<悩みができた。>
最近、1こだけ悩みができた。
それで、闇医者なら相談に乗ってくれるかもって思って遊びにきてみた。
「ねー、闇医者。俺、前よりちょっと背が伸びたよね?」
身長を測る機械の前に立って聞いてみた。
もちろん診療所にあるのは人間用だから、後ろ足で立って背伸びをしてみても俺の頭のところにはメモリなんてないんだけど。
「どうかなぁ?」
「そうだね。でも、マモル君はもっと大きくならないとね」
闇医者が楽しそうにマジックを取り出して、俺の頭の上あたりに印をつけて日付を入れた。
まだ『ひょうじゅん』より小さいんだから、って言われて。
「……うん」
一応うなずいたけど、ホントはちょっと落ち込んでしまった。
闇医者はそれを勘違いしたみたいで、
「中野さんに『大きくなりたいからおいしいものたくさん食べさせて』って頼むといいんじゃないかな」
そんなことを言ってくれたけど。
「……ねー、闇医者」
俺のホントの悩みはそれとは逆だった。
「なに?」
「今より小さくなる方法はないのかなぁ?」
闇医者もさすがにちょっとびっくりした顔になって、「え?」って首をかしげた。
「それは無理だよ、マモル君。それに毎日ちゃんと大きくならないと中野さんも心配するよ?」
やっぱりムリなのかぁ、って。
もう一度がっかりして。
それから、中野はそんなこと心配しないはずだけどなぁって思ったけど。
そんなことよりも、今より大きくなったらどうしようって気持ちばっかりいっぱいになって何も言えなくなってしまった。
「マモル君? どうしたの?」
心配してくれる闇医者にはすごく悪いなって思うから。
「……別になんでもないかも。公園でひなたぼっこしてくるね」
ちょっとだけ嘘をついてしまった。
だって、小さくなるのがムリだったら、相談されてもきっと困るから。
「……はぁ」
もう外もずいぶんあったかくなって。
公園もぽかぽか日が差すようになってて。
「すっかり春になっちゃったら、どうしようかなぁ」
そしたら、中野はもうコートなんて着なくなって。
「でも、スーツのポッケにはもう入れないよなぁ」
そしたら一緒に帰れない。
中野は歩くのが早いから、俺がどんなに一生懸命走ってもきっと置いていかれてしまう。
「なんかいい方法ないかなぁ」
すごくすごく考えて。
やっぱりもうダメかもって思ったけど。
「あ!」
急にひらめいた。
「……置いてかれないように早く走ればいいかも」
そうだよな、って思ったら急に明るい気持ちになった。
それから、早速ダッシュの練習をした。
「よーい、どん」
自分で言ってから走るから、いまいちタイミングが悪くて、最初は前にのめってちょっと転がってしまった。
「もう一回やり直し」
何度かやり直して、やっと思った通りに真っ直ぐ走れるようになって。
もうちゃんとダッシュはできるもんねって思いながら、あとは長い距離を走れるようにしなくちゃって頑張ってみたら、走ってる途中で誰かの足にぶつかってしまった。
「……うわ、ごめんな、さい」
息を切らして顔を上げたら闇医者だった。
「どうしたの、マモル君? 誰かに追いかけられたの?」
まだゼイゼイしててうまくしゃべれなかったけど。
「ううん。ダッシュの、練習、してる、んだ」
それを聞いて闇医者はちょっと首をかしげた。
「そう。運動するのはいいことだけど、道路へ飛び出しちゃダメだよ」
言われて回りを見たら、横断歩道の最初の白いシマシマの上にいて。
だから、あわてて歩道に戻って返事をした。
「じゃあ、次はちゃんと信号を見てから横断歩道を走る」
そう答えたけど。
「信号が青でも曲がってくる車だってあるからね」
マモル君は小さいから、運転手さんには見えないかもしれないよって言われて。
「じゃあ、公園の中だけにする」
ちょっと距離が短いし、本番は信号も渡らなきゃいけないんだけど。
でも、今のところはそれでいいよねって思ったのに。
「うーん、でも……ずっと全力で走ってる猫がいると公園で休んでる人が驚くかもしれないから」
春先だし、いくら首輪をつけていても警察か保健所に連れて行かれちゃうよって言われて。
「そっかぁ……」
本当はなんで春だと警察に連れていかれるのかわからなかったんだけど。
おやつの時間もあるから、って言われて一緒に診療所に戻った。
「はい、マモル君。ここなら思いきり走ってもいいよ」
闇医者が指し示したのは診療所の前の駐車場。
駐車場って言っても、すごくがんばったら小さい車が2台とめらるくらいの広さ。
「ここからスタートして、そのままグルッと建物の周りを走ったらいいよ。なんだったら、診療所の廊下を走ってもいいし」
そう言われたけど。
「でも、そしたら廊下が汚れるよね?」
ちょっと心配になって聞いてみたけど。
「あとで一緒に掃除をすればいいから気にしなくていいんだよ。道を走ってマモル君が交通事故に遭ったりするよりはずっといいからね?」
交通事故は俺もいやだ。
それに闇医者と一緒に掃除するのは楽しそうだから、そっちのほうがずっといいって思って、俺も「うん」って返事をした。
よしがんばるぞって思った時。
「でも、どうしたの? 急にダッシュの練習なんて」
闇医者に突然そう聞かれて、俺はちょっと暗い気持ちになってしまった。
「……マモル君?」
話したほうがいいのか迷ったけど。
でも、闇医者なら、きっと真面目に聞いてくれるに違いないから。
「あのね……悩みができたんだ」
ちょっとだけ相談してみることにした。
お茶のテーブルで、闇医者と向かい合って。
その間、
「大丈夫だ、マモルちゃん。こっちまでは聞こえないから、先生にちゃんと相談するんだぞ」
小宮のオヤジたちは別のテーブルでお茶を飲んでいた。
「えっとねー……」
なんて説明しようか一生懸命考えて、あんまりうまく言えなかったけど、やっと全部話し終わったのに。
闇医者は「そうなんだ?」って言ってくすくすって笑いはじめた。
振り返ったら、聞いてなかったはずの患者モドキたちもみんなにこにこ笑ってた。
「……そんなにおかしいかなぁ」
俺は深刻なんだけど。
「大丈夫だよ。ポケットに入らなかったら、ゆっくり歩いてもらうか、抱っこしてもらえばいいんだから」
「でもなぁ……」
中野がゆっくり歩いてるところは想像できなかった。
それ以上に、だっこなんて絶対にムリだと思った。
「ひざにだってめったに乗せてもらえないのに……」
ちょっとだけ愚痴もこぼしてしまったけど。
闇医者はその相談もちゃんと聞いてくれた。
「でも、たまには乗せてくれるんだ?」
「新聞読んでるときだと、こっそり行ったらあんまり気づかないかも」
話しかけると気付くから落とされちゃうから、すごくそっとやらないとダメなんだよって説明してみたけど。
闇医者は「それなら大丈夫だね」って言って笑って。
うしろで患者モドキも頷きながら笑ってた。
相談に乗ってもらえるのはすごく嬉しいけど。
笑ってる理由もちゃんと教えてくれるともっといいのになって、ちょっとだけ思った。
それからお茶の間ずっと。
「首根っこ、持ってもらえばいいんじゃないの? ほら、ネコのお母さんが子猫を運ぶ時みたいにサ」
「でも、首輪をしてると窮屈そうじゃないですか?」
「うーん、じゃあ、猫を運ぶ用のカゴを買ってくるとか?」
「中野さんがそれを持って歩くと思いますか?」
「だよなぁ。それじゃあ……うーん……」
みんなで悩んでくれたけど。
でも、いい案は出なかった。
時間はどんどん夕方になって。
あっというまに夜になって。
「あ、中野の足音だ……」
乱暴にドアが開いたとき、俺はちょっとドキドキした。
だって、診療所に来た中野はやっぱりもうコートを着てなかったから。
「どうしよう、闇医者。俺、まだ早く走れないかも」
ホントにどうしようって思って、練習のつもりでテーブルの上をくるくる走ってみたけど。
「大丈夫、中野さんに置いていかれたら僕がマンションまで連れて行ってあげるから」
「ホント?」
闇医者にそう言ってもらってホッとした。
「中野、あのねー」
とりあえず、ダメでもともとって思って。
「今日はちょっとゆっくり歩いてもらえる?」って言いかけたんだけど。
中野はいつものように俺の話は聞いてなくて。
いつもみたいにつまみあげると、自分の肩の上にかけた。
「落ちたら置いていくからな」
って。
言われた瞬間にびっくりして落ちかけたけど。
中野の手がちゃんと背中を支えてくれていた。
これなら絶対大丈夫ってホッとして。
ついでに。
「でも……後ろしか見えないかも」
ちょっとだけそう思ったけど。
でも、診療所を出る時にいいことに気付いた。
「ばいばい、またね」
これだと長い間みんなの顔を見てバイバイできていいかもしれない。
「気をつけて帰ってね」
「うん」
肩につかまって。
スーツの胸のポケットのところに足をかけてもう一度手を振った。
ブンブンって思いきり振ると、やっぱりちょっと落っこちそうになるけど。
でも、背中を押さえてもらってるから、ぜんぜん大丈夫そうだった。
中野の顔が見えないのがちょっと残念だけど。
でも、押さえてもらってる背中があったかくてすごくいい感じだ。
道路に出れば、すれ違う人ともバイバイできるし。
「あれ〜、肩の上に乗ってるのってネコだよ。変な色だから何かと思った」
たまにはそんなことも言われて、みんなこっちを見てくれて。
「しっ、あの人ヤクザじゃないの?」
たまにあわてて口を押さえる人もいたけど。
「中野はヤクザじゃないよー」
すぐに俺がホントのことを教えてあげたからきっと大丈夫。
俺は中野がヤクザでもぜんぜんかまわないんだけど。
みんなはあんまり好きじゃないみたいだから、一生けんめい「違うよ」って教えてあげてたのに。
「静かにしてろ」
中野はやっぱり不機嫌そうな声でそう言っただけで、自分でホントのことを教えようとは思ってないみたいだった。
「ねー、中野。夜になるの、おそくなったよね?」
大きくなって、もうポケットにはぜんぜん入れなくなってしまったけど。
「なんか楽しいかも」
これからどんどんあったかくなって、道路にもたくさん人が歩くようになって。
だから、たくさんバイバイもできるなって思って、嬉しくなって。
「闇医者の魔法ってすごいよね?」
はしゃいで聞いてみたけど中野はやっぱり返事なんてしてくれなかった。
でも、他の人よりもずっと高い肩の上から、たくさん手を振って。
ずっとずっと中野と一緒に楽しくうちに帰った。
end
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