時間のはずなのに、コンビニの前に白井が立ってた。
まだスーツのままだったから、帰ってきたところなのかなって思ったけど。
「どこへ行ってたんだ。探したんだぞ」
いきなりそう言われた。
「……うん」
白井がもう帰ってるなんて思わなかったから、俺はまだぜんぜん気持ちの準備ができてなくて。
じっと見上げたまま。
でも、なんの説明もできないでいたら、白井の手が俺の頬を拭いた。
そっと触れた手は温かくて、優しくて。
だから、帰ってくる前になんでもなかった顔をするつもりだった自分が嘘つきに思えた。
どんな説明をしても、白井との約束を守れなかったことに変わりはないから。
「……あのね」
言いかけたとき、警察の人が「お兄さんですか?」って尋ねた。
ぜんぜん似てないのになって思ったけど、白井は「はい」って答えて俺の肩を抱き寄せた。
そのあと、「お手数をおかけしました」って言ってぺこっと頭を下げて。
ついでに俺の頭を後ろから押したから、俺も一緒におじぎをした。
その間も白井はものすごく心配そうな顔で俺を見てたから、警察の人も本当の家族だって思ったみたいで。
「夜遅くの時は家で電話をかけるようにね」
そう言い残して駅前の交番に戻っていった。


エレベーターに乗って廊下を歩いて。
部屋に入るまでの間ずっと白井は何も言わなかった。
でも、クローゼットに靴をしまってたとき、隣りでコートを脱ぎながら、やっと口を開いた。
「……なんか、言ってたか」
俺に背中を向けたまま、静かな声で。

誰に電話してたのか。
なんで泣いてたのか。
まだ何にも話してないのに。
言わなくてもちゃんと分かってて。
なのに、俺の頬を拭いてくれたんだなって思ったから。
また泣きそうになった。

「……うん。『どこからかけてるんだ』って……それから」
また耳の奥を掠めていく。
電話越しの声。
「……金、持ってるかって」
それは記憶の中のどれよりも優しく聞こえたけれど。
本当は俺が気付かなかっただけで、今までだってずっとあんなふうに話してもらってたような気がした。
「それだけか?」
「……声聞いたら泣きそうになって……だから、電話切っちゃったんだ」

受話器を遠ざけたとき、かすかに響いてきた中野の声。
聞き取れそうで聞き取れなくて。
でも、ちゃんと聞いておけばよかったって、今になって思った。
中野が俺に言ってくれた最後の言葉。
もう二度と聞けないのに。

「……字の練習したけど、手紙、上手くかけなくて……だから、電話ならちゃんと『バイバイ』って言えるって思って……」
言い訳をしながら思い出したのは、白井にもらったピカピカのコイン。
それだって、すごく大事だったけど。
中野に「ありがとう」と「元気でね」って言えるならもったいなくなんかないって思った。
なのに、何もいえないまま。
受け取った二つの短い言葉は、何度も繰り返し気持ちの中を通り過ぎて。
会いたくて会いたくて。
どうしようもなくなった。
「……ちゃんと忘れるつもりだったけど……声聞いたら、よけいに会いたくなって……」
ダメだって思ったけど。
どんなに頑張っても、涙を止めることができなかった。
「……ごめんね、俺……約束、ぜんぜん―――」
うまく言葉にならなくて、やっとそれだけ言った。
泣かれるのは嫌だって言ってたくせに、
「いいって、そんなこと」
白井はやっぱり少し困った顔で、でも、笑いながら慰めてくれた。
俺の肩を抱いて、ベッドに腰掛けて。
「そんな真剣に惚れてたなら、もっと早く言えよ」
閉め忘れたクローゼットのドアを見ながらポツンと呟いた声は、なぜか寂しそうに聞こえた。
「……でも、たまに買われてただけなんだ。俺のことなんて……」
俺がどんなに好きでも、中野はこの先ずっと俺のことなんて好きにならないってみんなに言われた。
「なんでかなって、ずっと思ってたんだ。でも、好きだった人に似てるって聞いて……」
側にいられなくなって。
「ありがとう」も「バイバイ」も言わずに出てきた。
「ちゃんと言えてたら、もう忘れてたかもしれないって思うけど」
本当はそれも半分は嘘で、半分は強がりで。
でも、そこまで話したら、白井に「バカなヤツだな」って言われた。
「……うん……俺も、そう思うけどさ」
涙をこぼし続ける俺の髪を撫でながら。
「もう、いいかげん泣き止めって」
白井はたぶん呆れてたけど。
その声はひどく優しく聞こえた。
「……ごめんね」
白井の顔がにじんで、涙と一緒に落ちて。
その一瞬だけ、すごく困った顔の白井が見えたけど。
でも、すぐにまたにじんで見えなくなった。

白井はもう一度「バカだな」って言ったけど。
自分のシャツで涙を拭いて。
それから、俺の体を離すと財布から千円札を抜き取って差し出した。
「なに……?」
意味が分からなくて泣きながら見上げたら、
「帰れよ。新宿なんだろ?」
白井は少しだけ笑って、俺の手に札を握らせた。
「だって……」
家族で、友達で、恋人で。だから。
「一緒に行こうねって約束したよね?」
そう言ってみたけど。
白井はそれについての返事はしなかった。
「おまえ、チビだから、いても邪魔になんてならないよ。だから、本当に追い出されるまでそいつの側にいてみろよ」
「でも、ジャマだって……もう戻ってくるなって……」
嫌われてしまうくらいなら、もう会えないほうがいいって。
そう思ってたのに。
「バーカ。本気で邪魔だって思ってたら、金の心配なんてしないって」
そういうもんなんだよって言われて。それから少しだけ笑われて。
「電話、すぐに切られたりはしなかったんだろ?」
「……うん」
「だったら、騙されたと思って一度帰ってみろよ」
きっと大丈夫だからって言われて。
本当にそうなのかは分からないけど。
でも。
「……いいのかな」
本当は、ほんのちょっとだけでも中野に会いたかったから。
一度そう思ったら、もうどうにもならなくて。
「……ありがと、白井」
手の中の千円札を見つめて。
白井に抱き締められたまま、泣きながら笑った。
「おまえさ、周りに遠慮ばっかりしてないで、少しは自分のことも考えろよ」
あんまり心配させるなって言われて。
「……ごめんね」
そう言ったら、今度は「あんまり謝るな」って怒られて。
「……うん」
それから、白井と約束をした。
迷惑な顔をされてもいいから、中野にちゃんと『好きだ』って言って。
それでダメだったとしても、もう一度だけ、『ジャマにならないようにするから、近くにいさせて』って言ってみるって。
「ちゃんと言えるか?」
「うん」
頑張ってみるねって頷いて。
無理するなよって笑われて。

今までずっと誰との約束も守れなかったけど。
ダメかもって思ったら、白井にもらった千円札と「あんまり心配させるなよ」って言葉を思い出して。
今度はちゃんと頑張ろうって思った。

「それでも万が一ってこともあるしな。やっぱり追い出されちまったら電話しろよ」
滑り止めがあれば心強いだろうからって。
教えてくれたのは普通よりも少し長い番号。
でも、メモは取らないように言われて、その番号を言われた通りに3回繰り返した。
「ちゃんと覚えたか?」
「うん」
長いなって思ったけど。
でも、不思議なくらいすぐに覚えられた。
「電話しても俺が出るわけじゃない。メッセージ通りの手順で伝言を入れるだけだ。毎日は無理だと思うけど、できるだけ確認するようにするから」
その時にはもう身動きが取れないかもしれないし、たいしたことはできないかもしれないけど。
「でも、金くらいなら送ってやれるから」
そう言ってくれた。
「おまえが金を受け取れる場所があればいいんだけどな」
2〜3日置いてもらえそうなところはないのかって聞かれて。
「あ、うん……」
中野のところにいられなくても、闇医者なら手紙くらいは受け取らせてくれるはずだから。
「この間言ってた診療所だったら、きっと大丈夫。そこの先生、すごく優しいんだ」
そんな話をしてたら、闇医者の笑顔が頭の中を通り過ぎていって。
早く会いたいなって思ったけど、でも、白井には言わなかった。
「なら、そこで金だけ受け取って俺のいる場所までくればいい」
そこから先は最初の約束通り。
友達として、家族として暮らせばいい。
「ありがと。わがままばっか言ってごめんね」
それは本当に俺のわがままだけど。
でも、白井がそれでもいいって言ってくれるなら。
「ちゃんと頑張るけど、でも、ダメだったら電話するね」
ギュッて白井に抱きついて、少しだけ笑ってみた。
俺の耳に入ってくるのは白井の心臓の音と、鼻をすする自分の声。
すごくあたたかくて、ホッとして。
このまま眠ってしまいそうだなって思っていたら、
「―――……できれば、帰ってくるなよ」
いきなり、そう言われた。
「……え?」
一瞬、白井も本当は俺のことが邪魔なのかなって思ったけど。
驚いて見上げたら白井は笑ってた。
「そのまま、おまえの好きなヤツのところに置いてもらえるように祈ってるからな」
優しい手。優しい声。
「……ありがと」
また泣きそうになりながら、頑張ってお礼だけ言ったけど。
やっぱり涙はこぼれ落ちた。

向こうに戻ったら、もう白井には会えないかもしれないって思ったから。
それと。
あの日、中野に言われた『もう戻ってくるな』って言葉と、さっき白井に言われた「できれば帰ってくるなよ」って声が重なって。
わけもなく胸が苦しくなったから……―――


「じゃあ、明日、その診療所の場所を教えろよ。地図を見れば住所も分かるからな」
ホントはまだ泣いていたけど。
「うん」
一応、返事をした。
その後、一緒にお昼を食べて、駅まで送るからって言われて。
「だから、今日はもう寝ろよ」
時計を見たら、もう2時で。
言われたとおり先にベッドに入った。
白井がシャワーを浴びて戻ってきた時、たぶん俺はもう半分眠っていたけど。
でも、ふんわりと温かいものが俺の体を包み込んで、無意識のうちにそれにギュッとしがみついた。

さらりと髪をなでる手。
それから。

「――……ちゃんと幸せになれよ」

優しい声が遠くに聞こえて。
夢の中で、また「うん」って答えた。

明日になれば中野に会える。
そう思いながら。


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