<お嫁にいくことになった。> -その1-
中野のうちに泊めてもらった翌朝。
いつもなら、公園でポイって捨てられるのに、今日はポケットに入れられたまま違う方向に連れて行かれた。
「ねー、どこ行くの?」
もしかして、もう戻ってこられないくらい遠くでポイって捨てられてしまうのかと思ってドキドキしたけど。
連れてこられたのは、北川の事務所だった。
「なぁんだ。よかった」
北川は怪しいヤツだし、ホントはあんまりよくないのかもしれないけど。
「よ、マモちゃん、おはよう」
「……おはよー」
一応、挨拶だけしたら、北川はすぐに中野のポケットから俺をつまみ上げた。
それから、早速風呂場へ連れて行った。
「ねー、中野は?」
『今日も泊まりに行っていい?』って聞くの忘れちゃったなって思ったんだけど。
「ご出張だとさ。明日かあさってまで戻らないから、マモもその間はここに泊まりだ」
バイト代をやるから店に出ろよって言われて。
「いいけど……でも、何するの?」
そんな話をしながらもジャブジャブ洗われてしまった。
中野の時と違って、ほどよい湯加減だったし、シャンプーもペット用で肌にやさしいタイプだって言ってボトルに書いてある説明を見せてくれたけど。
「……むずかしい漢字は読めないんだけどなぁ」
だから、本当に北川が言うとおりなのかは分からなかった。
「中野なんてマモをちゃんと洗ってやったこともないんだろ?」
「洗ってもらったことあるよ」
……水だったけど。
でも、水で洗われたとしてもやっぱり中野のうちがいいなぁ……って思った。
だって、中野のうちには中野がいるもんな。
「ほら、マモ。出来上がり」
あんまり音のしないドライヤーで乾かしてもらったら、いつもの1,5倍くらいふわふわになった。
「マモは普通にしていると貧相だからな」
特別なシャンプーだからふわふわになるんだって説明してもらったけど。
『ヒンソウ』の意味がわからなかった。
「……なんか、顔がまるくなった」
別にそれでもいいんだけど。
でも、なんか違う。
中野と会ったとき、俺だって気づいてもらえなかったらどうしよう。
「ちゃんとおめかししてやるからな。できればバイト中にさっさといいご主人様を見つけるんだぞ?」
気に入った相手がいたら、思いっきり愛想よく可愛くしろよって言われたんだけど。
でも、俺が気に入ってるの、中野なのにな。
「ねー、中野はそのこと知ってるの?」
「ああ、もちろん。できるだけ金持ちの所に嫁に出すって言ってある」
俺、お嫁に出されるんだ。
ぜんぜん知らなかった。
「そっか……」
「いつまでも中野に付きまとってないで早く厄介払いさせてやれよ。そのためにはとびきりのところに嫁に行かないとな」 「……うん」
もしかして、俺、本当に捨てられちゃったんだ。
そう思ったら、急に悲しくなった。
その後も北川はあれこれと準備をしてくれたけど。
「せっかくフワフワにしたから、服はやめて首輪だけにするか」
そう言って持って来てくれた高そうな首輪は俺にはあんまり似合わなくて。
「マモは何やらせても今一歩なんだよな」
とっかえひっかえ付け替えてはあれこれ悩んでたけど。
「まあ、子猫っぽくリボンにしておくか」
あきらめたみたいにそう言った。
首輪と違ってそれなりに可愛く見えるだろって言いながら、リボンを結んで。
それから、『かわいく見える練習』っていうのをさせられた。
「マモ。呼ばれたら、ちゃんとこっち見て。そうじゃなくて、小首を傾げて『なあに?』って顔しないとダメだろ?」
「うん」
「返事は『うん』じゃないだろ。なんて言うのかもう忘れたのか?」
それでもう一回「マモ」って呼ばれて、「返事は?」って言われたんだけど。
「……えっとねー……『はい』だったかも」
「『えっとねー』と『だったかも』は余計だ。もう一回やり直し。目線はちゃんとご主人様に向けて、可愛く誘ってみろよ」
言われた通りに北川の顔をジッと見たんだけど。
「何か違うんだよな。コロンと寝転がって腹を見せて、ご主人様の目を見て『優しく撫でて』って顔で可愛く鳴いてみろって」
「そんなに一度に言われたら覚えられないよ。えっと、最初が『ころん』で、次が……えっとー」
こんな調子で延々と練習させられた。
一時間くらいして。
「ねー、もう疲れちゃった」
ソファにべたっと潰れたら、北川に抱き上げられた。
ほっぺとかノドとかお腹とか、あちこち撫でてくれて気持ちよかったけど。
「マモはチビで子猫風味だから、今のうちなら小綺麗にしてればなんとか引き取り手も見つかるだろ。……子猫なら多少バカでも可愛いからな」
だからチビのうちに嫁に行けよって言われたけど。
それって、ほめられてるようで、そうじゃないような気がした。
正直にそう言ったら、
「バカ。褒めてるに決まってるだろ?」
北川は笑ってたけど。
こいつの言うことはどれがホントかわからなくて、俺にはちょっと難しい。
「今日の客は金持ちばっかりだからな。マモがいい子にしていれば、遊園地みたいな遊具がたくさんある広い家に住めるかもしれないぞ」
完全室内飼いだから汚れることもないし、ボーッとしてても車に轢かれることもないって言われたけど。
「でも、そしたら、いつ公園に戻って来れるの?」
ずっと家の中みたいな言い方だったから、ちょっと心配になって聞いてみたけど。
「うん、まあ、それはな」
北川はなんとなくごまかしてた。
だから、きっともう戻ってこられないんだって俺にも分かった。
「そしたら、中野や闇医者にも会えなくなるよね?」
そんなのイヤだなって思ったから、
「俺、雨の日と風の日と寒い日と雷の日だけ泊めてもらえるうちがいいんだけど」
控えめにリクエストしてしてみたけど、北川はもう俺の話なんて聞いてなかった。
夕方、そのまま店に連れて行かれた。
お客さんはオヤジばっかりで、あんまり遊び相手にならなさそうな感じだった。
それでも北川に言われた通り、「おいで」って言ってくれた人の膝に乗って話をしたり、おやつを食べたりしていたんだけど。
気がついたら中野の話になってた。
「背の高い、ちょっと怖そうな人だよね」
「中野のこと知ってるの?」
たまに店に来てるよねって言われて「ふうん」って答えた。
「マモルちゃん、中野さんのところに泊めてもらってるの? あの人、猫なんて興味なさそうなのに」
もう一人がそう言って。
「確かに猫なんて興味ないだろうな。特にマモみたいな冴えない野良じゃ」
そう言いながら、北川が笑った。
「そういえば、あの人、前に上品な猫を飼ってましたよね」
「ああ、そう。キリッとした感じで頭の良さそうな子だったね。もういないの?」
そう聞かれたから。
「中野んちには中野しかいないよ」って答えた。
中野が前に一緒に住んでたネコはこの辺では有名だったらしくて、お客のほとんどがそいつのことを知っていた。
「どこかから拾ってきたらしいんだが、見た目も抜群だし、品もいいし、絶対に血統書ついてるな。海外生活してたから英語も話せたんだぞ」
売ったら高そうだったなって北川が言って。
お客の一人が「へえ」って目を丸くして。
だから、俺も気になってたことを聞いてみたんだけど。
「……漢字も読める?」
北川に笑われた。
「当たり前だろ?」
マモとは違うんだよって頭を小突かれて。
「そういえば新聞も読んでたよね」
ニッケイだよって言われたけど、俺にはそれがなんなのか分からなかった。
「頭がいいって、すごくいいことなのかなぁ」
中野が頭のいいのが好きだって言うなら、俺も漢字の勉強しようかなって思ったけど。
「飼うことがあったとしても、マモみたいな、いかにも雑種でヨタヨタしてるのじゃなくて、自分好みの可愛い子をお迎えするつもりなんじゃないか?」
それを聞いてやっぱりダメかもって思った。
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