X-10
(エクス・テン)

<34>




研究所はまだ一般に開放されていない時間帯。
通用口から入ってチェックを受け、中に進むと既に警察が来ていた。
「何か問題が?」
「ナイン関連の資料が盗まれました。監視用のカメラが壊されていて、今のところ盗まれた日時は特定できませんが」
詳細を聞くまでもない。
それはきっとあの日のことなんだろう。
そう思ったから警察に話しにいったがイマイチちゃんと通じず。
「ってことじゃなくて、つまり、ですね」
四苦八苦していたら、阿坂が通訳に来てくれた。
ようやく概要を理解してもらった後、別室に通され、詳細を説明した。
……もちろん阿坂の通訳つきで。
「そうですか。じゃあ、この衣服の切れ端は貴方のもので?」
切れ端と言って見せてくれたが、繊維がほんの数本束になっている程度のものだ。
だが、その色合いからして間違いなくこの間破いてしまった俺の服だった。
「多分、そうです。中庭からどうやって正面玄関に行ったらいいのかが分からなくて、外を回ったので」
荷物の中から敗れたシャツを出して見せたが、担当官はただ頷いただけだった。
雑誌記者だということも話したが、終始「あー、はいはい」という様子で、まったく俺の存在などどうでもいいような雰囲気だった。
ただ、やっぱりジャーナリストとは仲が良かったと思われているようで、あれこれ聞かれた挙句。
「それで、彼なんですがね、荷物だけ残して行方不明なんですよ」
「え?」
心当たりは、と言われたが、そんなものがあるはずもなく。
「……全く」
その返事に「こいつもダメか」という顔をしたものの、一応状況の説明はしてくれた。
「彼がそのナイン・ウィルスとやらのことをあれこれ嗅ぎ回っているということはこちらのスタッフも気付いていたのでね、ファイルを盗んだ犯人も彼じゃないかと―――」
だが、監視カメラが壊されたのは彼の到着日より前。
その時点で容疑者からは外されたらしい。
「荷物は中庭の柵の向こう側に生えている雑草に埋もれていました。一応中を改めましたが、身分証のようなものは入っていませんでね。ただ持ち物がいかにも報道関係者という感じだったもので、そうではないかと。……八尋さん、飛行機で彼とご一緒だったんですよね?」
だったら荷物をご確認いただけますか、と言われて、また別室に案内された。


小ぢんまりとした応接室に広げてあった荷物はどれも一般旅行者と変わらないものばかり。
取材道具もデータの残っていないデジカメと白紙のメモ帳、そしてペン。予備のフィルムがあることからすると普通のカメラも持っていたんだろう。
だが、荷物の中には見当たらなかった。
一つだけ見覚えがあったのは、ジャーナリストが飛行機の中に手荷物として持ち込んでいた小さめのバッグ。
端に置かれたそれを指差しながらそう説明すると、担当官は後ろに控えていた男に頷いてみせた。
「ご協力感謝します」
俺の役目はそれで終わりという意味だろうと思い、部屋を出ようとした時、大きなバッグの隣に置いてあったビニールの小袋に目を奪われた。
「……これって―――」
思わず手に取ったそれには、小さな紙切れが入っていた。
三角で厚めの紙の表側は明らかに写真で。
裏には、あの『1』か『S』かわからない『9』の文字があった。
「すみません、これ、どこに……?」
俺が拾った写真の切れ端だと告げると男はおもむろに手帳を取り出して何か書き込んだ。
その後で、
「バッグのポケットのファスナーにその三角部分が挟まっていたんですがね、その他の部分は見つかってないんですよ」
なんの写真だったかを問われ、それには阿坂が答えたが、担当官はその説明に関心を持ったらしく、詳細を教えてくれと言って椅子を勧めた。
「では、ついでにお聞きしますが、盗まれたという資料の中身はどういったものなんですかね。教授にお尋ねしたんですが、あそこは貴方のお父さんが使っていた書庫の中味をそっくり移しただけで、目録とかそういうものはないと言われたもんで」
漠然とした質問だったが、阿坂は倉庫の中味をすべて把握しているらしく、聞かれたことによどみなく答えていたばかりか、必要ならファイルの中味を要点だけ箇条書きにして提出できると言っていた。
「ああ、いや、今のところは結構です。どうせ私が見ても分かりませんからね。とりあえず―――」
中庭から盗み出された資料はすべてナインに関するものであるのは間違いないのかとか。
そんなことを一通り聞いた後、男は周囲を気にしながら声を落とした。
「それと……持ち出されたと思われる部分以外にもファイルナンバーが飛んでいる箇所があって、犯人はどうやらそれを熱心に捜していたようなんですがね」
担当官が手帳を開き、該当するファイルの前後のタイトルを読み上げようとしたが、阿坂がそれを遮った。
「その部分は最初からこの研究所にはなかったと聞いています」
少なくとも自分の物心が付いた時にはもうファイルのナンバーは飛んでいたという阿坂の説明に担当官はお手上げのポーズをした。
「そうですか。じゃあ、当然中身がどんなレポートであったかもご存じないわけですね?」
その問いに阿坂が頷くのを確認してから、
「また何かあったらお伺いするかもしれませんがその時はよろしくお願いします」
そんな言葉で締めた後、俺たち二人は部屋を追い出された。


いつもはひっそりとしている廊下。
だが、一般客もいない時間だというのに、なんとなくざわついた空気が漂っていた。
どこかゆっくり話せる場所はないかと尋ねる前に、阿坂はさっさと私室に向かって歩き出した。
途中でファイルのことを聞こうとしたが、部屋に入るまでは何もしゃべるなと言われ、慌てて口をつぐんだ。


そんなに何度も足を踏み入れたわけではないのに、見慣れたような気がする阿坂の部屋で一息ついて。
それから。
「な、そのファイルってヤツ、最初から無いなら番号を飛ばしてあるのは変じゃないか?」
そう尋ねると阿坂がポツリとつぶやいた。
「……父が焼却したんだ」
自宅の庭でファイルをバラして燃やしている父親の姿を覚えていると言う。
「まだ家に父親がいて、母親も発症していなかったと思う。四、五歳の頃だから、記憶は曖昧だが、燃やしていたのは確かに抜けているものの前後と同じファイルだった」
ファイルの色とか柄とかメーカーとか。
そんなことを覚えていることが信じられないけど。
そんなことより。
「阿坂のお父さん、なんでそこだけ燃やしたんだろうな? 仮説が間違ってたとか、そういうヤツか?」
その問いに。
返ってきたのは全くかみ合わない答えだった。
「……彼らが探しているのは、ナインについての資料じゃない」
いつにも増して色をなくした横顔はなんだか思いつめているようにさえ見えた。
「じゃあ、何だよ? おまえ、本当はもっといろんなこと判ってるんだろ?」
きっとそうだという確信があった。
本当はその抜けていた部分が何だったかを知っている。
そんな気がしてならなかった。
「な、阿坂、話してくれよ」
もちろん記事のネタに使う気なんてないし、絶対に誰にも言わないからと約束したけど。
それでも阿坂は答えなかった。
代わりに、
「もしも……八尋の命にかかわるようなことがあって、どうしても『それ』が必要な状況に陥ってしまったら、その時はここに連絡して欲しい」
そう言って、私室の電話番号を渡した。
「……『それ』って?」
条件反射で尋ねていたけど。
本当は聞かなくても分かっていた。
「―――父が、『X−10』と呼んでいたものだ」
多分、無意識のうちに俺はその先の答えを求めていたんだろう。
「実在するってことなのか?」
どうなんだよ、と告げた自分の声。
なんだか問い詰めるような口調になって、あわてて「ごめん」と謝ってみたけど。
阿坂はやはり黙したまま、ただフイッと視線をそらせた。

重苦しい静寂と。
溜め息と。
そして。

「……八尋」

少しかすれた声が俺を呼んで。
その後。
「とても近い存在の相手が自分にたくさんの隠し事をしていると知ったら、そして、それが分かった後も永久に隠し続けるとしたら―――」
それは不誠実だと思うか、と。
そんな質問が投げられた。

尋ねるまでもない。
それは阿坂自身のことなんだろう。
誰にも言えないそれが指すものが何なのか、はっきりと告げることはなかった。
けど。

「思わないよ。……それでも、そいつが苦しくなければいいって思うだけで」

答えながら。
阿坂は、本当はもう苦しいんじゃないかって。
そんな気がしてた。

「おまえ、もしかして―――」

言いかけたけれど。
その続きは掠れたままの声に遮られた。

「……今すぐ日本に帰ってくれないか」

これ以上何も聞かずに荷物をまとめてくれ、と。
俺の目をまっすぐに見てそう言った。

なんでいきなりそうなるんだよ、って。
そんな言葉が咽喉まで出かかったけど。
でも、それを尋ねたら阿坂がつらいんじゃないかって。
そう思ったら、やっぱり聞けなくて。
その代わりに別の言葉が口をついた。

「……阿坂も、一緒に来てくれるなら」

また凝りもせずに。
夕べ断られたばっかりなのにって思ってけれど。
でも。
今、離れるのがどうしても不安で。

「俺、おまえのことが好きだ。だから―――」

ここを出て一緒に暮らそう、と。
これで本当に最後だからという気持ちで告げたけど。
阿坂はやっぱり視線を落としただけだった。

「何度ダメだって言われても諦められない。おまえが『うん』って言ってくれるまで俺も帰らない」

子供の我が侭みたいだと思った。
でも、どうしても残して帰る気になれなかった。

「だから、いいって言ってくれよ」

何度目かの催促の後、阿坂はようやく顔を上げた。
少し呆れたように。
でも、かすかに微笑んで。

それから、「わかった」と。
静かに答えた。



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