夏の猫リクエスト






<海!>  -後編-


それから、準備運動をして。
「じゃあ、水に入るけど、溺れないように気をつけてね」
そう言って闇医者が持ってきたのは、水玉もようの浮き輪。
人間用よりもずっと小さくて、ちゃんとぴったりサイズだった。
「ちょうどいいかもー」
ぐれちゃんに一個。
俺に一個。
おそろいでいい感じだった。
「ずっとつけてるんだよ?」
それでも万が一水の中に顔まで入っちゃったら、ちゃんと息を止めるんだよって言われて。
「うん。ありがとー」
そのあと3回くらいなでてもらってから、お姉さんに手渡されて。
「いいねえ、マモちゃんもぐれちゃんも美人のお姉さんが一緒で」
みんなにうらやましがられてちょっとうれしかった。
「じゃあ、まもちゃん。ボートまで行くからしっかり掴まっててね?」
おねえさんはそう言って俺とぐれちゃんを連れてジャバジャバ歩いていった。
片手にぐれちゃん。
反対側の手に俺。
でも、ぜんぜん重くなさそうで。
「すごいねー」
って言ってみたけど。
「そっか、マモちゃん、海で泳ぐの初めてだったんだね。しょっぱいからお水は舐めちゃダメよ?」
「えっとねー……」
そうじゃなくって。
ぐれちゃんのお姉さんって案外力持ちだよねって話だったんだけど。
隣を見たら、闇医者が「それは内緒だよ」って顔をしてたから、俺もそのまま黙ってた。


「はい、到着。二人ともここに座ってね」
浮き輪をつけたまま。
ぐれちゃんと一緒にボートの上に乗せてもらって。
並んで内側についてるロープに掴まって。
「ちゃんと大人しくしててね。いくら海が楽しくてもボートの上で走り回ったりしちゃダメよ?」
本当はちょっとだけ上で飛びはねてみたかったけど。
「落ちたりしたら、心配で泣いちゃうからね」
お姉さんにそう言われてしまったから。
「うん。だいじょうぶ!」
二人で元気に約束をして。
そのあと、ちょっとだけ深いところまで連れていってもらって、ぐれちゃんとボール遊びをした。
その間もお姉さんは心配みたいでずっと見ててくれた。
「ぐれちゃん、落ちたら困るからボールは投げちゃダメよ。コロコロって、そっと転がしてね?」
「うん」
きらきらの海の真ん中。
ボートの上で、ぐれちゃんと二人してボールと一緒に転がってたら、ちょっとだけ手がすべって。
「あーっ!」
慌てて手を伸ばしたけど届かないまま。
ボールは海に落っこちて、そのまま向こうの方に流れていってしまった。
「どうしよう……」
困ったなって思って、小宮のオヤジを探したけど。
「さっき岸に戻っちゃったのよね。でも、大丈夫。私が拾ってくるから。ぐれちゃん、まもちゃん、大人しくここにいてね。絶対に手を離しちゃだめよ?」
おねえさんはそう言ってすぐに小さなボールを拾いにいってしまった。
「大丈夫かなぁ」
そう思いながら、おねえさんの背中を眺めていたら。
いきなり「じゃぶん」って波が来て。
「まもちゃんっ!!」
また、「あっ!」て思ってるうちに、自分がボートから落っこちたことに気づいた。
お尻が水につかるとき、ぐれちゃんが泣きそうな顔をしてるのがちょっとだけ見えたけど。
「浮き輪にしっかりつかまれば大丈夫だもんね!」
すぐにぎゅうって両手でしがみついて、自分でも「よくできました」って思ったのに。
「……あれ?」
なぜか「プチっ」ていう音がして。
それから、手の先っちょに「ぷしゅー」っていうのが当たった。
変だなって思ってたら、あっという間に浮き輪が小さくなって。
「なんか、沈んでいくかもー……」
気がついたときにはもう目から上しか空気の中になかった。
「まもちゃんっ!!……おねえちゃん、まもちゃんがっ……ごぼごぼごぼ!!」
ぐれちゃんの声も途中から水の中で聞こえて。
大丈夫だよ、って言おうとしたけど。
息を止めてなきゃいけなかったことを思い出して、あわてて口を閉じた。
ちょっとびっくりしたけど。
でも、水の中から見る空はゆらゆら動いて、青くてきれいで。
ボートのはじっこで、ちゃぷちゃぷと水をかき回すぐれちゃんの手が見えたから、最初は楽しいなって思ってたけど。
(……疲れてきたかも)
止めていた息がだんだん苦しくなって。
なんだか空が青くなくなって、目の前が白くなってきて。
(……なんか、ダメっぽいかも)
ちょっと悲しくなったその時。
「まもちゃんっ、しっかりっ!!」
おねえさんの手がガシッと俺を引き上げたのだった。


「まもちゃん、大丈夫? 本当に大丈夫?!」
何度もそう言って俺の頭をなでるおねえさんと、泣きそうなぐれちゃんに囲まれて。
砂浜でボートの上に座って、小宮のオヤジが持ってきてくれた水を飲んで。
「うん、だいじょうぶ」
そのあと、みんながいるところに戻ったけど。
そしたら、車で寝てたはずの中野が来てて。
しかも、あんまり機嫌がよくなかった。
おねえさんが「すみません」って謝ってて。
それを見たぐれちゃんも泣きそうな顔で、「おねえちゃんを怒らないで」って頼んでた。
「やだな、中野さん。すぐに引き上げてもらったから、全然大丈夫ですよ」
闇医者も説明してくれたけど。
でも、中野は何にも言わなくて。
その後もずっと機嫌は悪いままで。
だから。
「あ、わかった! 中野、車にいて、一人だけ泳がなかったからつまらなかったんだよね?」
だったら、もう一回一緒に海に行こうって誘ってみて。
「俺ねー、ちょっと泳げるようになったと思うんだ!」
そう付け足してみたんだけど。
そしたら、中野の機嫌がもっと悪くなって。
後ろで闇医者や小宮のオヤジや患者モドキがみんなでブンブン首を振ってたから。
それは言っちゃいけなかったのかもってちょっとだけ思った。


結局、ぐれちゃんのおねえさんが中野に怒られることはなかったけど。
そのあとは俺だけ海に入れてもらえなくて。
「じゃあ、中野さん、しっかり見ててあげてくださいね」
闇医者が借りてきてくれた大きめのバケツの中で。
おやつの時間までずっと中野を見上げながら泳いでた。


おまけ1 おまけ2

                     ----------夏休みの夜編につづく






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