X-10
(エクス・テン)

<16>



                                         - vol.2-


翌朝、まだ少しダルそうな阿坂に「じゃあ、また夕方に」と言い残して部屋を出た。
もちろん全行程を歩いて帰ったわけではないのだが、少し頭を冷やしておこうとバスを途中下車したせいで、ホテルに着いた時にはもうすぐ昼という時刻になっていた。
「取材の件、早く編集長に相談しないとな」
今から電話をしても『報告が遅い』と言われるのは分かっていたので、どやされる覚悟をしてからホテル一階にある個室タイプの公衆電話で連絡を入れた。
「……で、とにかくタヌキオヤジと助手のガードがすごくて、阿坂個人の取材はかなり厳しいんじゃないかと―――」
今朝、阿坂の部屋を出るまでの出来事のうち、仕事に関係している部分だけをざっと話して一呼吸入れた。
編集長は終始『ふうん』、『へえ』、『ほう』とまるっきり気のない頷きを繰り返していたが、こちらの言葉が途切れると、笑いを含んだ声で聞き返してきた。
『で、それは、取材対象に恋心を抱いてしまったので、マトモな取材ができそうにありませんっていう言い訳なのか?』
いったいどういう思考回路なんだ、と冷静に文句をつければ良かったのだが、
「違いますよっ、何言ってんですか。俺、ひとこともそんな――――」
気がついたら、焦りまくって弁解めいた言葉を並べたてており、これではますますオヤジの思うツボだと気付いた時にはもうすっかり手遅れ。
『怪しすぎるな』
面白がっているのがアリアリと分かる声が耳の奥にムカつくほど明るい音で響いた。
それでも阿坂の上司であるタヌキと比べれば、この能天気さのほうが何倍もマシだ。
そう思い直してグッと堪えたのに。
『ホントになぁ、閉鎖された空間って怖いなぁ。まさかおまえがねぇ……』
勝手に決めつけた挙句、いかにも他人事風味の暢気な声が脳内を抜けていく。
「だから、違いますって。何度言えば――――」
多分もうどんなに弁解しても無駄なんだろう。
電話を切った30秒後には、俺が異国の地で道ならぬ恋に走ったというのが定説になっているに違いない。
『で、八尋。今夜は楽しいおデートなんだろ?』
若いっていいよな、などと言いながら頷かれても返す言葉がない。
能天気オヤジの脳内では、もはやそういう前提でしか話は進まないのだろう。それだけははっきりと判ったものの。
『いきなり押し倒すなよ』なんていうありえない注意をするヒマがあったら、もっとマトモなアドバイスをしてもらいたいものだ。
「デートじゃありません。なんでそうなるんですか。さっきから言ってるように、ただ一緒に食事をどうかって、阿坂が言うから……」
これだって事実だけを正確に伝えているつもりなのに、電話の向こうではやはりニヤニヤ笑いの気配が濃厚に漂う。
『ま、せいぜい仲良くしておけよ。できることならそのまま飛行機に乗せて日本に連れてきてもらいたいところだが。……もっとも相手は天才科学者様だから、おまえ如きに口説き落とされるとも思えないしな。むしろ遊ばれてるんじゃないことを祈ってやるよ』
ボケッとしてると騙されるぞ、などとまたあり得ない注意が飛んできて。
「阿坂は絶対にそんなこと――――」
反射的にそう叫んだら、今度は思いきり笑い声が。
『おまえがそんなに入れ込むとはねえ。科学者殿はそんなにいい男なのか? 美人タイプか、それとも可愛い系か? おまえに限ってイカツイ男にグッときたなんてことはあるまい?』
……本当に、何と言うか。
業務連絡のはずが、からかわれ放題。
取材対象としてできるだけ客観的な事実だけを伝えたいところだが、阿坂の容姿をどう形容したらいいのかわからず、少し口ごもった。
「というか、背格好も俺と同じくらいでおよそ可愛いって感じでもないし、それ以前にそういうのとは根本的に違うんだってさっきから何度も――――」
もっとも、仕事は同僚に妬まれるほどできるようだし、受付嬢たちの興味も引きまくり、助手も教授もガードしまくり、ついでにおばちゃんにも可愛いと言われるくらいだから、人間として魅力がないのかというとそういうことではないと思うのだが。
「あと、顔は……前髪が長くて寝てる時でもないと良く見えませんでしたけど、何て言うか、表面的な部分の性格の素っ気無さがそのまんま出てるって感じで、あえて美醜を問うなら『普通』だと―――」
それだって自分としては正直な印象かつ、かなり事実に即した説明だったと思うのだが、オヤジは笑いを堪え切れていないわざとらしいネコ撫で声で、「惚れた相手なんだから、少しくらいはノロケてもいいんだぞ」とわけのわからない寛容さを見せた。
「だから、それについてはもう何度も――」
実は俺の話なんて最初から全く聞いてないんだろう。
それは判ってる。
だが。
『おまえと話していると埒が明かないな』
「……それはこっちのセリフです」
そして、また話は振り出しに戻るのだった。


こうしてさらに十分ほど不毛な会話をした後、ようやく仕事の話に軌道修正。
『とにかく今日こそ写真を用意しろよ』
それは最初の指示と変わらないので俺も「わかっています」と返事をしたが、当初は「アイドルショット」という注文だったそれはいつの間にかすっかり条件が変更されていた。
『顔でも体でもいい。目立つ特徴があったら、それがハッキリ分かるようなものを撮ってこい』
ホクロとか古い傷とかそういうヤツだ、と付け足されて、「そんな写真を何に使うんだ」と思うより前に、
「顔にはもちろん、体にも特に目立つようなものは――――」
そう答えていた。
しまった……と思ったのは電話の向こうの空気が変わったことに気付いた後。
そして、案の定。
『なんだ、実はちゃっかりヤルことやってたのか。案外手が早いんだな』
ヒューッと口笛を吹かれて。
しかも、『なになにユキウエったら、もう挿れちゃったのぉ? うそー、やぁらしぃ。身のほど知らず。信じらんなぁい』という声まで聞こえてきた。
「……んなわけないだろーよ」
そう。
仕事に関係ないからとその部分を端折ったのが間違いだったのだ。
「ラボで揉めたっていうから、ちょっと手当てをしてやっただけです」
そんな説明をしたところで。
『本当にそうだとしても、体の隅々まではチェックしないだろ』
もう全然信用されてないわけだが。
「っていうか、阿坂が正直に全部の傷を申告するとは思えなかったし、それに薬品がかかったとかで衣服があちこち焦げてたから、どうせ脱がせないといけなかったし……でも下着は」
しかもまだ話し終わってないのに。
『ふーん、それでそのまま我慢できずに押し倒したってか。やるなあ、おまえも』
……本当に埒が明かないと思う。
電話代だって安くはないんだから、用件だけ遣り取りして早々に切ればいいのに。
「俺の言ってること、正しく理解してますか?」
もはや編集長も電話をスピーカー状態にしている外野も誰一人聞いてはいないだろうという確信があったが、そのまま肯定した状態になるのは悔しいので、気が済むまで事実を述べておいた。



ようやく全ての確認が済んで受話器を置いた時には30分以上が経過していた。
「この通信費用を俺の滞在費に回して欲しいもんだよな」
電話を切ってから文句を言っても仕方ないのだが、どうしても言わずにいられない。
とりあえず、この先のことについては編集長が『強力なコネ』とやらを使って根回ししてくれることになったので、月曜からの取材についての心配はいらないと言われたものの。
「……なんで俺が『放蕩バカ息子設定』なんだよ」
能天気オヤジが言うには『研究所に一番デカイ仕事を回している企業重役の親戚って設定でGO』だとかで、後からこっちに送信されてくる嘘の履歴まで頭に入れなければならないハメになった。
なのに。
『おまえなら世間知らずの放蕩バカ息子を地で行けるから心配するな。ま、ちょっと貧乏臭いのが難点だがな』
絶対に褒めていないと思われる言葉と高笑い。
それだけでも生ぬるい気持ちは倍増していたのだが、さらに引っかかったのは電話を切る直前にオヤジから下った「ついで」の指令だった。
『ああ、一個言い忘れた。今夜のデートの時にでも阿坂のオヤジさんが失踪前に研究してたウィルスのことを聞いてこい。……まあ、失踪当時4つとか5つだった科学者殿は何も知らないって可能性が高いがな』
それと同型のウィルスが現存しているのかという問いに対して、阿坂が確信を持って『YES』または『NO』と言えるなら、その返事だけで俺の借金をチャラにしてやるというものすごく怪しげな話だった。
ただし、その話に興味を持っていることは阿坂以外には絶対に知られるなというおまけつき。
「やっぱ、それってヤバイ仕事ってことじゃ……?」
不安げな俺の問いに対して、オヤジからの返事は『そんなことはない』という一言だけ。
しかも。
『世界平和に貢献できるかもしれないから、まあ頑張れ』
励ましのような、バカにされているような、判断のできかねる微妙なラインの言葉をかけられ、
「……わかりました」
溜め息をつきながらも渋々そう答えた。



「あー、もう、なんだかなぁ」
編集長が存在の有無を知りたがっているウィルスは『ナイン』という名前。
阿坂の父親が行方不明になる直前に研究していたものだが、当時からして実在していたものなのか分からないという不確か極まりない情報だった。
しかも、当時のことは関係者の間では『何がなんでも隠蔽したい情報』らしく、専門家経由だと却って調べにくいのだとか。
「つーか、胡散臭ぇ……」
しかも、手に入れた情報は記事にはせず、どこかの研究機関にそのまま売り渡すらしい。
たったそれだけの情報で100万からの借金がチャラになるなんて、法的にヤバくはなかったとしても怪しい仕事には違いないだろう。
「阿坂の身辺を売るようなことにならなければいいんだけどな……」
そんなことを考えながら、少し憂鬱な気分でロビーを後にした。



自分の部屋に戻ってベッドに荷物を置くと、電話のランプが点滅していることに気付いた。
ボタンを押してみるとフロントからで、「伝言をお預かりしておりますので内線0番に」というメッセージが入っていた。
「……ああ、阿坂か」
今朝、別れ際に「後でホテルに電話する」と言われたことを思い出しつつ、フロント直通の番号を押すと、『18時30分。パーク・アルファ』という、「短いにもほどがあるだろうよ?」と思うようなメッセージが伝えられた。
「あのさ、『パーク・アルファ』って何のことかわかる?」
ホテルマンに聞くのはどうかと思ったが、答えはあっさりと返ってきた。
『当ホテルの二つ隣りのレストランがそのような名前ですが』
「ああ、そうなのか。ありがとう」
そこで待ち合わせをしようということなんだろう。
「……素っ気ないっていうか、阿坂らしいっていうか」
それがどうっていうわけじゃなかったけど、
「阿坂って友達とメシ食ったこととかデートとかしたことがないのかもな」
なんとなくそんな気がして少しだけ笑ってしまった。

―――……まあ、いいか

楽しい夜になればいい。
その時はただ少し浮かれた気分でそんなことを思った。



Home   ■Novels   ■X-10 Menu      << Back     Next >>