X-10
(エクス・テン)

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                                        -vol.3-

15分後、俺と阿坂は近くのホテルの一室にいた。
静かに話せる場所がいいという相手の指示で、わざわざそのためだけに部屋を取ったのだ。
ということは、相当込み入った話なんだろう。
そんな予想の元に、
「けど、阿坂のお父さんの話なら俺はまるっきり部外者だろ? ここにいてもいいのかな」
やっぱりまずいんじゃないかと尋ねてみたが。
「いや、別に問題は―――」
それまでごく普通に時計を眺めていて、いつもと全く変わりなく見えた阿坂の声は少し掠れていて。
本当は動揺しているんだってことにやっと気付いた。



フロントからの電話の後、現れたのはスーツ姿の男二人。
警察っぽくないなと思った俺の顔色を読んだのか、一人が「テロ組織などを調査する専門セクションなのだ」と説明した。
その後で俺と阿坂の間柄を聞いたが、「部外者は席を外して欲しい」というようなニュアンスはなかった。
「座って話しましょうか」
年配の男に促されて、俺と阿坂はベッドに、男のうち一人はデスクの前の椅子に腰掛けた。
そして、言い出した本人は傍らに立ったまま、座っていた男に目配せをした。
「では、始めましょう。どうか落ち着いて最後まで聞いてください」
いかにも良いニュースではないことを匂わせる前置きの後、阿坂の父親がテロの疑いのある組織に監禁されていたらしいこと、それから、先月死んだかもしれないことが告げられた。
「そうですか」
阿坂の声はもう戻っていたが、顔はいつも以上に無表情で、俺の目にはむしろ感情の揺れを無理やり隠そうとしているようにさえ映った。
それがなんだか痛々しく思えて。
「阿坂、」
そっと手を握ったが、「大丈夫だ」という返事があっただけ。
その表情が緩むことはなかった。
座っていた男も少し気の毒そうに口元をゆがめたものの、その後も事務的に話を続けた。
「遺体は発見されていません。ですが、組織の人間と名乗る男が殺したと自供しています。隠れ家だったという場所には阿坂教授の物と思われる血痕とレポート、それから自筆のメモが――――」
筆跡鑑定は済んでいて専門家はまず本人のものに間違いないと言っていること、大学や研究所には何度か連絡が入っていたらしいということなどが次々と伝えられた。
その間、阿坂は頷くことさえせずにただ黙って聞いていた。
でも、話が一区切りつくと、やはり温度のない表情のまま尋ね返した。
「レポートはどんな内容だったのですか?」
それも、父親の生死よりもそっちが気になって仕方ないと言わんばかりだった。
「レポートですか……それについてはまだお教えすることができませんが、こちらの調査が済み次第、専門家のご意見をお聞きすることになると思いますので、その時に貴方にもお見せできると思います。他にも何か気になることがあれば―――」
相手の顔色を探りながら言葉を選ぶ男に対して、
「いいえ。遺体が見つかったら連絡してください」
まるで何も感じていないかのような顔で、そんな言葉を返した。
初対面の男の目にそれがどれほど冷たく映ったのかは言うまでもなかった。
少なくとも自分の父が死んだかもしれないという時の態度ではないと思ったのだろう。
それまで傍観していた年配の男が口を開いた。
「今度はこちらから少しお聞きしたいことがあるのですが」
そう言った後で俺の顔を見て、
「申し訳ありませんが、下のカフェにでも―――」
そこで初めて席を外すよう依頼があった。

「じゃあ、終わったらまた来るから」
阿坂の肩をポンと叩いて立ち上がる。
その視線がこちらに向けられることはなかったが、阿坂は軽く頷いてから「また後で」と英語で返した。



男たちが俺を呼びにきたのは、それから20分ほど後。
「後ほどまたドクターをお借りします」
そう言い残して去っていった。
「……俺はついてくるなってことか」
そりゃあ全くの部外者だけど、とか、阿坂が大丈夫ならそれでもいいんだけど、とか。ぶつぶつ文句を言いながら部屋に戻ると阿坂は何かの書類のようなものを眺めていた。
「大丈夫か?」
心配になってそう聞いたのに、阿坂はいきなり俺に紙幣を渡して、
「部屋代だそうだ」
それだけ言うとまた手元の紙に目を落とした。
「ふうん、じゃあ、俺、今日ここに泊まろうかな」
とりあえず一泊分の金が浮いたな、と暢気に喜びながら、何気なく阿坂が見ていたレポートを覗き込んだ。
だが、その瞬間に呼吸が止まった。

並んだ日付の中にあったのは見覚えのある文字。
黒い痣の広がる手の写真の裏にあったのと同じ。
そして、今も俺のアパートに放置されているはずの封筒のラベルにも書いてあった。
Sなのか、1なのかよくわからないような、あの――――

「阿坂……これって、もしかして阿坂の父親の字なのか?」
「ああ」
問題の文字を含んだ行のすぐが「4.18」、下が「4.20」。
上に西暦が書いてあることからしてもこれが日付だと言うことは明らかで。
当然、その間にはさまれているのは「4.19」。
つまり、俺が読めなかった文字は「9」だ。

写真の裏の文字。
あれは研究所にあったものだから、それが阿坂の父親の文字でも別に不思議はない。
だが―――

「八尋」
「え……ああ、何?」
どういうことなのかまったく分からず、グルグルとあまり役に立たない思考が空回りしていて、声をかけられても返事さえまともにできなかった。
なのに。
「一度研究所に戻る」
「え?」
向こうにどんな調査が入ってるのか気になるから、と言って見ていた紙をポケットにしまうといきないり立ち上がって。
「あ……ちょっと、待……」
状況の整理ができないまま呆然としている俺を残して、今朝揉めたばかりの仕事場に戻ってしまった。


「……ってか、俺は置き去りかよ」
部外者だからな、と自分を納得させる間にも頭の中にあの文字が巡っていく。
「うーん……ってことは、あの紙袋のラベルも『9』だったのか?」
それとも似ているだけで別の誰かが書いた全く違う文字なんだろうか。
もちろんその可能性もある。
だが、あれはウィルス研究の資料として送られてきたのだ。
無関係と思う方が難しかった。
「ビデオは加地さんの持ち物。それは間違いないとしても……」
マニアらしくコレクションの一つとしてネットか何かのルートで入手したのか。
あるいは。

――――関係者、なのか……?

このまま部屋にいても気ばかり焦って落ち着かない。
「とりあえず編集長宛に電話して、加地さんの居場所を―――」
部屋を転げ出ると、何かに駆り立てられるように一階の公衆電話へ向かう。
無性に気が急いて、エレベーターを待つ時間さえもどかしく思えた。


ズラリと並んだ電話は全て個室で、ガラスには色が入っており、中にいる人間の顔さえ良く見えないほどだったが、その3つ目を開けようとした時、隣のブースにいた男に脳が反応した。
まだ記憶に新しい。
目深に被った帽子と姿勢の良くない後ろ姿。
それは間違いなくさっき公園で見かけた男だった。
「加地さん、ですよね?」
まだ少し息を切らせたままドアをノックして声をかけると男の背中がビクッと跳ねた。
「驚かせてすみません。八尋です。編集部でバイトをしてる―――」
恐る恐るといった様子で振り返った顔は俺を見ると明らかに安堵の色を浮かべた。
「あ、ああ、八尋君か。久しぶりだね。今、編集長と話を……」
最初に会った時から挙動不審で、何も今に始まったことではないのだが、やはり何かやましいことがあるんだろうと思わずにいられない。
「ちょっと時間もらえますか? 加地さんが持ってた資料についてお聞きしたいことがあるんです」
どうしても確かめなければ。
そんな気持ちに押されて詰め寄ったせいか、加地さんは狭いブースの中であとずさりしながらも少しだけ笑って、
「人目がなくて落ち着いて話せる場所だったら」
そう答えた。



「へえ、ここに泊まっているのか。いい部屋だね」
部屋に入るなりキョロキョロとあたりを見回しながら、慣れた様子で盗聴器の類がないかをチェックし始める。
オタクなのはウィルス関連だけじゃないんだろうかとあらぬ疑いを抱きながら、せっせと動き続ける背中に向かってさっきまでここに警察がいたことを話した。
「ああ、そうか。阿坂教授の件だね」
どうやらそんなことはとっくに知っている様子で、
「でも、まだ死んだって確定したわけじゃないから、もう少し情報が集まるのを待ったほうがいいね」
頷きながらそんなことを言った。
そんな話をしながらも気が済むまで部屋を確認し、その後、一仕事終えたようにふうっと息を吐きながらデスクの前の椅子に腰を下した。
「じゃあ、まずは何から話そうかな」
俺が今こっちにいる理由とか仕事の内容とか、最初にそのあたりの説明をしておこうかと思って口を開いたが、
「ああ、それは大丈夫」
全部承知しているから説明する必要はないと言われた。
単におしゃべりな能天気オヤジから色々と聞いているせいなんだろうと思ったのに。
「八尋君はA型だったよね」
次に言われたのがそんな言葉で。
「へ?」
その後。
驚いている俺に「ごめんね」と申し訳なさそうに謝る加地さんを見て、やっと気付いた。
「もしかして、最初から全部仕組まれてたとか……?」
口に出して確認するまでもなかったけど。
「『黒い髪で黒い目で、理志君と同じ年、同じ背格好、同じ血液型で視力の良い子』……一応、全部当て嵌まっているっていう流れで、ついね―――」
もう一度「ごめん」と謝られ、返す言葉も見つからなかった。
「でも、僕は最初から教えておいた方が何かと都合がいいんじゃないかって言ったんだけど」
それじゃ面白くないから、と編集長が笑い飛ばしたらしい。
「……あのオヤジ」
実際、全ては企み通りに運んでいて、そう思うと余計に悔しかったんだが。
「でも、本当に彼の予想通りになるなんて思ってなかったよ」
資料も見ていたんだから途中で気付くと思っていたとまた笑われて。
「……難しそうだったから、中味までは見なかったんですよ」
それは嘘じゃない。
けど、たとえ見ていたとしても気付いたかどうか。
「っていうか、なんでわざわざ阿坂とごく自然に親しくなって友達として日本に連れて来るなんて回りくどいことを……」
もっとも阿坂の性格からすると、興味のない相手からの誘いなんて何の遠慮もなくあっさりきっぱり断って「じゃあ、さようなら」って気はするが。
「うん、まあ、それは社に戻ってからゆっくり話すよ。それより―――」
理志君と父親の事を知りたいんだよね、と言われて、俺もやっと本来の目的を思い出した。



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