その後もポツポツと当時の話をして。
間に何度も沈黙して。
そんなことを繰り返した後。
「八尋君は……これからどうするつもりなのかな、その……理志君とのこと」
加地さんがひどく聞きにくそうな様子で俺に尋ねた。
遠慮してくれてるんだとは思うが、なんだかやましいことをしている気分になるから、できればあの能天気オヤジくらいサックリ聞いて欲しいものだと思いつつ苦笑い。
「どうするっていうか……まだ、あんまり考えてないですけど」
でも、とりあえず「一緒に暮らそう」とは言ってあるのだと告げたら、露骨に「え?」という表情をされてしまった。
「まだ返事はもらってませんけど。っていうか、そんな顔しなくても」
そりゃあ、知り合ってまだ数日しか経ってないヤツが言うセリフじゃないとは思うけど。
「俺もまだあんまり阿坂のこと知らないし、もちろん向こうだって俺のことなんて何にも……でも、そういうのが後から分かるのも楽しいんじゃないかって―――」
なんだか照れくさくなって言い訳をし始めた時、加地さんは首を振った。
「いや、そうじゃなくて……僕らが心配するようなことじゃなかったんだなって思っただけなんだ」
「え?」
『僕らが』と言うからには。
当然加地さん以外の誰かがいるわけで。
「それって」
問い詰めるまでもない。
加地さんはすぐに白状した。
「もし、理志君が他の場所で働くことになっても、環境が変わったらまた精神的に不安定になるだろうし、その時に支えてくれる人は必要だよね……って話で」
ついでだから俺が一緒に住んでくれるといい、なんてことを編集長と話していたらしい。
そんなことまで企んでいたとは露知らず。
けど、すっかり能天気オヤジの術中にはまっている俺。
それもまた悔しい気はしたが、加地さんが本当にすまなそうな顔をするから、文句を言う気にはなれなかった。
「……本当のことを言うとね、最初に編集長からこの話が出た時に、僕はもうどこかで八尋君に期待してたと思うんだ」
自分の罪悪感を他の誰かに軽くしてもらおうなんて身勝手なのは承知していたけど。
それでもやっぱりずっと阿坂のことが気になっていたから、と。
「理志君はちょっと変わってるし、うまく付き合うのは難しい子かもしれないけど、でも、八尋君ならいい友達になれるんじゃないかなって思ったんだよ」
そう言ってから、なぜか「ごめんね」と謝った。
「別に、加地さんが謝るようなことじゃ……それに俺は阿坂と会えてよかったと思ってるし。第一、ちっとも難しくないですよ」
まあ、少し変わっているとは思うけど。
「とにかく、ぜんぜん気にする必要ないですから」
そう言うと、加地さんは「ありがとう」と返してまた申し訳なさそうな笑顔を見せた。
みんないろいろと事情があるんだな、とぼんやり思いながら。
ふと目を遣った窓の外はもうすっかり夕方の気配で。
そのまま何気なく腕時計の針に視線を移すと、加地さんがハッとしたように立ち上がった。
「じゃあ、僕はそろそろ行かないと。まだ調べないといけないことがあるから」
手帳を確認する顔が急に研究者っぽく見えて、少し笑ってしまった。
「また病原菌の調査なんですか?」
奇病で死んだというニュースを聞くたびに加地さんがフラリといなくなるというのは編集部でも有名な話だったから、相当変わった人なんだろうって勝手に思ってた。
まあ、実際、変わってはいるんだろうけど。
「ここまでくるともう病気だよね」
自覚はあるらしく、少し困ったような顔で額を掻く様子が少し微笑ましかった。
15年前に研究所を辞めて、日本に戻って整形までして。
さらに婿養子に入って苗字も変えて暮らしながら、なおも気持ちはそこから離れることができないまま。
「でも、どうしても引き寄せられてしまうんだよね」
研究者の性なのかな、と言って加地さんは笑ったけど。
それを聞いた時、ふと、阿坂があんな研究所から出ようとしないのも同じ理由なんじゃないかって気がした。
「とにかく、理志君のことは編集長がいろいろ考えているみたいだから」
あまり心配しなくていいよ、と言われたものの、今ひとつ納得できず。
「いろいろって?」
速攻で問い返してみたが、返事はとても他人任せな感じだった。
「それは社に戻ってから編集長が話すんじゃないかな?」
何となく、またごまかされているような気がするんだけど。
「じゃあ、そういうことでね、八尋君」
加地さんは既に逃げる態勢で、そそくさと財布を取り出すと数枚の紙幣を抜いて俺に渡した。
「もうお金なくなる頃でしょう?」
「……あ……そうだった」
どうせ社からもらった経費だから遠慮なく使ってと言いながら、名刺の裏に携帯の番号を書いて。
それから、「頑張ってね」と申し訳なさそうな笑顔でそそくさと部屋を出ていった。
パタンとドアが閉まった後も、俺はしばらく立ち尽くしていた。
「……と言われても、いったい何を頑張れと?」
阿坂の生い立ちが分かったからと言って、それが何かの役に立つのかというと、どうやらそんなこともなさそうで。
「まあ、加地さんの気持ちは分かるんだけどな」
自分の過去を封印して生活していても、心のどこかでいつも阿坂のことが気にかかっていたんだろう。
本当なら部外者には言わないようなことまで俺に話したのも、そうすることで少しでも気持ちを軽くしたかったんだろうって気がした。
「何年もずっと気掛かりを抱えたままってのもつらいよな」
ふーっと息を吐いて、ベッドに寝転がる。
そうやって少しでも気を抜くとやっぱり阿坂のことが過ぎっていく。
あれからどうしただろう。
今、どんな気持ちでいるだろう。
「……ってか、俺も病気かもしれねー」
あまりにも気になったので、とりあえず電話を……と思ったが、よく考えたら阿坂の携帯も自宅も番号を知らなかった。
それで研究所にかけてみたのだが。
「え? もう帰ったの?」
受付から、いきなり『本日は帰宅いたしました』の返事。
電話応対をしたのが運良く例の受付嬢で、『本当は内緒なんですけど』と言いながらもこっそりチェックアウト時間を教えてくれた。
「ふうん。結構早く出たんだな。じゃあ、今頃はもう家か」
どうせ助手が車で送っていくから、もうとっくに着いている頃だろうと一人でブツブツ呟いていたら、
『エドワードなら、まだ館内にいますよ』
にこやかな声が返ってきて少し焦った。
「え……だって―――」
自宅に帰る時はいつでも送り迎えをしていると言っていたはずなのに。
『なんでしたら、彼に繋ぎましょうか? 今は自分のお部屋にいらっしゃるようですから、取り次いでも構わないと思いますし』
「あ……うーん……」
そうでなくても険悪な間柄だからな……と、迷っている間に電話はもう助手の私室に回されて。
その30秒後には、助手が阿坂の世話係を外れたことを知った。
「え、いつ? ってか、なんで?」
思わず馴れ馴れしい口調になってしまったが、助手からは冷たい声で、
『貴方がそう仕向けたのかと思っていましたが』
真正面から厭味を言われた。
いや、厭味なんかじゃなくて、助手は本気でそう思っているんだろうけど。
聞けば、今朝、阿坂本人から「もう一人でも大丈夫だから」と言われたらしい。
「あ……そう」
思い当たることはあった。
ただ、俺は「婚約者のいる奴なんてやめて他の人をみつけた方がいい」と言っただけで。
でも、どう考えてもそれが原因なんだろう。
「……悪い。やっぱ俺のせいかもしれない」
一応謝ったが『別に仕事に支障はありませんから』と冷ややかに返され、ついでに『そういう事情なので居場所については知らない』という言葉の後、すぐに電話は切られた。
「一言も返す余地なしかよ。まあ、助手と仲良くしようなんて思ってないからいいけどな」
散々文句を言った後、気を取り直して教会に電話を入れたが、やはり阿坂は不在。
「そうですか……」
思い切り落胆していたら、牧師が阿坂の携帯にかけてくれることになった。
『繋がったら、そちらにご連絡を差し上げるように言っておきますので』
俺が一方的に気にしているだけでこれといって急ぎの用があるわけじゃない。
折り返し電話をもらうのは気が引けたが、このままだと気になって眠れそうになかった。
「すみません。お願いします」
ホテルの番号を伝えてから受話器を置き、部屋で待機するためにエレベーターに向かった。
「研究所にも自宅にもいない時って、どこで何してるんだろうな」
普通に取材をしていれば、休日に何をして過ごしているか、よく行く場所はどこかくらいは聞いていたはずなのに。
「まともに仕事しておけばよかった……」
今更な反省をしていると、ふとロビーの隅に立っている人影が目に留まった。
俺がいる場所からはかなり離れている上に、こちらに背中を向けていたから顔はまったく見えなかったけど。
「……絶対そうだ」
昼間と同じスーツ姿。だが、上着はなし。
携帯を耳に当てて何か話している。
そのやけに綺麗な立ち姿にまたうっかり目を奪われそうになったけど。
「阿坂!」
思いきり走っていって肩を掴んだ時、触れた白いシャツが濡れていて。
あわててドアの外を見ると、いつの間にかどんよりと立ちこめた雲と道路にザーザーと打ちつける雨が目に入った。
「ああ、夕立か……」
そんなことに今頃気付くのも相当間抜けだけど。
「どうでもいいが、人気の多い場所で走るのはやめろ」
前にも言われたようなことをまた注意されてしまう俺ってどうなんだろう。
「わりい。……ってか、今のって牧師から?」
電話はもう切れていて。
しかも、阿坂はいつもとあんまり変わりなくて。
「八尋に連絡するように言われた」
どうやら俺が勝手に騒いで周囲を騒がせただけらしい。
「あ、うん……別に用があったわけじゃないんだけど。なんか急に心配になって」
研究所にも電話したことを話すと、少し前に助手からもかかってきたと言われた。
「あ……そうなんだ」
その時少しだけ罪悪感が過ぎったのは、多分、助手も本気で阿坂のことを心配しているんだろうってことが分かったせい。
どうでもいいと思っていたら連絡なんてしないはずだから。
――……でも、婚約者がいるってことに変わりはないもんな
小さく溜め息をつきながら視線を移す。
表情も態度もいつもと少しも変わりないのに、阿坂はさっきからずっと俺の顔を見ようとはしない。
最初に俺に頼みごとをした時がそうだったように。
きっと言いにくいことを抱えてここに来たんだろう。
それがなんとなく分かってしまって。
「おまえ、夕飯は? あ、その前に着替えた方がいいな。俺、なんか食べるもの適当に買ってくるから、先に部屋に行ってシャワー浴びてろよ。それで―――」
やたらと饒舌になる自分を感じながら、無理に笑って阿坂の背中を押した。
「食い物調達したらすぐに戻るからな」
エレベーターが来るまで一緒に待って、部屋の鍵を渡して。
「身体があったまるまでしっかりシャワー浴びろよ?」
何度もそう言ってから、隣のカフェまで走っていった。
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