X-10
(エクス・テン)

<7>




重々しいドアを開けると、中はかなり金がかかっていそうなことを除けばごく普通の応接室。
客を待たせる場所としても適当だ。
そんなことを考えながら、ぼんやりと辺りを見回していたら、背後からノックの音が聞こえた。
入ってきたのは紳士を絵に描いたような中年の男。日本人だとは思うが、「ようこそ」以下の儀礼的な挨拶は流暢な英語だった。
おそらく40代半ばくらい。それでもここの責任者というには若すぎる年齢だろう。
「君が理志の――――」
お天気レベルの前振りの後で男が発した問いはそこで切れた。
つまり、阿坂はコイツにも俺を「友人」と紹介したのだろう。
ドア口に立ったままの阿坂は何も言わずに顔を背けていた。
「八尋と申します」
少々の引っ掛かりを感じながらもそう挨拶した。
もちろん英語だったが、これといって失礼な言い方なんてしなかったはず。
なのに、答えた瞬間、教授と呼ばれる男はわずかに眉を寄せた。

俺の言い方がどうという問題ではないのだろうと気付いたのはその少し後。
男がまるでひとり言のように呟くのを聞いたからだった。
「そうか。理志の……珍しいな、おまえが友達を連れてくるなんて」
そう。
受付で会った白衣の男と同じように、コイツが疑っているのも俺と阿坂の「友達」という関係。

仮に研究所の中では「性格の悪いヤツしかいない」という理由で友達と呼べる人間を作らなかったとしても、大学に行っていたはずの阿坂に友人が一人もいないなんてことはないはずなのに。
「それで……理志は君に失礼な態度を取ったりはしていないんだろうね?」
ソファを勧められて腰を下そうとした時、男が冷ややかな目で尋ねた。
「え?」
失礼と言われれば、阿坂は全体的にわりと失礼な部類だとは思うものの、だからと言って気分を害するほどでもない。
頭の中で言葉を選んでいたら、男が焦れたように畳み掛けた。
「面倒になると口を利かなかったり、何も言わずにいなくなったり。そんなことは?」
なんだか尋問されているような妙な気分だった。
「いえ、別に―――」
それだけで口を閉ざしたのは、この男に対する反発の気持ちがあったからだろう。
その間、阿坂は何一つ聞いていないような顔でサイドテーブルに置かれている時計を見ていた。

突っ立ったまま。
普段以上に感情のない目で――――

「理志も座りなさい」
そう言われてやっと阿坂は俺から一番遠いソファに腰を下す。
スラリとした長い足を組む仕草は女性誌にはうってつけで、いい感じにサマになっていたが、無表情ぶりに変わりはない。
「理志、自分の友達なんだろう? そんな態度では失礼じゃないか」
教授が笑いながら注意をしても「そうですか」と上の空で返すだけだ。
「まったく……もっと厳しく躾けるべきだったな」
その言い方が、まるっきり駄々っ子に手を焼いているかのようで。
しかも、「いつもこんな態度だから困るのだ」と言わんばかりの表情で――――

「……別に、失礼ないことなんてないですよ」
フォローのつもりでそう言ったが、何を答えても腹の奥を探られているような気分にさせられる。
「そうですか。だったら、いいんだがね」
この目と、口調と、まとわりつく嫌な空気。

この男が入ってきた時から気になっていた。
教授と研究員というなら、表面的な位置関係は上司と部下。
信頼関係があれば、お互い言葉にしなくても通じる部分はある。かえって多少素っ気ない対応をすることもあるだろう。
編集長だって俺のことを「行上」と呼ぶことがあるから、「理志」とファーストネームで呼ぶことがどうこうと言う気もない。
だが、明らかにニュアンスが違う。
教授からは、「母親が亡くなってからは私が親代わりでね」と説明があったが、それも俺の耳にはまるっきり取ってつけたように聞こえた。

親子とは愛情の方向が違う。
束縛とか、所有欲とか。
そんな種類の感情さえ伺えるほど、不自然に歪んで見えた。
まるで、年の離れた恋人。
いや、あるいは。

――――そんな正しい愛情ではないのかもしれない。


世間話に紛れて、俺の身元を問う。
日本で育ったこと、大学を出て今は小さな会社で雑用のようなアルバイトをしていること。
「提携先の日本企業の担当者から就職が厳しいという話は聞いていたが、本当に難しいようだね」
「そうですね。もう少しいろいろと勉強をして、それから―――」
注意深く言葉を捜す。
できるだけ曖昧に、そして当たり障りのない答えを返すために。
マスコミ関係の仕事をしていること、それから、阿坂と出会ってまだ二日目だということはあえて隠した。
「理志は研究熱心で大学時代もラボに籠もりきりでね。そのせいか同じ年頃の友人との交流が少ないようで心配していたんだが」
そんな話をして。
それから、「我が侭な子だが、仲良くしてやって欲しい」と言うような言葉があった。
口先だけの社交辞令。
それは判っていたが。
「じゃあ、今夜、二人で酒でも飲みに―――」
わざと気づいていないフリをして誘いをかけると、やはり即座に却下された。
「残念ながら、理志は幼い頃から体が弱くてアルコール類が苦手なのでね」
口元にいかにも作ったような微笑。
その裏側は、『社交辞令とも気づかず調子に乗ってそんな誘いをするなんて図々しい』ということなのだろう。

――――……親代わりがこれじゃ、阿坂の性格だって悪くなるよな。


そんな気持ちのもっと奥。
かろうじて自分で意識することができる場所で、言い様のないざわめきを感じていた。
たとえば、手塩にかけて育てた阿坂を本当の息子以上に大切にしていたとしても、同性の友人を遠ざける必要なんてないはずなのに。
何よりも。
「それで、理志。例の取材の申し込みという雑誌社からは連絡はあったのか?」
「いいえ。何も聞いておりませんが」
親代わりであるはずの男に阿坂が少しも好意を持っていないのは明白で、それが真っ当な関係ではないことを裏付けていた。
「まあ、いいだろう。どうせ広報から連絡がくる。その時は適当に断っておきなさい。こちらの意向に従わない相手なら、マニュアル通りに対応しておきなさい」
「わかりました」
感情のない冷たい言葉のやり取り。
その間も、阿坂がこの男の顔を見ることはなかった。


結局、俺はあくまでも阿坂の友人として館内の「見学」をさせてもらえることになった。
おそらくは責任者であるこの男の承諾がないとそれさえ許されないのだろう。
「ありがとうございます。お邪魔にならないよう十分に配慮いたしますので」
簡単な礼を述べる俺を見下ろすような目線のまま頷いて、男は席を立った。
その後、また微妙な声色で阿坂を呼びつけ、俺には「君はもうしばらくここに」と言い残して、二人で部屋を出て行った。



「なんだよ、アレ」
仲睦まじい親子とか、そんな空気は全くないのに、なぜかわざと見せ付けられているような気がした。
金のかかった応接室の、これまたやけに高そうなソファの真ん中に踏ん反り返って天井から壁から掛けてある絵画から全てを眺めてみたが、わかったことといえばこれがあの教授という男専用の応接室だということくらいだ。
アンティークなディスプレーキャビネットに並んでいた盾やトロフィーに刻まれているのは部屋の主の名前。
「少なくとも紳士のすることじゃねーな」
もっとも、こんなものが飾られていなかったとしても、自己顕示欲が強いってことはありありとわかるタイプだ。
その隣には数枚のフォトフレーム。
おそらくは自分のラボのメンバーなのだろう。どれも真ん中があの男で、気さくさを装った笑顔がむしろわざとらしく見えた。
そして、そのどの写真の中にも阿坂はいなかった。
仕事上は所属が異なるのかもしれない。
だが、本当に「親代わり」なら、並んで撮った写真の一枚くらい飾りそうなものなのに。
「……なぁにが、『仲良くしてやってください』だよ。おまえがブロックしてんじゃねーかよ、このタヌキオヤジが」
誰もいないのをいいことにガラスを軽くグーで叩いてみたが、その瞬間、背後から人の気配がして、あわてて振り返ったら阿坂が立っていた。
「ここではひとり言は口に出さない方がいい」
そう言いながら、ピシッと指先で弾いたのはサイドテーブルの上に置かれた時計。
正確に言うなら、時計のネジを装った不自然な黒い突起だった。
「……ああ、そう。それって―――」
なんとなく含みを感じるとか、そういうレベルでもない。
「常にチェックしているわけじゃない。だが、会話は記録されている」
はっきりとそんな言葉が返ってきた。
「そういうの、部外者にしゃべっていいわけ?」
「必要なら」
応接室にそんなものが置いてあるというのは、いったいどういう意図なのだろう。
「ここってそんなに怪しいヤツの出入りが多いのか?」
それに対して阿坂からの返事は「さあ」の一言だけ。
回答を避けたのか、本当に判らないのかはその表情からは読み取れない。

ただ、次の瞬間には目線で外に出るように促されて、俺も無言で後に続いた。
廊下に出て、ドアが閉まった時、阿坂の表情が少し和らいだように見えたのも気のせいではなかったと思う。

――――なんか、嫌な所だな……

失敗作であるはずの阿坂がやけに普通に見えて。
それから、受付嬢が同じことを言っていたのを思い出した。



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