Tomorrow is Another Day
- 97 -




走るたびにガリガリと変な音がする道路はでこぼこで、揺れるたびに頭がガンガンした。
「数日前に雪が降ったようですね」
凍った雪なんてここ何年も見たことがないような気がした。
どこからかひんやりした空気が入り込んでくる。
車の中はちゃんとエアコンがついてるのに、ドアの近くは肌寒かった。
「……どこ行くの?」
聞いてみたけど、答えてくれるはずもない。
沈黙のまま一時間くらい経って。
「降りますよ」
作り笑いは俺の顔なんて見ないまま俺の足をシートに持ち上げて、少しヨレていたロープとガムテープを解いた。
ドアが開いた瞬間、肌がピリピリするほど冷たい空気が流れ込んで。
車を降りると足元にはやっぱり凍って硬くなった雪が積もってた。
雪が溶けている部分はアスファルトでもコンクリートでもなくて土と枯れた草が見えていた。
目の前は二階建ての古い家。どこかの別荘って感じだった。
「……ここ、どこ?」
少しでも何かが見えればって思ったけど。
どんなに目を凝らしてみても周りは木と雪だけで、隣の家も、電柱も、それどころか小さな明かりさえなかった。
「では、中へどうぞ」
作り笑いの男は懐中電灯を片手にドアを開けたまま俺を先に通した。
黒服も一緒に来ようとしたけど、外で見張っているように言われてしぶしぶ車に残った。
「電気もガスもありませんから寒いと思いますが」
迎えが来るまでの我慢ですからと言われて、促されるまま奥の部屋まで歩いた。
家はずっと掃除なんてされていないらしく、廊下を歩くたびにジャリッという砂っぽい感触があった。
「……外とあんまり変わらないんだね」
懐中電灯の明かりだけしかなくて、あとは真っ暗だったけど。
ちょっとしゃべっただけでも吐く息が白いってことはなんとか分かった。
「貴方には朝までここで待っていただきます」
開けられたドアの中にはマットも布団もないベッドがひとつ。
あとは雑巾みたいな布切れや、ほこりの塊が隅っこに固まってて、薄汚れて寒々しい感じだった。
「そこに座ってください」
男に言われてベッドに腰掛けると懐中電灯に照らされた5センチ幅くらいの空間にホコリが舞い上がるのが見えた。
それから、白い息。
「足をそろえてください」
ポケットにナイフと銃。
逆らったところでどうにもならないだろう。
「……うん」
言われた通りに足をぴったり揃えたら、今度は緩む余地なんてなさそうなほどしっかりと縛られた。
怖いのと寒いのとで、自分の体が小刻みに震えるのが分かった。
それに気付いた男は少しだけ肩をすくめて、
「お約束の日までは元気でいていただかないといけませんからね」
そう言って棚をから毛布を二枚取り出した。
一枚をベッドに敷いて、もう一枚を俺の体に掛けたとき、ホコリっぽい匂いに息が詰まってむせ返りそうになったけど。
「ここでおとなしく待っていてください。朝にはお迎えが来ますから」
男の言葉が少し引っかかった。
「だって……中野との約束、あさってなんだよね……」
だったら迎えに来るのは中野じゃない。
「……誰が……来るの?」
そう聞いてみたけど。
そいつからは「ええ、お約束は明後日ですよ」という答えしか返ってこなかった。
「ね……俺……」
どうなるの、って聞こうとしたとき、突然男のポケットに入れられていた携帯が振動して。
そいつはまた肩をすくめながら部屋を出て行った。
ドアが閉められて、真っ暗になった部屋に響いたのはカチャッという音。

―――鍵、かけられたんだ……

とにかく落ち着かないとって思って。
部屋の中がどうなっていたのかを思い出そうとしたけど、頭に浮かんできたのは雑巾とホコリの塊。
ドアは一つだけしかなかったのかとか、ベッドの他に何があったのかとか、そういうことは何にも思い出せなかった。
外は薄曇りだったけど、窓でもあれば月明かりくらいは差し込みそうなものなのに。
「雨戸がしまってるのかなぁ……」
それとも、もともと窓なんてないんだろうか。
逃げた方がいいのかもしれない。
でも、外には作り笑いと黒服がいる。
手足は縛られていて、走ることはもちろん、まともに歩くことだってできない。
それ以前に鍵をかけられた部屋から出ることだってできないかもしれない。
「……どうしよう……」
考えている間にも、どんどん体の熱が逃げていくような気がした。
「その前に凍えそうだよなぁ……」
不自由な手足でなんとか毛布の中にもぐりこんだけど、ぜんぜんあったかくならなかった。
「もっと厚い毛布ないのかなぁ……」
あいつが毛布を取り出してたあたりをもう一回探してみようって思って立ち上がってみたけど。
真っ暗だったから、バランスを崩してあっという間に転んでしまった。
部屋の中にドカッと言う音が響いて。
「いったぁ……」
膝と肘を思い切りぶつけて、転がっていたら、いきなりドアが開いた。
目に焼きつくような懐中電灯の光。
それを認識した次の瞬間には、仰向けに倒れていた俺の眼球の前にはナイフが突きつけられていた。
焦点さえ合わないような至近距離。
目の表面からほんの数センチの所に冷たい光を放つ刃先があった。

その向こうに黒服の眼。
笑いながら、俺を見てた。
「……やめ……っ」
殺されるかもしれない。
そう思ったのは一瞬。
反射的に目をつむったとき。
「おやめなさい」
作り笑いの声が聞こえた。
「何度申言えば分かるんですか。明後日、彼からの連絡があったときに声を聞かせる必要があるんですよ」
力なんてなさそうな普通のオヤジなのに、黒服が振り上げた手をガッシリと掴んでいた。
「ですから、今はまだ駄目です」
そう言いながら。
でも、そいつの目は黒服じゃなくて、俺を見てた。
「では、私は先に残してきた車のお金を片付けてきますから。戻るまでこの子を見張っていてください」
二時間くらいで戻りますと言い残して背中を向けた。
その瞬間、背筋に冷たいものが走って。
「待……って……」
思わず引き止めていた。
黒服と二人にされたら、きっと俺は殺される。
「何か用事でも?」
少しでも引き伸ばそうとしたけど。
もともと用事なんてないんだから、続ける言葉も思い浮かばなかった。
「金……中野の……だから……返して」
しかも、寒さと不安で声が震えてうまく言葉にならなかった。
「だって、そんなの、自分の金じゃ、ないんだから……」
のどが渇く。
声がかすれる。
「おやおや」
そいつは作り笑いのまま俺を見下ろして。
本当にバカにしたみたいに鼻で笑った。
「何を仰るのかと思えば。こうやって手に入れたお金で、貴方も白井さんと一緒に暮らすつもりだったんでしょう?」
その言葉に一瞬、心臓が止まった。
頭の中を通り過ぎる。
白井との最初の約束。
知らない誰かから奪った金を持って、どこかの街で。
今までと同じようにコンビニに行ったり、電気屋に行ったりして。
楽しく毎日を送ろうって話してた。
「……違う……そんなの……だって、俺……」
もし、最初に白井に言われたとおりに俺が身代わりになったとしても、相手はぜんぜん知らない人のはずだった。

中野じゃなくて。
俺の知らないどこかの誰か――――

「白井さんのご予定通りなら、貴方はマンションでただお金が手に入るのを待っていればよかったのでしょうけれど」
もし、そうなっていたら。
ずっと知らずにいたかもしれない。
何も知らずに。
新しい生活をただ楽しんでいたかもしれない。
でも。
「貴方の代わりに誰かが身代わりを務めて、貴方は何も悪いことなんてしていない顔で白井さんと楽しく暮らせればよかったんでしょう?」

こいつの言うとおり。
それは、ほんの少し考えれば分かったこと。
なのに―――

「では、大人しく待っていてくださいね。暴れたらどうなるかは貴方もお分かりだと思いますが」
視線の先は黒服の手に握られていたナイフ。
もう二つに折られて手の中に収まっていたけど。
作り笑いの男がこっちに目を戻すと、黒服の唇に歪んだ笑いが浮かんだ。
もう、絶対にダメだって。
変な確信が頭を過ぎって行った。
「……ね……白井は……? 病院にいるっていうのは嘘なの?」
白井の病気が嘘だったとしても、助けに来てくれるわけはないけど。
「そうですねえ。白井さんは病院じゃないですよ」
助けてくれそうな人は他に誰も思いつかなかった。
「だったら、具合悪いって言うのも嘘? なんともないの?」
俺は必死だった。
でも、そう聞いたら男はいつもより意地悪く笑って、
「ご無事だったなら、貴方をお迎えに上がるのは白井さんだったかもしれませんけどねえ」
ただそう答えた。


ドアが閉まる。
足音が遠くなる。
真っ暗な部屋の隅に懐中電灯をつるして、俺を振り返った黒服の手にまたナイフが握られた。
「声だけ出ればいいんだろ? なあ?」
何の話なのかと聞き返す間もなく、頬の上をすっと刃先が滑った。
「……いや……離して……」
反射的に体を起こそうとしたけど、もうしっかりとベッドに押さえつけられていて。
ほんの少しも身動きなんて取れなかった。
震える体の上を黒服の手がまさぐった。
「―――や……だ……っ、離せっ……離せってば」
思い切りもがいて男の体の下を抜け出そうとしたけど。
「うるせえ」という言葉と同時にバシッと殴られて意識が飛びそうになった。
「……い……や……やめ……」
寒い部屋。
冷たいベッドの上。
呼吸するたびに鼻とのどが痛くなった。
薄いシャツがビリッと破れる音さえ自分の泣き声に消されていった。
「や……っ……離して……っぅく」
ポロポロと流れる涙が頬から体の熱を奪って行く。
はだけられた胸の上にナイフの先が触れて。
ギュッと目を瞑った。


その時。
バタンとドアが開いて。
それから。
ブシュっという鈍い音のあと、黒服は俺の体の上に倒れた。
恐る恐る目を開けると、薄暗い部屋に冷たい作り笑いが見えて。
その手の中には銃が握られていた。
「貴方には約束の日時まで生きていていただかないと都合が悪いのでね」
仕方ないんですよ、と言いながら黒服の体をベッドから蹴落とした。
「それではお迎えが来るまで大人しくしていてくださいね」
ドアが開けられた時に風圧で揺らいだ懐中電灯が、床に広がって行く血を映し出す。
「……や……俺、ここに置いて……行かない……で」
けれど、そいつは車から持ってきた毛布を俺に被せると、
「あと数時間の辛抱ですよ」
そう言ってつるしてあった懐中電灯を下ろした。
「つけておいた方がいいですか? どうします?」
黒服の背中と血溜まりを交互に照らして。
また冷たい笑みを浮かべた。
それから。
「……嫌……、待……って……」
ただ首を振るだけの俺を残して部屋を出て行った。
鍵を掛けるカチャッという音が何度も耳の奥で鳴り響いた。
真っ暗な部屋の中。
「……た……すけて……」
目に焼きついて離れない。
床に転がった黒服の体と、じわじわと広がっていく血。
自分の心臓の音と、最期に聞いた黒服の声と、背中をむけた作り笑い。
「……中……野……」
グルグルと渦巻いて。
眠ることもできずに、泣きながら朝を迎えた。



Home    ■Novels    ■TomorrowのMenu    ■Back     ■Next