X-10

Sequel to the story

<4>




仕事がなければそのまま阿坂とのんびり過ごしたいところだったけど。
さすがにそういうわけにも行かず。
二人で床に座って朝食を済ませ、一緒に部屋を出て、仲良く出勤。
まだ時間も早いし、ついでだからこのまま所内を少し案内しようかなんて思っていたのに。
研究所に足を踏み入れる直前、秘書が玄関で待ち構えていて。
「おはようございます、阿坂さん、八尋さん」
阿坂はそのまま病院まで連行され、教授と面会することになった。
教授の体調さえよければ一緒に昼食を……ってことらしいが、その後は特に予定もないというので、先に帰ってもいいようにと合鍵を渡しておいた。
「部屋にあるものは何でも勝手に使っていいからな」
「ああ」
なんだかもうすっかり同居してるって感じで。
秘書が見ていなかったら顔が緩んでしまいそうだった。


そんなわけで、俺は朝から上機嫌。
真っ直ぐ自分のデスクに行き、周囲を軽く片付けると、これ以上はないほどの笑顔で窓を開け放した。
「うーん、いい天気だ」
「え? 今日って曇ってるよね?」
田辺さんは不思議そうな顔をしていたが。
「いいんです。別に雨降ってても」
俺には実際の天気などどうでもいいわけで。
とにかく今日はさっさと仕事を片付けて早く家に帰ろうと気合を入れた。
「ああ、そう。ジュニアは病院に面会に行ったんだ? ってことは、所長は体調が悪いのかな?」
阿坂との待ち合わせ場所が病院だってことは俺も気になっていたんだが、空き席で紅茶を飲んでいた女医がニッコリ笑って否定した。
「今日はただの定期健診だから、何もなければすぐに済むはずよ」
「そうですか。……よかった」
小田切教授は俺と阿坂の後見人みたいなものだから、せめて阿坂がこっちでちゃんと生活できるようになるまでは頑張ってもらわないと。
……とは言っても、実は車椅子なんていらないんじゃないかと思うほどピンピンしてるんだけど。


「それにしても、総務って賑やかなのね」
ダンナが迎えに来るまでここで待たせてもらっているのだという女医は、物珍しそうに辺りを見回しながら笑っていた。
総務付属のフリースペースには自販機がいくつか置いてあり、就業時間前は茶を飲みに来る人がいる。
いつもはせいぜい2〜3人だが、今日はやけに人が多い。
美人女医がここに座っているせいなのか、教授の秘蔵っ子がこっちに出勤すると思って待ち構えているのかは分からないけど。
とりあえず阿坂の姿が見えないことを確認すると俺にあれこれ聞き始めた。
もっとも今日は女医も聞いているせいか、質問の内容は業務に関連したことだけだったが。
「え、じゃあ、今日はこっちに来ないんだ? ラボの見学は?」
「さあ、そこまでは俺も聞いてませんけど。もし、来ることになるなら、事前に連絡が入るんじゃないですか?」
「ああ、そっか。そうだな」
やっぱりちょっと煙たがられている気配はあったが、それでも昨日の阿坂の印象はそれほど悪くはなかったようで、口調からは以前の刺々しい感じは消えていたし、何よりも、
「昨日は調子悪そうだったけど、あのあと大丈夫だったのかな?」
そんな気遣う言葉も聞かれて、この様子ならなんとか受け入れてもらえそうだとホッとした。
「そうですね。昨日は相当疲れてたみたいで、八時前に寝てましたよ」
フォローのつもりでそんな話をすると、居合わせた連中が目を丸くする。
「へえ、八尋君のところに泊まったんだ。信じられんな」
「共通の話題とかあんの?」
もうその辺りからして阿坂は常人からかけ離れていると思われているわけだが。
「別に普通ですよ。週末どこかへ遊びに行こうかとか……」
結局、それについての返事はもらってないけど。
まあ、今日から毎日一緒なんだから、土曜までに予定は決まるだろう。
「ふうん。本当に友達なんだな。……ちょっと意外だけど」
知的な阿坂と、およそそういうものからは遠い俺。
自分でもそう思うくらいだから、周囲がそう感じるのも無理はない。
「でも、同い年だし、楽しくやってますよ」
阿坂は相変わらず笑ったりもしないから、楽しいのは俺だけかもしれないんだが。
「へえ、そうなんだ」
それでも、なんとか周囲の納得を得られた時、ちょうど就業十分前の音楽が鳴り始めて。
「じゃあ、今日も一日頑張ってくださいね」
そのままさっさと自分の仕事場にお引き取りいただいた。


汚れた灰皿を片付けていると、女医がコロコロ笑ったような声で話しかけてきた。
「理志君、なんとかうまくやっていけそうね」
「そうですね」
問題はこの印象を維持できるかということだが。
阿坂の場合、仕事中の方が衝突の可能性大なわけで。
そう思ってフッと息を抜いた時、女医がまた笑った。
「八尋君って意外と心配性なのね」
「普段はそうでもないんですけど」
相手が阿坂だと周囲が心配せざるを得ないわけで。
彼女だってそのへんはよく分かっているんだろう。
「でも、よかった。ちゃんと眠れたみたいで」
華やかに笑いながらそんなことを言うと、携帯に送られてきた阿坂からの『睡眠時間の報告メール』を読みながら、昨日までのことをあれこれと話してくれた。
それによると、最近の阿坂の体調は本当に最悪で、かなりギリギリの状態だったらしい。
「なのに仕事は休もうとしないし、薬は飲みたくないって言うし。仕方ないから、八尋君のところに連れていこうってことになって。……ね?」
「ね?」とか言われても、何と答えればいいのやら。
俺が睡眠薬代わりなのはまあいいとしても、教授への挨拶もそのついでなのはどうなんだろう。
「それにしても、八尋君の『眠くなる成分』ってすごい効き目なのね。一度脳波の検査とかさせてもらえない?」
「……遠慮しておきます」
阿坂にとって、一緒にいて安心できる相手だってことは嬉しいけど。
でも、そこまで安心されると、俺はちゃんと自分の望む方向に行けるんだろうかと心配になる。
しかも。
「そう言えば、八尋君って飼ってた犬に似てるらしいわよ。首輪をつけられないように気をつけてね」
うふふと笑われて。
ちょっと引きつってしまった。
阿坂はああいう育ちだから、飼い犬と言っても家族とまったく同じ扱いだろうとは思うんだけど。
俺自身はもうちょっと色っぽい方向に進みたいと思っているわけで。
けど、現状を考えると―――
「……うーん、なんか、寝不足で頭が働かないな」
思わず口をついた言葉はまったくの独り言だったが。
それにもまた突っ込みが。
「ふうん。八尋君は寝不足かぁ。理志君にベッド貸しちゃって自分は床で寝たの?」
「え……あ、いや、そういうわけじゃ……」
それを否定するということは阿坂を床で寝かせたか、二人で一緒にベッドで寝たかってことなんだが。
「八尋君のベッド、寝心地よかったって書いてあったけど?」
阿坂がそんな報告までしているというのはちょっと意外なんだが。
「あー……そう、ですか」
明らかにうろたえている俺を見ながら、美人女医はたおやかに微笑んでいたけど、その表情から察するになんとなく阿坂と俺の間柄を誤解しているような気がした。
だが、『俺たちはまだぜんぜんそんな関係じゃありませんから』とわざわざ言うのも何だかなという感じだったので、その場は通り過ぎておいた。



9時を回った辺りから、少しずつ外部からの電話も入り始め、女医も自分が使っていたデスク周りを片付け始めた。
ちょうどその時、「Good morning」の挨拶と共に外国人紳士が総務に顔を出して、「迎えに来たよ」と言いながら、彼女の頬にキスをした。
「夫よ」
紹介された男性は絵に描いたような紳士ぶりで、彼女といるとまさに美男美女のカップル。
「……いいよなぁ」
俺たちとは文化が違うので、軽くいちゃつくのもおおっぴらだし、キザなしぐさもよく似合う。
そんなことを思って、ついぼやいてしまったのだが。
「八尋君もキスくらいしてあげたらいいじゃない」
「いや、俺、日本男児だからそういうのは……」
きっとものすごく不自然になると思うんだよな、と嘆いていたら、
「帰ったら理志君がしてくれるでしょ? それと同じようにすればいいのよ」
聞けば阿坂は女医にも挨拶程度のキスはするらしい。
けど。
俺のポジションは一応「友達」なわけで。
「俺にはしてくれないんじゃないかと……」
実際、阿坂からしてくれたことなんて一度もない。
そりゃあ、「海外式挨拶のし方を教えてくれ」とでも言えば別だろうけど。
そうじゃなくて、自然にして欲しいんだよな……などと贅沢なことを思う俺の傍らで。
「あれ? 八尋君って理志君と付き合ってるのよね?」
いきなりそんな質問が。
「えっ……いや、まだ……」
やっぱり勘違いしているんだな、と溜め息をつきながら。
だったら、俺もこんなにあれこれ悩んでないんだよ、と愚痴をこぼしたくなる。
一方、他人事だからか、あるいはそれも主治医の仕事なのか、彼女はやけにストレートに聞いてくるし。
「あ、そう。でも、『まだ』ってことはその気はあるのね」
「え……ああ、まあ……俺には」
「じゃあ、いいわ。せめて理志君が一人で眠れるようになるまではよろしくね」
こっちからすると、確かめて欲しいのは阿坂の気持ちなんだけど。
それが全く掴めない。
今朝だって、俺が後ろからギュウギュウ抱きしめてる間も阿坂は普通にシャツのボタンを留めていて、まったく脈はなさそうだった。
そんなことを思いつつ、また溜め息をつきそうになった時。
「ね、八尋君」
「へ……なんですか?」
「今日、帰ったら『ただいま』って言って理志君の前に立ってみたらいいわよ」
そんな言葉だけを残して、女医は旦那の手を引っ張って出ていってしまった。
「案外マイペースなんだな」
ダンナは映画俳優並みのルックスだったが、あの様子だと彼女の尻に敷かれているに違いない。
……よその家庭の心配なんてしている場合じゃないけど。



その日の午後。
寝不足の俺に限界が訪れようとした時、ちょうど良いタイミングで教授の秘書から声がかかった。
「え? 小田切教授が俺に用事ですか?」
これといって話すことなんてなかったような……と思いつつ秘書に尋ねたが、返ってきたのはサボリのお誘いだった。
「一緒にお茶を飲みたいそうです」
まだ仕事は山ほど残ってるんだけど。
ここで一番偉いのは所長なので、誰も文句は言わない。

そんなわけで、20分後には教授と向かい合って茶をすすることになった。



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