X-10

Sequel to the story

<7>




「そーれーでー、ユキウエったら、そんなにくっきりとクマつくってんだぁ」
口を利くのも面倒なほど寝不足なのに。
「っていうかぁ、まだヤらせてもらってないのねぇ。かわいそー」
朝っぱらから何の憚りもなくそんな声が降っていた。
「……優花さん、仕事中にそういう話はやめてください」
おまえには関係ないとかいう以前に。
可哀想なんてこれっぽっちも思ってないだろう。
第一、俺は「やる」とか「やらない」とかにこだわるつもりはないんだから、そういうことは放っといて欲しい。
まあ、それは「こだわらない」というよりは「できるだけ考えないようにしている」という表現が正しいのかもしれないが……。
「とか言っておきながら、ユキウエだってドクターの体についてるモノ見ちゃったら、いきなり萎えてできなかったなんてことになるのかもよぉ?」
アンタとおなじモノがついてんのよぉ、とケラケラ笑われて。
「若い女性が昼間から口にする言葉じゃないと思うんですけどね、優花さん」
たまたま田辺さんは席を外していたけど、この会話を聞いたら恋心など一瞬で消えてなくなるだろう。
できれば今すぐ戻ってきて欲しいものだ。
「っていうかぁ、ユキウエってやり方知ってんの? あ、取材の前にDVDでお勉強したんだっけ?」
本当に、どこまでも大きなお世話だと思うけど。
「そんなもの見てませんよ」
「まあ、いいけどぉ。せいぜい頑張るのねぇ」
それなりに応援してあげるわよ、なんて言われても嬉しいはずもなく。
「もうその話はいいですから。そろそろ自分の職場に戻られたらどうですか?」
本当なら「上司に怒られますよ」と言いたいところだが。
その上司というのが。
「おまえ、相手を美化しすぎなんじゃないのか。不眠症でも普通の男なんだから性欲くらいあるだろ? お互い大人なんだし、とりあえず身体からって手も――」
……ここにいるわけで。
まったく、どいつもこいつも何を考えてんだか。
「だってぇ、金髪青年とはヤることヤってたんでしょ?」
誰がこいつらにそんなことを吹き込んだのかというと、実は俺で。
取材の時に報告を兼ねてうっかり言ってしまったことを今になって後悔していた。
「知りませんって」
実際は現場をこの目で見てしまってるんだが、とりあえずそんな言葉で濁すしかない。
確かに阿坂だっていい年をした男なんだから、まったくそういう欲求がないってことはないんだろう。
けど。
「俺らは別にそういうんじゃ……」
「それってぇ、ユキウエが相手にされてないだけなんじゃないのぉ? アンタ、きっと男だと思われてないのよ」
……あっさりと、でも、痛い所を突かれてしまった。
他人に言われるまでもなく、俺だってそれくらいの自覚はあるわけで。
「もう、いいですから、所長室にお茶でも飲みに行ってください」
「やーい、図星ぃ」
散々からかわれながら。
やっぱり少々落ち込んでしまった。


阿坂からのメールが入ったのは午後一時。
今夜は教授の知り合いと会食だとかで、一緒に飯は食えないらしい。
「なんか気が抜けるな」
どうせ帰ってきても阿坂はすぐに爆睡だろうし。
とりあえず今夜もゆっくり距離を縮めることはできそうにない。
なのに、こんな日に限って業務量が少なくて、すべてがあっさりと片付いていく。
「こういう日に忙しくなってくれればいいのに。まったく……」

結局、6時前には今日できることがなくなって、手持ち無沙汰。
そのへんを片付けたりするような仕事ならいくらでもありそうだが、なんとなく気が入らない。
「いいじゃない。たまには早く帰ろうよ。どうせ明日は忙しいだろうし」
田辺さんに促されて俺も渋々帰り支度をした。
「じゃあ、八尋君、気をつけて……って、どうしたの? そういえば今日元気なかったような……」
「別になんでもありません。ちょっと寝不足で」
「そっか。じゃあ、今日は早く帰れてよかったね」
「はあ」
気の抜けた返事をしながら「お疲れ様でした」と言い残して家路に着いた。
「って、まだ明るいしなぁ。軽く食事だけ済ませて、その後はまっすぐ帰って寝不足を補っておくべきか……」
それとも今夜また魔が差したりしないように無理にでも起きているべきか。
「俺の悩みってレベル低いな」
われながらバカらしいと思いながらも、結局食事以外の寄り道はせず部屋に戻った。


「ただいま……とか言っても誰もいないし」
昨日とは打って変わって楽しくもなんともない部屋の中。
とりあえず阿坂が帰ってくる前に見えないところに押し込んだ物をちゃんと片付けようと思い、ベッドの下を漁り始めた。
「結構、いろんなものあったんだな」
とは言っても見られてマズイものは二つだけ。
一つは阿坂の取材に行く前に編集長がここに送りつけた男同士のアダルトなDVD。
最初に見た時は勘弁して欲しいと思ってたけど。
「……一応、勉強にはなったよな」
これを見つつ、さらにネットで調べて必要なものは揃えた感じで。
「もっとも問題はそれを役立たせることができるかということなんだけど」
教授に夕飯をご馳走になるという阿坂の帰りは多分九時か十時くらい。
それまでは部屋に一人。
退屈だってこともあって、なんとなくもう一度見ておこうかという気になった。
とは言っても、海外モノのゲイ向けなんてかなり即物的なものだ。
情緒なんてものはカケラもなく、勉強にはなるがオカズにはならないことも既に重々承知している。
「何度見ても色気はないよなぁ」
無理矢理阿坂に置き換えて見ればいいんだろうけど。
寝不足が想像力も欠如させていて、そのまま敗退。
だいたいわざとムキムキさせたような生っ白いボディと阿坂のスレンダーな体を重ねて考えろと言うのが無理な話だ。
しかも、金色だから目立たないだけでアップにしたら思い切り画面に映る体毛が気になる。
「東洋人でよかったよな」
いずれにしても、阿坂の肌の比じゃ―――――
「うわ、やべ……DVD見てた時は無反応だったくせに、ちょっと思い出しただけでコレかよ」
そりゃあ、好きな相手と一つのベッドでただスヤスヤと眠るだけの日々じゃあ、体内には確実に何かが蓄積されているわけで。
「……ってか、今から一回出しといたほうがいいんじゃねーの?」
三日目の今日、そろそろ俺の理性も忍耐も怪しい感じで、一歩間違うと我慢するのも拷問の域。
けど、阿坂にはまったくそんな気配もなく。
どう見ても俺は友達としか思われていないのも相変わらず。
「……俺って男としての魅力はないってことか?」
犬に似てるって言われるくらいだから、そういうことなんだろうけど。
助手がオッケーなのにと思うとちょっとへこむ。
「っつーか、阿坂って顔に出ないからイマイチ分かんないんだよな」
再びベッドの下にヨコシマなものを押し込みながら、ちょっとだけ溜め息をついてしまった。
借り物のDVDは明日にでも編集長に返せばいいけど。
実際、行為を想定して購入したアレコレがドラッグストアのレジ袋に入ったまま放置されていて。
「見つかったら何て言い訳すればいいんだ?」
テレビを見ながら、ひたすらそんなことを考えていた……はずだった。



ふっと意識が戻ったのは、多分、何かが俺の指先をくすぐっていたせい。
部屋はすっかり暗くなっていて、テレビも小さな音に変わっていた。

気がつくと、すぐ近くに人の気配。
半分は眠ったような状態で薄目を開けると、テレビの側に阿坂、壁際に俺。
つまり並んでベッドに横たわっていた。
相変わらずワイシャツ姿でパジャマなんて着てなかったが、シャワーは浴びた後らしく、サラサラの髪からかすかなシャンプーの香りが漂ってきた。

目を擦ろうとして、不意に気付いたのは片手がやけに温かいこと。
それが何なのかが分かった瞬間、心臓が鳴った。

流れるニュースは新薬がどうとかいう難しい話で、阿坂の意識は多分そっちに集中していたと思う。
なのに、その指は俺の手をもてあそんでいて。
それが少しくすぐったくて、どこかが苦しいような妙な気持ちになった。
思わずふうっと息をつくと、阿坂がゆっくり振り返った。
「起きてたのか?」
「あ……うん、さっき」
そんな短い遣り取りの間にニュースはいつの間にかCMに変わって。
興味をなくしたのか、阿坂はそのままテレビに背を向けた。
その時、枕元においてあったリモコンが床に落ちて、プツッと音と光が途絶えた。
それを拾うために阿坂が起き上がろうとしたんだけど。
「あ、いい……俺が拾うから―――」
ベッドの下にあるものを見られたくなくて、慌てて阿坂の身体の向こう側に落ちたリモコンに手を伸ばそうとした。
だが、まだ寝ぼけていたのか、バランスを崩してモロにその上に潰れてしまった。
「うわっ……ごめん」
それでもリモコンだけは拾わないと……と、指の先まで伸ばしてみたが。
「八尋、早く起きろ。くすぐったい」
届かないまま、すぐに阿坂の手で止められてしまった。
自分の身体にダイレクトに響く控えめな笑い声と、薄布を通して伝わってくる体の温度。
「あ……うん……悪い」
答えながら、やっと。
首筋にやわらかいものが触れていることに気付いた。
意識の全部がその部分に集中して、鼓動が激しくなる。
かすかな呼吸を肌に感じた時、体が熱くなった。

これ以上、この状態のままでいたら、完全にキレて取り返しのつかないことになるだろう。
そんなことになる前に離れなければと言い聞かせながらも、触れていることの心地よさをなかなか捨てきれなかった。
それでも。
ひそかに深呼吸を一つついて、やっとの思いで起き上がったのに。
「八尋」
名前を呼ばれて、動きを止めた。
別になんてことはない、日常会話の一端のはずなのに。
なぜかいつもの無感情な声とは違って聞こえた。
「う……ん?」
鼓動が激しくなって、まともに顔が見られなくなって、また息苦しくなった。
視界の隅に映った阿坂も思いきり俺から顔を背けていたのに。

「―――……会いたかった」

突然、かすれた声でそんな言葉をつぶやくから。
もう、どうしていいのか分からなくて。

「うん……俺も、すっげー会いたかった」

切れ切れに答えながら。
その後は一秒だって待つことはできずに。
ベッドに投げ出された身体を抱き寄せて、唇を重ねた。



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