編集長から伝授された情報は、まるで作り話のような凝った設定だった。
「幼い頃に母親が原因不明の病死。父親もその世界じゃ有名な研究者だが随分前から行方不明。母親の死後、阿坂本人は父親の友人である大学教授が引き取ったらしいが、学校には行かずに通信および専属家庭教師で英才教育。盛大な飛び級で大学に入るまでの間どんな生活をしていたのかは不明」
今時それはないんじゃないかと思うような仰々しい生い立ち。
というか、ぶっちゃけありえない。
「なんかエラいドラマチックですよね」
「だから面白いんだろ。こっちはゴシップ誌なんだぞ。おカタい研究内容なんかより、若き天才科学者のミステリアスな過去と華々しい未来のほうが売れるに決まってる」
この時俺がイメージしたのはとてもサラブレッドで、出来の悪いヤツの気持ちなんて想像さえできないような男。
「そんな生まれなら多少変わってても世間が許すだろうしな」
うかつにそう呟いたら、編集長にパコンと頭を引っ叩かれた。
「片や年若き天才サイエンティスト。それに引き換え、同じ年頃だってえのに、どっかのバカの頭は本当に軽そうな音がするな」
「……よけいな世話です」
ついでに。
「八尋と違ってエラくいい男らしいぞ」
とどめを刺されて、俺もやさぐれた。
「へー、そーですか。それはお会いするのが楽しみですね」
脳細胞のみならず、すべてのデキが違うってことらしい。
『神様は不公平よっ』なんてことを言うつもりはないが、絶対に俺とはかみ合わないに違いない。
「ま、そうひがむな。今回の仕事はその顔がすべてだからな」
どんなに格好よくても日本女性の受けが悪いのはダメだと言われて。
「俺に平均的日本人女性の好みが分かるとでも?」
反抗的な態度に出てみたが。
「判定は優花女史にしてもらうから、おまえは出来るだけいい写真を撮って送ってくればいい」
……どうやら俺の美的感覚など端から当てにされていないことがわかった。
「へいへい。承知しました」
パソコンは向こうの知り合いに借りられるよう頼んでやると言われて、また渋々頷く。
「心配しなくても日本企業内にあるネットカフェのようなところだから、ちゃんと日本語キーボードがついてるはずだ」
海外だとローマ字しか打てないかもしれないなんてことさえ思わなかった俺には、その配慮はありがたかったけど。
「八尋、頼むから向こうでバカを晒すなよ」
ハッタリでいいからせいぜい頭のよさそうな顔をしてろと言われ、急にすべてが面倒になった。
「頭のよさそうな顔ってどんなですかね?」
投げやりこの上ない態度で「周囲に適当なサンプルがいないのでわからない」と告げたら、またしてもパコンと引っ叩かれて、さらにやさぐれた。
結局、分かるのは名前とアバウトな年齢と性別と職業ととても胡散臭い生い立ちくらいで。
そのほかに情報らしい情報があるわけでもなく。
「……ま、そういうことで。後はおまえの腕次第だ」
無責任な言葉のあとはさらに無責任な「頑張れよ」。
「ってことは、俺はアイドル顔負けの写真を撮って、趣味とか休日の過ごし方とか好きな女のタイプとかを聞いてくればいいんですか」
「まあ、そんなところだ」
どうせその程度だろうとは思ってたけど。
「あとは……そうだな、できればいい感じに仲良くなってこい」
「はあ? 仲良くなってどうするんですか?」
「まあ、その辺はいろいろだな」
相変わらず良く分からないが、俺をひっくるめて何かに利用する気なのは間違いない。
「別にいいですけど、天才科学者が俺と気が合うはずないでしょう?」
ちょっと考えたら分かりそうなものだ。
だが。
「年も近いんだから、大丈夫だろ」
オヤジは類まれなる能天気なので、とても楽観的だった。
その後も渋る俺を励ます情報を付け足してくれたのだが。
「かなり変わってるらしいから、取っ掛かりはあるだろう」
……まったく励みにならないのがポイントだ。
役立たずもここまでいけば素晴らしい。
「まあ、とりあえず行け。詳しいことは今夜会う要人から聞いておいてやるから」
そう言われ、やっぱり頷くしかない俺。
「じゃ、日本時間で明日午前10時以降に電話しろ。いいな?」
ついでに電話はすべて編集長名義のカードを使ってかけるようにとの指示。
「普通のクレジットカードだが、電話以外には使用するなよ」
「……わかってますよ」
いくら金に困ってても、俺だってそこまでは非常識じゃない。
それよりも。
「情報が後回しってのが妙に気になるんですけど」
ってか「要人」って誰だよ。
問い詰めても。
「まあ、それは置いておくとして」
いきなり置き去りにされてしまった。
最後にもう一度、「いいか、できるだけ『貴公子路線』だぞ」と念を押され、一応頷いて。
「あくまでも志は高く持てよ」
そんなシメの言葉で実のない打ち合わせは終了した。
「ココロザシねぇ……」
三流ゴシップ誌に売るための写真とネタ。
そのどこに志などというものを発揮したらいいんだか。
「いいネタを仕入れるためには好奇心が全てだ。頑張れよ、八尋」
期待してるからな、というセリフがやけに空々しく響く。
「はぁ……」
この仕事が俺に向いているかというと、どうなんだろうと自分でも思うわけで。
でも、日々の糧を得るためには仕方ないわけで。
「……承知しました」
本当に、返す返すもなんで俺が。
あやうく言いそうになったのを見透かしたように、「戻ったら借金を返せよ」という耳の痛いおまけまでついて。
「……バイト料入ったら返しますって」
他に収入源などないのだから仕方ない。
「なるほど。じゃ、無事に賃金が貰えるような仕事をしてこい。それと、取材対象はお客様扱いだ。くれぐれもそういう口の利き方はするな」
「気をつけます」
その前に日本語で話せる環境であって欲しい。
「んじゃ……」
受け取った金と電話用のクレジットカードを財布に突っ込んで、ぐちゃぐちゃに詰め込んだものでパンパンになっているカバンを持ち上げた。
「あーあ……俺、飛行機嫌いなんですよね。狭苦しくて降りるまでに体がバキバキになるし」
愚痴なんて言ったところで誰も聞いておらず。
編集長は見るからにだらしなさそうな印象を与える不精ヒゲをなでながらニヤニヤ笑っただけ。
……で。
「じゃ、八尋。グッドラック」
そう言って航空券を手渡した。
―――なにが「グッドラック」なんだか。
「ったく。向こうがホントに全く日本語がダメだったらどーすんだよ?」
言いたいことは他にも腐るほどあったが。
「いいから、さっさと行け」
尻を蹴飛ばされ、背中に罵声を浴びながら、俺はとても仕方なく機上の人となったのだった。
レジャーシーズンでもないというのに空港は激しく混んでいた。
手続きに時間を要し、搭乗にまたさらに手間取って。
「あーあ、ねみぃー」
狭苦しい座席についたのは出発直前という時刻。
それでもやっと眠れると思ってホッとしたところにまた邪魔が。
「学生さん? お一人でご旅行ですか? どちらまで?」
隣の席のヤツに声をかけられてしまった。
しかもやけに馴れ馴れしい。
「いや、仕事で」
行き先を告げたら、「偶然ですね、僕もなんですよ」という言葉と共にそいつは自分の名刺を差し出した。
肩書きはフリーのジャーナリスト。年齢は30過ぎくらい。
見た目は小奇麗だが、俺の印象では平気で嘘をつき、いくつも顔を使い分けるタイプ。
編集長を分かりやすく悪党にした感じだった。
まあ、仕事柄そういう性格の方が都合がいいんだろうけど。
「もっとも、僕の用事は大学の方じゃなくて、企業郡なんですけどね。街自体は結構居心地のいいところらしいので、滞在を楽しみにしているんですよ」
そこは日本人の感覚からすると「研究学園都市」のような趣で、大学そのものにも日本人は多いし、企業も日本資本が多いから食べ物も口に合うだろうとのことだった。
「公の機関がほとんどないこともあって、ある意味少し独特の空気があるらしいんですがね」
街の大半を占めるのは大学と付属の研究施設、それから、提携している数々の企業郡。
そんな場所じゃ、遊ぶ所はなさそうで、取材の入っていない時間をどう潰したらいいのか困ってしまいそうだった。
「そうでもないでしょう。治安もいいし、公園も多い。環境は悪くないので、一人で散策も楽しいと思いますよ」
「……だといいんですが」
散策なんて俺のガラじゃないけど。
よく考えてみたら、その手の事前情報はまったく持ち合わせていなかった。
「僕は新製品の調査でね。来期にガツンと当たりそうなものを探してみようかと」
当てのない取材旅行なんですよ、などと言いつつ笑っていたが、取って置きのネタがありそうな空気が濃厚に漂っていた。
「それで、貴方は何を?」
男の品定めをしながら、あれこれ思いめぐらせていた俺に不意打ちの質問。
おかげでポロッと本当のことを漏らしてしまった。
「え……ああ、イケメンをゲットして女性誌に売ろうって話で……ちょっと変わった生い立ちみたいだから」
下世話な好奇心なんですよ、と笑ってみたら、「僕もそういう楽しそうな仕事がいいな」なんて笑顔を返された。
だが、見下されているのは明らかだった。
しかも、
「それで、貴方のその情報、どこで手に入れたのですか?」
キラリと目が光って。
「情報ってほどのもんじゃ……編集長が知り合いから聞きかじった程度だと思います」
俺は少しも事実を曲げて伝えてはいないのに、男の目は俺の言葉のすべてを疑っている。
つまり「それだけの仕事のためにわざわざ海外にいくはずないでしょう」というニュアンスだ。
「お知り合いからですか。そういう情報が一番確かで面白かったりするんでしょうね」
ネチネチと遠回しに探りを入れられて少々閉口。
見た目を爽やか路線にしているだけに厭味っぽさが際立つ。
もっともそれは俺の偏見かもしれないけど、いずれにしてもあまりお近づきになりたくないタイプだ。
「でも、信憑性ゼロですよ。自分でも『ガセかもしれない』って前置きしてたくらいで」
自然と口調も素っ気なくなる。
「ふうん。内緒ってわけですか」
「いや、マジで」
しつこい。くどい。
「いいネタを仕入れるためには好奇心が全てだ」とどこかのオヤジも言ってたけど。
だとしても、こんな性格にはなりたくない。
「その編集長って方、この業界は長いの?」
「さあ、どうなんでしょう」
これだってしらばっくれたわけでもなんでもなくて、実際、俺は何ひとつ知らないし、他の社員だって編集長が実は何者なのかは誰も知らないと思う。
某大物政治家と一緒にメシを食ってたとか、某一部上場企業の会長とクラブで豪遊していたとか、いかにもな噂は頻繁に小耳に挟むのだが、その真偽も定かではなく。
先輩連中に聞いても、「風の噂で」程度の返事しかしてくれないし、ましてや本人に直撃してみたところで、「大人の男に秘密はつきものだ」などとわけのわからない言葉で濁して笑みを浮かべるだけ。
そんなわけで、俺の説明に一つとして嘘はないのにコイツは信じようとしない。
「なんか思いっきり疑ってるみたいですけど。うちの会社、本当にこんなくだらないゴシップネタで食ってますから」
本当はそれだけじゃないとは思うけど。
その辺の詳細は俺も知らないのだから他に言いようもない。
何よりも個人的にコイツのことが好きになれないので、返事はこれでいいだろう。
「じゃ、すみませんが、俺、今日はひどい寝不足なので向こうに着くまで爆睡しますから」
一応「失礼します」と断ってから、無理矢理会話を打ち切った。
ロクな取材にならないとは思っていたが、道中までこんなだと本当に先が思いやられる。
ため息をたっぷり連続十回はついた後、俺はようやく浅い眠りに入った。
数時間後に降り立ったその地で、最初に会話をすることになる相手がすべての始まりになるとも知らずに――――
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