X-10

Sequel to the story

<1>




月日が経つのは本当に早い。
阿坂との約束も、もう残りの日数の方がずっと短くなっていた。

ただ、事件のことについてはまだまだという感じで、水面下ではそれなりに調査も進行しているのだろうが、少なくとも公にできるような成果はないということなんだろう。
父親のことも、ジャーナリストのことも、研究所から資料を盗み出した男についても未だ手がかりさえないままだ。
こんな状態では阿坂が日本に来る日も延期されるかもしれないという懸念も持ち上がっていて、正直俺は気が気ではなかった。
ついでに。
助手はまだ結婚をしておらず、何かにつけて阿坂に連絡をしている模様。
まあ、事件のことがあるので、それは仕方ないとは思うものの。
……やっぱりなんとなく気に入らない。

まあ、そんな感じだけど。
表面的には平穏無事な毎日。


そして、俺は……と言えば。
「キミ、この間のアレはどうなったんだ? ほら、例の件の―――ああ、もういいよ、田辺君が来たから。悪いけどもう一杯お茶もらえるかな。急いで来たせいかのどが渇いちゃってね。あ、やっぱりコーヒーにしてくれ。砂糖一つね」
所は変われど、幅の広い雑用を黙々とこなす日々。
「ああ、田辺君、それじゃないよ。アレだよ、アレ。キミは本当に忘れっぽいねえ」
指示語ばかりで話を進めようとするお偉い人々に田辺さんが「はあ」と曖昧な返事をした。
多分、何のことか分かっていないんだろう。
この場合、相手にちゃんと伝わる言葉で話さないヤツが悪いとは思うが、メインプロジェクトの費用を出資する企業の役員ともなるとこんなくだらないことで機嫌を損ねるわけにも行かず。
「八尋君……ちょっと」
総務主任の引きつった顔が「助けてくれ」と言っていた。
「前回の会議で保留になっていた事項でしたら、『研究室からの返事待ち』のボックスに。資料はほとんど出揃っていますので、先にそちらをご覧いただいいて……あ、コーヒーどうぞ」
さりげなく田辺さんに何の件なのかを伝え、淹れたてのコーヒーをテーブルに置いた。
「ああ、そうそう。それだよ。ほら、例のね、キミにもこの間話したじゃないか、田辺君」
「申し訳ありません」
田辺さんの「ありがとう」目線に少しだけ会釈を返し、自分の仕事に戻った。
ここの仕事は全体的にいつでもこんな感じで。
俺は学生時代の老人ホームでのバイトを思い出しながら、せっせと爺さん連中の相手をする毎日。


正式にここで働くようになって早数ヶ月。
試験はなんとか四度目で合格し、数日間の研修の後、ここに配属になった。
総務部と言ってもメンバーは俺と田辺さん、後は事務全般をしている派遣社員が一人だけ。
客でも来なければアットホーム過ぎてゆるみがち。そういう職場だ。
東大出で頭脳は明晰だがあまり社交的とは言えない田辺さんの代わりに対外交渉はほとんど俺がやるせいで、言葉遣いもかなり社会人らしくなったと思う。
仕事はまだまだアルバイトに毛が生えたようなもので全体的に雑務で力仕事や倉庫の後片付けなどが多く、基本的にはあまりスーツを着ることもない。
「いやあ、助かったよ。年取るとみんな『アレ』で済ませるから、いくつも言われると何が何だか。八尋君がなんで分かるのか不思議で仕方ないよ」
資料を取りにきたついでにこっそり俺に愚痴をこぼす田辺さんに笑顔を返した。
「ご年配の方への対応は慣れてますから」
メイン業務が接客と雑用というここの仕事は俺にはそこそこ向いていると思う。
職場の雰囲気も悪くない。
オヤジ連中がここを茶飲み場にしていることと、田辺さんがちょっとぼんやりしていることを除けば、特に困ったこともない。
試験の時は本当に死ぬかと思ったが、今となってはいい就職口だったと心から思う。
「ああ、そうだ、田辺君」
「え、あ、はい?」
お茶のみジジイに呼ばれるたび挙動不審になる田辺さんは可哀想だと思うが、見ている分にはちょっと面白いし。
退屈すぎず、忙しすぎず、平穏な毎日がなんとなく過ぎていた。
そう、たった一つの気掛かりを除いては。
「小田切さんが面倒見てるっていう彼、まだ向こうなのか? こっちに来るのを嫌がってるって聞いたんだが、それホント? 来たらうちの専属にしてもらえんかね?」
それは世間話の一つに過ぎなかったけど。
俺としてはもっとも気になる内容でもあり、無意識のうちに仕事の手が止まる。
そんな俺の心中に気付くはずもなく、田辺さんは「早く帰ってほしいなぁ」という表情で適当な返事をしていた。
「あー……そうですね。彼、日本に来たことがないそうなので、生活し慣れた土地で仕事をしたいのかもしれませんね」
「そんなわがまま許しとらんで、すぐに日本に連れてきなさい。ここでは一番優秀なんだろう?」
「そのへんのことは専門職でない僕らには分かりませんが……なんだか、ちょっと難しい人みたいで……」
余裕で半年は経過したにもかかわらず、阿坂はなぜか一度も日本に来たことはなかった。
小田切教授が「仕事抜きで」と誘っても常にやんわりと断っていると聞いて俺の心配はますます増幅していた。
環境が変わるのが嫌なんだろうか。
それとも、やっぱりあいつの墓のそばを離れたくないのだろうか。
メールでそれとなく理由を尋ねてもサラリと流されてしまって、いつもそれだけはノーコメント。
小田切教授にいたっては、『一年後に』というのも本当はその場凌ぎで、最初からこっちに来るつもりはなかったんじゃないかと気を揉んでいるほどだった。
そして、来日拒否の理由となりうる要因がもう一つ。
「まあ、こっちのボンクラ研究員には歓迎されないだろうからねえ」
就職してから分かったことだが、阿坂はここの研究員にはある種の脅威のようで、当然歓迎ムードは皆無。
それは多分阿坂本人にも伝わってしまっているだろう。
阿坂教授の息子で、なおかつ所長の秘蔵っ子で。
しかも、今勤めている海外分室はこっちよりも優秀な研究員が多いらしいのに、その中でも群を抜いてるという評判で。
それが事実だとしたら、周囲の警戒ぶりも無理はないと思うんだけど。
「まあ、彼はあまり他人と打ち解けない性格みたいなので、そのあたりも余計に……」
どうやら田辺さんまでが「ちょっと冷たい」と思っているようで。
「へえ、天才って言われる人種はそんなものなのかねえ?」
本当は口を挟みたかったけど。
なんとか聞き流して客を見送った。



「あー、やっと帰ってくれたね。お疲れさま、八尋君」
俺はそれほどでもないんだけど。
「田辺さんこそ、お疲れさまです」
じーちゃん連中が帰った後、田辺さんはいつもちょっとぐったりしてしまう。
人付き合いが苦手なのに、外部からの客の窓口になっているセクションに配属になっていることがそもそもの間違いなんじゃないだろうか。
というか、入社試験を少々甘くしてまで俺をここに入れた理由が分かったような気がする。

一仕事終えたとばかりにお茶を入れ、和みモードに突入する田辺さんは、今度はすっかり自分が世間話をするつもりらしくて。
「それにしても外部の人間にまでジュニアの評判伝わっちゃってるんだね」
そんな話題を振ってきた。
「……みたいですね」
そうだとしても、あのジジイ連中は仕事の結果さえ出していれば文句は言わないだろう。
ここのスタッフだって慣れればきっと「ちょっと育ちに問題があって人付き合いが得意じゃないだけ」ってことくらいは分かってくれるだろう。
阿坂は見た目と話し方がちょっと冷たそうなだけで性格が悪いわけじゃないし、あの素っ気ない態度だって努力次第ではもうちょっとなんとかなるだろう。
だから、それほど心配することもないと自分に言い聞かせていたのに。
「でも、悪い噂も結構広まっちゃってるから仕方ないのかもね」
それも「話しにくい」とか「付き合いが悪い」とか、そんなヌルイ噂ではないらしい。
「それは誰が広めてるんですか?」
「出所は向こうの研究員だと思うけど」
阿坂は向こうのラボでは非常勤のはずだから、週に1〜2日しか出ていないはずなのに。
そんな噂が流れるってことは、向こうのスタッフとは既にうまく行ってないんだろう。
それにしても。
「俺から見たら、そこまで嫌われる性格とも思えないんですけど」
お世辞にも愛想がいいとは言えないから、とっつきにくいと思われるのは仕方のないことだけど。
でも、研究はしっかりしているし、成果も上げているんだから、仕事上の付き合いだけしかない相手が積極的に悪い噂を流す理由が分からない。
「うん、でもね。今まで勤めてた大学のラボで受けた仕事、どういうわけか彼の名前を一切出してなかったのに、いきなり表に出てきて、しかも自分たちより優秀だって言われたら、そりゃあいろいろ思うところもあるよ」
田辺さんも以前は研究職で、その手のドロドロした人間関係の歪が嫌になってここに一般スタッフとして転職してきたと言っていた。
それだけにその手の事情にはちょっと詳しいのだろう。
「僕らからしたら研究員は優秀なほどいいって思うけど、同じ仕事をしてる人間から見たら同僚であると同時にライバルだからね。しかも、それまでエリートまっしぐらで誰にも追い越されたことのない人だったりしたら、余計にね」
優秀さがまた摩擦の原因になっているんだろうという言葉に思わずため息が出た。
「仕方ないよ。どこの世界にも少なからずそういうのはあるから」
「……そうなんでしょうけど」
そんなのは慰めにならない。
俺はここで一緒に楽しく働きたいし、今までのどの職場よりも阿坂にとって快適であって欲しいと思う。
なのに、心配の種は阿坂本人が来る前から既に芽を出しているようで。
「うはぁ、まだ22、3なんだろ? さすがに追い越されて自分の上司になられるのは嫌だよなぁ」
「俺より9つも下ってこと? 勘弁して欲しいね」
定期代の申請書を持ってきた他の研究員が眉を寄せているのを見て、俺はまた深い溜め息をついた。
この様子じゃこっちに来ても居心地が悪くて仕方ないだろう。
なんとかしてやりたいと思ったけど。
「だからってなぁ……」
噂なんていくら口で否定しても消えるものじゃない。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、所員が息を切らして総務に飛び込んできた。
「田辺さん、例のアレ何時に来るって?」
最近独立したラボの中堅スタッフが二人。
白衣姿ということはちょっとだけ仕事を抜けてきたんだろう。
その剣幕に威圧されたのか、田辺さんはまたしても固まっていた。
「え?……例のアレ?」
いや、単に「あれ」という指示語が意味不明だったせいなのかもしれないが、俺にも何のことなのか見当がつかなかった。
「とぼけるなよ。所長の秘蔵っ子だよ。もうすぐ来るんだろ? 今朝うちの責任者のところに緊急メールが来て、ラボを見学するから説明係をつけてくれって言われて大騒ぎだ」
田辺さんはその返事を聞いてから慌ててメールを開いていたけど。
「うわあ……ホントだ。朝からずっと来客だったから気付かなかったよ。どうしよう。社の中を案内するはいいとしても……八尋君、助けてくれるよね?」
いきなりヘルプの依頼だけど。
その前に。
「所長の秘蔵っ子っていうのは、もしかして―――」
「ジュニアだよ。小田切所長に挨拶だって。どうしよう。もうこんな時間だよ。書類を揃えないと……あ、ホテルもこっちで手配するようにって書いてある」
「……阿坂が……来るんですか?」
っていうか。
いきなりそんなことを言われても、俺にも心の準備というものあるわけで。
「一昨日ちょっとそんな話になって、その時は『都合がついたら』っていう、何かいかにも来そうもない感じだったから安心してたのに」
田辺さんはいい人だが、ちょっと忘れっぽい。
それに、普通は来るかどうか判らなくても、慌てなくて済むように手順の確認くらいはしておくもんだ。
なのに。
「いきなり来るって言われても困るよね? ホテル、どうしよう。やっぱり相当いい部屋とらないと駄目なのかな」
その少々のんびりした性格は仕事上何かと支障がある。
「……ホテルはいいですよ。今日は俺んちに泊めますから。久しぶりだし、ゆっくり話もしたので」
そこまで言ったら阿坂を『例のアレ』と言ったスタッフが「しまった」という顔をした。
俺が友達だということに今更気付いても遅い。
現に俺はもうちょっと不機嫌になっていた。
それがわかったんだろう。
「じゃあ、僕らはそろそろ仕事に戻ろうかな……」
そう言ってそそくさと出ていってしまった。
そりゃあ、阿坂がここでイマイチ歓迎されてないのは俺もよく判ってるけど。
だからといって、顔も見たことさえないようなヤツに『アレ』とか言われたくはないわけで。
「まったく……―――」
不機嫌全開の俺に気付く様子もなく、田辺さんは心底ホッとしたようで、のんびりマイペースに呟いた。
「でも、ほんと八尋君がいてよかったよ。この近く、いいホテルがないし、第一どの程度の部屋を用意したらいいのかも分からなくて」
それだって俺に言わせたら相当誤解してると思うんだが。
「阿坂はそんなに気を遣わなきゃいけないようような性格じゃないですけどね」
本当はいいヤツなのに。
どうしてみんな誰が流したのかも判らないような噂を信じてしまうんだろう。
そりゃあ、電話の声は素っ気ないし事務的だしでちょっと冷たく感じるかもしれないけど。
「とにかく彼のことは八尋君に任せるよ」
そんなに毛嫌いしなくてもいんじゃねーの、ってやっぱり思うわけで。
「それはいいですけど……揃える書類っていうのは、こちらに滞在するための費用申請とかですか?」
「ああ、うん、それとね―――」
そんなことより、阿坂も阿坂だ。
確かにメールはきっちり一日おきだけど。
友達なんだから、来ることくらい臨時メールで知らせてくれたらいいのに。
そんなちょっと寂しい気持ちもあったけれど。
「じゃあ、彼が来たらそれを渡して……あ、その前に僕のこと紹介してもらえる? なんかいきなり直接話すのも……ね?」
「あー、はいはい。紹介すればいいんですね」
答えながらも、その時にはもう田辺さんの話なんて半分上の空で。
そわそわした気分でキャビネットに付いている鏡を覗き込んでいた。
「……寝癖とかついてないよな?」
妙な鼓動と共に溜め息とは違う熱を持った呼吸がのどを通っていく。
久しぶりすぎて、どんな顔で迎えたらいいのかわからない。
元気にしているだろうか。
それから。

少しでも会いたいと思ってくれているだろうか――――




Home   ■Novels   ■X-10 Menu      << Back(本編)  Next >>