X-10
(エクス・テン)

<6>




最初に連れて行かれたのは、研究所のスタッフ専用スペースの入り口にある受付。
一口に「スタッフ専用」と言っても、チームによってラボが分かれているため、大学の所属員だからといってどこでも出入り自由というわけではないようだった。
「セキュリティが厳しいんだな」
研究内容なんて企業秘密みたいなものだから当然かもしれないが、なんにしても俺には理解しがたい世界だ。
「ここで待ってろ」
来客用のカードをもらってくるからと言われて頷いた。
阿坂の口調は本当にエラソウだが、意外と親切だ。
この調子なら普通にコミュニケーションが取れそうな気がしてきた。

「それにしても広いよな」
エントランスの受付とは違ってやや事務的な感じはしたものの、座っているのはブロンドの若い女の子。
ちょうどいいので、阿坂が戻ってくるまでの間に少し英会話の練習でもしようかと近寄ってみたが。
「ドクター・アサカのお知り合いなんですか?」
日本語で声をかけられてしまった。
「ああ、うん、友達」
当然、俺も日本語で返した。
返事の内容は嘘八百だが、まあ、「ちょっとした出来心」と言っても許してもらえる範囲だろう。
「いつもここで受付してるの? 阿坂ってここではどんな感じ?」
あの様子だと取材は思うようにできないだろう。
予定通りの内容でインタビューのOKが出なかったとしても、人柄がしのばれるようなエピソードがあれば多少はごまかしがきくかもしれない。
そんな期待も込みの問いだったが、彼女からは「滅多に話さないのでわからないです」という返事があっただけだった。
「ふうん。じゃあ、愛想なくて感じ悪いんだ?」
友達と名乗った俺に対してそれを真正面から肯定するはずはない。だとしても、本音は態度のどこかに出るだろう。
そんな予想のもとに返事を待っていたら、やけにリアルな反応があった。
「そんなことないですよ。ドクターは他の方と違って……あっ」
あわてて口を押さえたが。
「ってことは、ここって性格の悪いヤツが多いの?」
曖昧な笑いで流すのは、やっぱり「Yes」ということなんだろう。
あの阿坂でさえ「他の方と違って感じは悪くない」と言われるこの研究所。その「他の方」というのはいったいどんなヤツなのだろう。
「……うーん。なんつーか、あんまり考えたくないな」
それ以上に、できることならお近づきになりたくない。
まあ、用のあるのは阿坂だけだから、その他大勢は避ければいいだけのことだ。
俺が接触する可能性があるとしたら、受付の女の子とか、敷地内を巡回しているというバスの運転手か、せいぜいそんなところだろう。
そんなことを考えていたら、背後から声が聞こえた。
「カードがエラーになる。すぐに差し替えてくれ」
声の主はいかにも研究者らしい白衣姿で、見た目は日本人だが話しているのは英語。
そして、なぜかあからさまに俺の存在を疎ましく思っている目線だった。
「あ、はい。少々お待ちください」
さっきまで俺が話していたのとは別の子が、差し出された銀色っぽいカードを受け取って受付の裏にある警備室に消えていく。
それをぼんやりと見送っていたら、不意に声をかけられた。
「ドクターのご友人だとか?」
どこで聞いていたのか知らないが、いきなりの質問。
それもいかにも疑ってますと言わんばかりの態度。
もとより大嘘なんだからそれも仕方ないと思う反面、なぜか無性にカチンと来て、勢いだけで堂々と頷いてしまった。
「八尋と申します」
返事をした瞬間にまた別の問い。
「まさか、ご友人の勤務先をご見学とか?」
どこか含みのある言い方。
何を疑っているんだろう。
俺から何を引き出そうとしているのだろう。
阿坂の本当の友達じゃなくて実はマスコミ関係者だったとしても他人には何の関係もないはずなのに。
「ええ、まあ。研究所なんてちょっと恰好いいし、一度見てみたいなと」
「ふん、そうですか。奇特な方もいたものだ」

閉鎖的。
排他的。
それから、阿坂に対しての敵意のようなもの。

「そんなに牽制なさらなくても、出来るだけお邪魔にならないようにしますから」
そんな言葉を返しながら。

――――何かが、変だ。

確信に近い気持ちでそう思った。




阿坂はそのすぐ後に戻ってきた。
「失くすなよ」
そう言って俺にブルーのカードを渡す様子を見て、白衣の男が薄笑いを浮かべた。
「ドクター、そちらはどういったご関係の方です?」
さっき俺に「友達か」と尋ねておきながら、阿坂にも同じ質問をする。
チラリと受付嬢に視線を投げると、「ほらね」という顔。
彼女の言ったとおり、ここには阿坂が天使に見えるくらい嫌な性格のヤツがゴロゴロしているんだろう。
「個人的な知り合いだ」
年上の男に対してさえ相変わらず偉そうな口調だったけど、怒っている様子もない。
こんなにあからさまに何かを疑っているような聞き方をされても普通に答える阿坂は案外大人なのかもしれない。
「彼からは『ご友人』とお伺いしましたが」
なぜそれに拘るのかはわからない。
でも、コイツにとっては何か特別な意味があるんだろう。
「だったら?」
阿坂はいつもの無表情。
そして、多分、白衣の目には馬鹿にされたように映っているのだろう。
「いえ、珍しいこともあるものだなと思っただけですよ」
苦い笑みを浮かべる口元に、やはり底意地の悪さを感じたが、阿坂はまったく動じることもなく、「会話をする気なら全て日本語にしてくれ」と言っただけだった。
思い返せば昨日からずっと阿坂に嫌われているはずなのに。
でも、それは間違いなく俺への配慮。
過ぎ去った過ちには寛容な男なんだろうか。
それとも、最初から悪気なんてなかったんだろうか。

―――でも、わざと遠いインフォメーションを案内したんだぞ?

どっちが本音なのだろう。
何度考えてみても掴めなくて。
俺の中ではまだ本当の阿坂を決めかねていた。


白衣の男はずっとジロジロと俺を見ていたが、新しいカードが出来上がるとまた意味深な笑いを浮かべて「それでは、後ほど」と告げた。そして、
「このまま彼について歩けば普通は誰も見に行かない死体の見学ができますよ」
そう言い残してどこかへ行ってしまった。
「なんだかなぁ……ここって、もしかしてああいうのが多いのか?」
すっかり見えなくなってから尋ねてみたが、阿坂はその質問には答えなかった。
その代わり、
「研究所内の会話は国籍および人種にかかわらず基本的に全部英語だから気をつけろよ」
そんな説明をした。
「ってことは、相手が日本人でも話しかけたら英語しか返ってこない可能性があるんだな」
二日目だというのに俺の耳はまだ英語に慣れてくれず、少しでもぼんやりするとすべてが脳を素通りする始末。
そんなわけで、「全部英語」の一言に大きく失望したが、ため息をついた時、阿坂が思いがけない言葉を口にした。
「心配しなくてもここにいる間の通訳くらいはしてやる」
「え……ホントに?」
阿坂の場合、実は言葉遣いが偉そうなだけで、中味は案外いいヤツという線もありかもしれない。
だとしても、人格形成が失敗していることに変わりはないんだが。
「な、英語がわからないって以外でも質問していいのか?」
白衣の男が口にした「死体の見学」。
その言葉が引っかかっていたから、早めに理解しておこうと思ったのだが。
「研究用にデータを提供してくれていた患者が死んだということだろう」
あっさりとそれだけ言われて。
「あ、そう……なんだ」
そんな簡単に言うなよなと思いながら頷いたら、なんでもないことのように「一緒に来るか」と聞かれた。
「……いや、俺は……ってか、あの白衣のヤツも『普通は行かない』って言ってたし」
阿坂だけなんでわざわざ見に行くのか。それを追求したら、
「個人的な趣味だ」
当たり前のようにそう答えられてしまった。
「……ふうん」
俺の住む世界とは違うせいなのか、なんだか激しく疲れるんだが、こういう業界の人間なのだから仕方ないんだろう。
なんとなく、うちの社のオタクな先輩を思い出すが、研究者なんてある意味マニアでなければ務まらないだろうし。
死体の見学に同行させてくれようとするのだって、本当は阿坂の厚意なのかもしれないし。
まあ、その辺は俺にはなんとも言えない。
というか。
……理解できない。

なのに。
「責任者を呼んでくるから、中で待ってろ」
「ああ……うん」
一歩前に進むたび、確実にここに引き込まれているような奇妙な錯覚が、今、俺の中を占領していた。



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