X-10
(エクス・テン)

<33>




俺が目覚めたのは、6時過ぎ。
おそらく二時間も経っていないだろう。
阿坂がまだ眠っていることに少しホッとしながら、もう一時間くらい寝ようと思った時、脚が心地よいものに触れた。
「素足……ってか、なんで下着だけになってるんだ?」
チラリと毛布をめくると思いっきり肌が晒されていた。
寝た時は黒いパンツと白いシャツをちゃんと着用していたと思うんだけど。
いつの間に脱いだのか両方とも床に落ちていた。
「そりゃあ、着たままじゃ寝苦しいだろうけど」
この状態って俺にはキツイんだよな、と思いながら毛布をかけ直そうとして、ふと身体の一部分に目が留まった。

それは毛布から出た足。
窓から差し込んだ朝日が当たっていて。
編集著に報告した通り、確かにホクロもアザもない肌だったけど―――

ドクンという心臓の音と共に脳が認識したのは、指先から腿にかけて一筋の奇妙な痕。
それはゆるやかな螺旋状で、まるで阿坂の胴体を目指して這い上がっていこうとしているかのように見えた。
痣と呼ぶにはあまりにも薄く、こんなに至近距離じゃなかったら―――あるいは直接日光が当たっていなかったら、そのわずかな色の差に気付くことはなかっただろう。
「なんの痕だ……?」
火傷のような状態とは全然違う。
螺旋の部分は少し光沢があり、キラキラと光を放っているかのような不思議な色を湛えていた。
その出発点である親指の先から、そっとなぞるように手でその痕を辿ってみたが、少なくとも触って分かるほど質感の違いはない。
目を瞑って触れたなら、全く気付かないだろう。
「しかも左足だけなんだな」
右足はもちろん、腕にも胴体にも似たような痕はない。
「これって……」
言いながら、またドクッと嫌な音で胸が鳴った。

―――……アレに、似ている

確かめようとしてサイドテーブルに置かれたバッグに手を伸ばした時、
「どうした……?」
不意に降ってきた声に心臓が跳ねた。
「え、ああ、えっと」
さらにハッとしたのは、自分が今何をしているかに気付いたからで。
確かに片手は荷物に伸びていたけど。
もう片方の手は阿坂の内腿、しかもかなり股間に近い位置に置かれたままだった。
「……わりい」
空白になった脳がこの場を取り繕う言葉を捜している途中で、阿坂が面倒くさそうに口を開いた。
「感染するようなものじゃない」
もちろんそんなことは少しも心配してなかったが。
「あ……そうなんだ」
自分のしていたことへの後ろめたさのようなものがあって、そんな返事でなんとなくその場を流していた。


阿坂の話によると、その痕は皮膚組織の一部だけ代謝が遅いことが原因で出来るものらしい。
詳しい説明もしてくれたが、俺に理解できるはずもなく。
「なんかよくわかんねーけど。とにかく、痛くもかゆくもないんだな?」
とりあえず阿坂が困ってないなら、あとはどうでもいい。
生まれた時からあるというので、母親の病気とも関係ないはずだし。
ついでにタヌキオヤジはこれを見て阿坂が感染してるなんて誤解をしたんだろうと思った。
「けど、俺もてっきりそうなんだって思ったよ。だって、ほら……あ、ホテルに預けた荷物に入ってるんだっけ?」
バッグの中を散々ひっかき回した探した挙句、ようやくそれを思い出した。

まだ鮮明に脳裏に焼きついている。
指輪をした華奢な手。
あの黒い染みも同じように指先から手首を回って腕に延びていた。
まるで黒い影のように。

「俺が拾った写真と形が似てたんだ。黒っぽい染みのある手。あれってナイン・ウィルスの症状なんだろ? だから、ちょっと思い出して――――」
そこまで言った時、阿坂の顔色が変わった。
「八尋、写真はいつ、どこで手に入れた?」
尋ねた声はいつになく冷たく、そしてわずかに逼迫したものだった。
「え……」
偶然拾ってしまっただけだが、そんな言い訳が通用するはずはない。
「あー、そうなんだ。実は―――」
仕方なくあの日見たことの全部を話して聞かせた。
中庭の倉庫のこと、ファイルを持ち出した男のこと。
そして、あの写真のこと。
「落っこちてたのを拾っただけなんだけど……誰に返せばいいのか分からなかったし」
このどさくさに紛れて、阿坂の部屋に黙って入ったことを詫びようかと思ったが、そこで目にしてしまった光景が脳裏にチラつき、結局、最後まで言い出すことはできなかった。


一通りの説明を聞いた阿坂はしばらく何かを考えていたが、その後、昨日警察が研究所で何を調べていったのかを話してくれた。
その中にあの男のこともあった。
「え、じゃあ、倉庫にファイルを取りに入ったヤツって……」
「昨日から行方不明だ」
警察が来て関係者全員を集めるよう指示した時にはもう男が借りていたマンションは引き払われた後。携帯もつながらない状態だったと言った。
「そっか。なんか怪しげなヤツだとは思ってたけど……」
その後、何故もっと早く言わなかったのかとか、他に気になることはないかとかあれこれ聞かれた。
でも、阿坂が本当に心配していたのはそんなことじゃなかった。
「そんなものを持っていたら、八尋も組織との関連を疑われる。今すぐこっちに渡せ」
「だから、他の荷物と一緒にホテルのロビーに預けたままだって」
朝っぱらからずいぶん怒られ、しかもすぐに着替えて取りに行くと言われて。
「え、今すぐ?」
「そう言っただろう。五分で用意しろ」
バタバタと着替えを済ませ、慌ててチェックアウトして、荷物を預けたホテルまでタクシーを飛ばした。


車の中でしっかり領収証兼引換券をスタンバイして、ホテルに駆け込むとすぐにフロントに渡した。
受け取った荷物をロビーのソファで広げてみたが。
「あれ、おっかしいなぁ……確かに入れてたはずなんだけど」
肝心のそれはどこにも見当たらなかった。
「この荷物って、あれから誰も触ってないですよね?」
疑うのも悪いとは思いながらもフロントに確認してみると、
「ご同行の方が『バッグから必要なものを取り出したいので』とおっしゃって一度取りに見えましたが」
あっさりと肯定されてしまった。
「へ?」
そいつの容姿を尋ねると、まさしくあのジャーナリスト。
預ける時に俺の隣であれこれ話していたから、同行している友人だと勘違いしたらしい。
「何を取り出したか分かる?」
「いえ、そこまでは―――」
だが、もとより着替えと予備のノートくらいしか入っていないバッグだ。
ポケットの中までひっくり返しても確認に時間はかからなかった。
「……ヤバい、阿坂。盗まれたみたいだ」
当然だが、阿坂は呆れ果てていた。
「盗んだのが彼だというのは間違いないのか?」
「確証はないけど、他に考えられないし」
全てに対して曖昧な返事をする俺に阿坂はロコツに溜め息をついて、携帯を取り出した。
「そのジャーナリストが昨日研究所に来ていたか、来ていたなら何をしていたかを確認するから」
電話をかける相手が多分助手だろうというのはなんとなく気に入らなかったが、もとはと言えば自分のせいなので仕方ない。
「途中で口を挟むなよ」
俺に釘をさしつつ、今まさにボタンを押そうとしたその時、いきなり電子音が響いた。
電話は助手からで。
その内容は「聞きたいことがあるのですぐに出勤するように」だった。



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