X-10

Sequel to the story

<3>




結局その日は阿坂の体調があまりにも優れないという理由で書類の説明だけして終わりになった。
「教授とも会わないのか?」
当然阿坂に聞いたのだが、答えたのは教授の代理で総務に顔を出した秘書だった。
「本日は教授も十分な時間が取れなくなりましたので、ご面会は明日以降に」
またご連絡します、という言葉のあと、「小田切教授の取り計らい」とやらで、俺と阿坂はそのまま仕事を切り上げることになった。
というか、阿坂にちゃんと飯を食わせて就寝させることが俺の本日の夕刻以降の仕事になったと言うべきかもしれない。
「今日も寝られなかったら今度こそちゃんと薬を飲んでね」
美人女医は主治医と言うより姉のような口調で阿坂の世話を焼いていたけど。
「ってか、阿坂、もう眠そうなんですけど……」
話なんて聞いているのか、いないのか。
俯いて欠伸をかみ殺していた。
「八尋君って本当に眠くなる成分が出てるのね」
「……俺、普通の人間ですから」
当然、そんなものが出てるはずはないんだけど。
彼女の話によると、阿坂がいつもそう言っているらしい。
まあ、何にしてもこの様子なら今夜は薬なんていらないだろう。
「じゃあ、明日またこちらで。その時にちゃんと眠ったかどうかを教えてね」
「わかりました」
俺にまで姉口調で話す彼女とそんな約束をして。
それから、また小さく欠伸をしている阿坂を連れてフロアを出た。
廊下を歩いている間も阿坂はずっと眠そうだったけど。
「あー、八尋君、お疲れ」
「お疲れ様です」
誰かが俺に声をかけるたびに阿坂も会釈をするので、された方はまんざらでもなさそうな感じだった。
というか。
そこで必要以上にニヤついたヤツは俺的には即ブラックリスト行きだ。




自宅までは歩いて10分。
「夕飯、何がいい?」
「八尋に任せる」
そんな会話の後、研究所近くのカフェに入り、軽くパスタを食べて。
その後はどこかでお茶でもと思ったのだが、阿坂があまりに眠そうなのですぐ部屋に連れていった。
「悪ぃ。来るとは思わなかったから、ぜんぜん片付けてないんだ。マジで散らかってるから覚悟して入れよ」
鍵を開けながら一応念を押した時には、
「ああ」
別にどうでもよさそうにそんな返事をしていたんだが。
「んじゃ、どうぞ」
ドアを開けた瞬間、阿坂は少し固まっていた。
「だから言っただろ? ちょっと今朝寝坊してバタバタしてたんだ」
そんな言い訳が通じるような状態でもなかったが。
「やっぱホテルの方がよかったか?」
これですっかり眠気が飛んでしまったんじゃないだろうかという心配より先に、「だらしないヤツは嫌いだ」と思われた可能性を推し量ってみようと阿坂の顔を覗きこんでみたのだが。
「いや、別に―――」
そう答えた口元は何故か少し笑っていた。
阿坂はきっと散らかった部屋になんて住んだことがないんだろう。
あるいは目の当たりにしたのも初めてなのかもしれない。
そんなことを思っていたら。
部屋の真ん中に突っ立ったまま、どこを見ているわけでもなさそうな顔でフッと息を吐いて。
それから。
「八尋と同じ匂いがするな」
不意にそんなことを言った。
「そりゃあ……俺の部屋だし―――」
というか。
そういう発言はちょっと……。
自分がヨコシマなだけだと分かっていても、精神的にはやっぱりいろいろと支障がある。
……まあ、この散らかった部屋ではムードも何もあったもんじゃないが。
「じゃあ、適当に座ってろよ。ちょっと片付けるから」
『適当に』などと言っても狭苦しい上に散らかり放題のワンルーム。
ゆったり座れる場所などベッドの上以外にはない。
そういうわけで、必然的に……なんてことも一瞬脳裏を過ぎっていったが。
そのためには何としてでももう少しムードのある部屋にしなければならず。
「あ、そうだ。荷物は―――」
床から拾い上げたものを抱えたままクルッと振り返った時、阿坂はもうベッドに突っ伏していた。
「それはつまり……寝たってことだよな」
阿坂がいつも以上に疲れていたのは分かってる。
だから、それは別にいいんだが。
「せっかくいろいろ話そうと思ってたのに」
やっぱりちょっと物足りなくて、悪あがきのように頬をつついてみたが、全く起きる気配がない。
仕方がないので俺も早々に諦めた。
けど。
「阿坂、いくらなんでもスーツのまま寝るのは……な、ちょっとだけ起きてパジャマに着替えろよ」
声をかけて肩を揺すったが、ピクリともしない。
「ってか、実は急に日本に来る気になったのもこれが理由なのか?」
どうしても眠れなくて、阿坂のいうところの「睡眠成分」が出ている俺のところに来たってことなんだろう。
そうじゃなかったら、わざわざ主治医を連れて歩くはずがない。
「まあ、来てくれた理由なんてなんでもいいけどな。……でも、ホントに大丈夫なのか?」
傍らでバタバタと片付けをしている間も阿坂はまったく動かずに眠っていて、思わずちゃんと息をしているか確認してしまった。
口元を覆うように手を当てるとやわらかい呼吸がかかる。
とりあえず気持ち良さそうに眠っているし、さっきより少し顔色もよくなったような気がするから、まあ、大丈夫なのだろう。
けど。
「さすがにこれじゃ、ゆっくり休めないよな」
上着とネクタイと靴下とベルトだけはなんとか除去したものの、眠っている人間の身体というのは思った以上に重いもので。
シャツのボタンを外しかけたが、無理に脱がせて破けてもいけないと思ってそこで諦めた。
「んー、どうするかな……」
時計を見たが、まだ7時半。
子供だって起きているような時刻だ。
「こんな時間から寝てたら、嫌でも夜中に目を覚ますだろ」
その時に着替えてまた寝直せばいいだけの話だ。
そう思って枕元にパジャマだけ用意して俺もさっさと就寝した。



だが。
「阿坂、な、起きろって」
朝日が差し込み、すっかり明るくなった部屋の時計は7時ちょっと前。
「な、もう朝なんだけど。今日って仕事は?」
阿坂は当然のようにまだ爆睡していた。
服も着たまま。
でも、隣で眠ってた俺の手には阿坂の指が絡まっていて。
なんだか朝っぱらから甘い気分になってしまった。
「……ん……」
「目、覚めたか?」
ものすごく名残惜しかったが、そっと手を外して声をかけた。
阿坂はぼんやりと俺の顔を見て、それからやけにスローな仕草で目をこすった。
「……何時から寝てた?」
「7時半。とりあえず、よく寝られたみたいでよかったよ」
おかげで俺は若干寝不足だが。
今日のところは阿坂の顔色が戻ったことだけで十分だ。
「じゃあ、俺はゴミ出してくるから、阿坂は先にシャワー浴びて。メシはその後な」
部屋は昨夜のうちに片付けたけど。
そんな努力も下心も空しく、ムードなんてカケラもない生活感溢れる会話が流れていく。
「服はサイズが大丈夫だったらそのへんにあるものどれでも適当に着ていいから」
まあ、野郎の友達が泊まった時なんてこれが普通だし、もしも一緒に暮らせることになったら、当然毎日こんな会話をするんだろうけど。
でも、俺の部屋で迎える最初の朝だし、ちょっと期待も夢もあったんだけど。
……まあ、いいか。
「じゃあ、これ、バスタオル。他に必要なものがあったら―――」
話はまだ途中なのに、阿坂はベッドに座ったままでおもむろに服を脱ぎ始めた。
男同士で隠すヤツのほうが不自然だとは思うけど。
なんとなく目のやり場に困って、そそくさとゴミを持って部屋を出た。
そりゃあ、ユニットバスなんてものは脱衣所がついているわけじゃないから、部屋で脱いで風呂場に入るしかないんだけど。
「だからってなぁ……」
あの様子からすると、俺はまったくそういう対象だと思われてないんだろう。
そりゃあ、確かに今のところはまだ友達だから、勝手にそれ以上を期待している俺が間違ってるとは思うけど。
この先ずっと友達のままだったら……なんて、急に弱気になってしまった。



「ただいま」
ゴミを出した後、そのままコンビニに行って、サンドイッチとサラダと牛乳を買って帰宅。
もう着替えは済んでるだろうかと思いながら部屋に入ると、阿坂は俺のシャツを着ながら壁にかかっているカレンダーを見つめていた。
「……うわっ、それは……」
阿坂と約束した一年後。
それまでの日数を余白に書き込んである恐ろしいほどベタなカレンダー。
さすがに阿坂本人に見られるのは結構恥ずかしくて、一気に顔に血が上った。
昨日のうちに片付けておけばよかったと思ったが、それも今さら。
「まあ、なんていうか……でも、予定より早く会えて嬉しかったよ。阿坂が来たら一緒にどこへ行こうとか、いろいろ考えてて……あ、それで、いつまでこっちにいられるんだ? もし、明日も明後日もここにいられるんだったら―――」
照れ隠しでやたらとしゃべりまくる俺。
しかも、少し早口になっているのが自分でも分かったけれど、阿坂はその間もずっとカレンダーと向かい合ったまま。
「……まだ決めてない」
普段と変わりない愛想のない声。
でも、そう答えた横顔はなんだか少し思いつめているように見えた。
「じゃあ、向こうの仕事は? ってか、もしかして週末までいられる?」
だったら、ピクニックでもなんでも阿坂の好きなところへ一緒に行こう。
そんな期待をしながら返事を待ったけど。
返事は「うん」でも「ううん」でもなく。
「別に……希望さえ出せば今日から日本勤務にすることもできる」
「へ?」
結局、いつまでいられるのか、どうするつもりなのかを阿坂は言わなかった。
けど。
「だったら」
買ってきたものをテーブルに投げ出すのさえもどかしく、まだカレンダーを見つめたままの阿坂の背中を抱きしめた。
「―――このまま一緒に暮らそう」

俺も懲りないヤツだなと思ったけど。
その三秒後。
拍子抜けするほどあっけなく、「うん」という短い答えが返ってきた。
静かな部屋に心地よく響くその声を噛みしめながら。
回した腕にギュッと力をこめた。



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